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箱壊しの玄武  作者: ゆまち春
二章 妥協者の望み
12/27

二人組つくった


 夏休みは、《夏》であると同時に夏だ。


 海とか水着とかかき氷とかお祭りとか花火とか、連想するものには事欠かない。



 引き籠ってアルゴリズム生産のバイト(本人曰く)をしていた数葉を海まで拉致し、上級生の前で水着を着たがらなかった琴依ちゃんを無理矢理着替えさせ、かき氷に恍惚とした表情で挑んだものの四杯目でダウンした赤寝さんを介抱した。



 神と対話するためのプログラムで忙しいと一蹴して宿題を写させてくれなかった数葉に代わって、教え上手な赤寝さんに勉強を教えてもらい、彼女の勉強のコツや工夫をしっかり記録した。ついでに琴依ちゃんにも勉強を教えていた。俺も復習になったと喜んでいたら、部屋に数葉が苛々しげに乗り込んで来て、天才型の勉強方法を教えるとわざわざ学校に忍び込んで黒板を用いてまで弁舌していたが、誰も理解できないことに頬を膨らませていた。



 夏休みの最終日にはお祭りがあった。琴依ちゃんに二人きりを誘われていたが、返事をなあなあにしていたことと耳聡い数葉と金魚救いが好きと言い出した赤寝さんを前にして、琴依ちゃんが折れて最終的に四人で繰り出した。誰の浴衣姿が一番似合っていたなんて言うまでもない。全員美人だと本心で言うと、数葉は知ってたと笑い、琴依ちゃんはこれはパッドじゃないんですと誇張し、赤寝さんは顔を隠すほどのわた飴を無心で食べていた。



 蛍と屋台の明かりに照らされながら川のほとりから見上げた、向日葵のように満天を輝かせた花火は、今まで見てきたどの花火よりも鮮明な思い出になった。



 皆と別れて男子寮のエレベーターの中。


 重力を感じていたらルチアが勝手に作動した。


 まさか、女子寮の前で待っていますのお誘いメールかと上気分に考えていたが、現実はおでんの汁より甘いものじゃない。



『三ヶ月に一度 告白されろ』

『《夏》 期限 : 残り一ヶ月』



 楽しさにかまけていた。


 夏休みの宿題を、俺はサボっていたのだ。





 九月は師走のような忙しなさになると思っていた。


 けれど、始まってからもう一週間になる二学期は、せせらぎのような時間が過ぎていった。


「赤寝先輩がカレーライスだなんて珍しいですね」


「うん、たまには」


「数葉、その麻婆豆腐ひとくちだけ……」


「そのお礼に何をくれるのかな? そういえば前にやったゾンビ撃退ゲームの新作が」


「どうせ元から半分出す気だろうが。ほら、これ少しやるよ。琴依ちゃんもトマトいる?」


「あ、じゃあいただきます。それより、そのゲームって二人しかできないんですか……?」


 お昼は赤寝さんの体育館でご飯を四人で食べることが多くなった。


 放課後も流れるように四人が多くなった。


 俺はそれを享受して、放課後デートを、お昼の食事を断ることが多くなった。


 ふと、寝る前に考えてしまうのだ。


 明日の赤寝さんを、数葉を、琴依ちゃんを。


 スリープモードに入る前、ルチアが毎晩、警告を出す。

 日に日にその危険性を示唆する赤色を濃くして。


 慣れとは怖いものだ。それでも、俺は楽観視していたのだから。



    ―― ―― ――


 

 カラムサーバーに在籍する三千人の内の千人は、九月が始まってからざわめいていた。


 教室の百人は鳥が群れを探すようにぴっぴと声をあげて自己アピールをしている。


 それを取り成すように教卓に立つ教師が声を張る。


「静かにしてくださいね。静かにしてください。静かにしろぉ!」


 極端な警告プログラムを備えた体育教師は竹刀を出現させてこれ見よがしに叩く。


 生徒に危害を加える存在はこの世界にいないので誰もが恐れないが、仕方なくと嘆息の後に静まる。


「十月の一日から二年生は修学旅行だ。

 行き先は三つ。

 『ロシア:カザンサーバー』『アメリカ:カリフォルニアサーバー』『月面サーバー』。

 各自で班を組み、その班で行き先を決めてくれ。班は一人から七人まで。他クラスと組むのは構わん。

 当たり前だが、他学年は連れて行けんぞ。

 それから、今回は引率に理事長と校長先生と教頭先生が加わる。それでは、解散」


 ぴっぴ、ぴっぴ、ぴっぴ、ぴっぴ。


 講堂の中は渋滞のように激しい人の往来。

 班の組み分け戦争。

 今から参加したとしても遅すぎる競争だ。


 俺は座ったまま、現状を嘆いていた。


 今は九月の二週目の始まり。


 アナウンスされたのは十月の初めに行われる二年生の修学旅行。


 修学旅行だ。


 俺が駆け回るまでもなく恋愛のためのイベントが押し込まれている。


 タンスの中に詰め込めきれずに吐き出されてしまう物量のフラグが学生を性の道へと誘う。


 受動的な告白を待ち望む俺の命令のためにある行事だと言っても過言じゃない。


 けれど、過言だ。


 二年生だけが行く修学旅行は俺にとって意味を()さない。


 俺が築いた線のうち、二年生は両手の指の数ほどもない。


 講堂で座る俺の周りには、誰もいない。


 知っているのだ。


 今の二年生、しかも同じクラスの人間は、入学当時の俺を。



「高校デビューが一人でいるぜ。誘ってやれよ」

「どうせ誰か誘うだろ。根暗な女垂らし」

「あんなもやしだったのに粋がってね」

「そういえば、去年の夏休み明けにいきなり髪の毛明るくしてきたじゃん。しかもご飯たべようとか言って来てさ、マジ抱腹絶拒」

「絶拒とか、まあ、あんなやつ嫌だよねー」



 はっ。笑えるよ。全部正解だ。


 んなこと知ってる。


 お前らがたかが一学期だけ目にした根暗男は、俺が十五年間付き合ってきた俺だ。


 だから否定しない。


 俺は今はもう変わったのだ。


 心の殻はお前らが悪戯に破るまえに自分で割ったのだ。


 だから落ち着け。

 俺は、間違っていない。


 机の下。(もも)に乗った手はたくさんの人間に触れてきた。


 ちゃんと、覚えている。


 ルチアを広げた。


 数葉からの連絡は来ない。

 あいつは俺をわかってくれている。

 まだ《夏》を終えていないことも気づいているだろう。だからこそ手を出してきていない。


 赤寝さんからの連絡はない。

 そもそも、あっちからのメールをまだ貰ったことがない。


 ぱっと思い浮かんだその二人は誘わない。


「あいつ、なににやにやしてんだよ、死ねばいいのに」


 俺は《夏》を達成して、まだここにいるんだ。


 退学したくない理由が、もう一つできたのだから。


 絶対に。


 ここがどんな場所だとしても。





「……で、格好良く息巻いて二年生の他の女子にトライしたけれど、修学旅行の班員はもう夏休み明けに決まっている人ばかりで断られたと。全員に?」


「……全員に」


 助けて数葉お姉ちゃんのコーナー。


 俺の部屋のベッドで足を組む数葉。いつもの丈の長いスカート。地面に座る俺からは膝小僧さえ見えない黒いプリーツ。


「で、同じ班になって欲しいと?」


 その足は少し苛立たしげなリズムを刻んでいた。

 そうでなくても腕を固く組んでいる時点で数葉の返答は察しがついた。


 けれど、今日一日で何人の女子に断られたと思っているんだ。


 今更挫けるはずがないだろう。


「お願いします」


 土下座した。


「はぁ……。まったく、みすぼらしいったらないよ。

 女垂らしで女子を泣かせる非道な男を街頭アンケートすれば一位になるような人間が、まさか修学旅行で隣を連れ歩く女性一人も見繕えないなんて。やる気、あるのかい?」


 何様なんだ、と怒鳴りたい。


 でもここで怨嗟を吐き出せば上司の怒りを買うことになる。ぐっと我慢するんだ。


「申し弁も立ちません。けれど、一緒に居たい女子で声を掛けていないのは数葉お姉さまだけなのです。お願い、できませんか?」


 懇願。子犬のうるうるとした目を浮かべているつもりだが、きっと乞食が神に泣きながら祈りを捧げているように見えているだろう。


 それでもいい。ああ天女様数葉様。


 もう班を組んでいないのは俺くらいのものだろう。

 一人で行く人もいる。が、俺はそこから脱却して俺になったのだ。


 だから誰かと一緒に行きたかった。

 できることなら修学旅行を楽しみたかった。


 その相手が数葉というのは若干どうなんだろうと思わないこともないが、じゃあここで赤寝さんをと誘う勇気はない。


 数葉の爪が頬の皮膚を削る。頬が少し赤くなる。

 溜め息の種類を見破るスキルは持ち合わせていないけれど、そっぽを向いた数葉はたぶん少し喜んでいた。


「……赤寝には、声かけた?」


「いや、先に数葉に相談しようと思ったから」


「そうか。うーん…………」


 唸って身体をメトロノームのように揺らす。窓から見える黄色の半月が見えたり隠れたり。


「そうえいば、数葉の班はどこに行くの? 月面サーバー?」


「いや、私はカリフォルニアに一人で……あ」


「……一人?」


 捕らえた言葉尻。


 メトロノームが凍結した。


 妙に「あは、ははは」と焦った笑い声だけが部屋を満たす。どこでそんな女らしい仕草を覚えてきたのか。やがて、


「もうちょっと私を求める言葉を引き出したかったけれど、甲希との駆け引きはだけは苦手だ」

 

 舌をチロリと出してから、殊勝にも頭を下げた。

 舌を戻すときに上唇を舐めるのが、俺の隠しフォルダにある画像のようで、ちょっと、ちょっとだけ、ドギマギした。


「別に謝らなくて、いいけど――じゃあ、最初から班なんて組んでなかったの?」


 話を戻す。それなら班を組んでくれと俺が頼んだときにどうして悩んだんだ……って、それはさっき数葉が自分で説明していただろ。ちゃんと言葉の前半も記憶しとけよ俺。


 メトロノームが、感想戦でもしているみたいに、さっきよりゆっくりと動き出す。


「うん。理由の半分は、甲希が頼むのを待っていたかな。

 夏休みの間、私は半分以上部屋の中だったけれど、それでも甲希たちと一緒にいた時間も多かった。その分、甲希が女の子を誑かすために費やした時間も少ないってことには気付いていた。

 まあ指摘しなかったのは……」


「指摘しなかったのは?」


 接ぎ穂を探しているわけではなさそうだった。思案して、数葉は強気な態度を引っ込めた。


「私は理詰めで動く人間だと思っていたのに、どうしてだか、甲希との駆け引きだけは本当に苦手なんだ。しかも一番気持ち悪いのが、負けたときに、そんなに悔しくないんだ」


 俺が数葉に勝ったことなどあっただろうか? 


 対等に見ている。尊敬を感じているのは俺自身がよくわかっている。


「そういうのじゃ――あーもう! そんなだから女の子を誘えやしないんだ!」


「もはや逆ギレだよ……」


 わけがわからないよ。


「だから!」


 立ち上がった数葉。スカートがふわりと落ちたように見えた。


「甲希が他の女のところに居ないのが嬉しかったんだよ! 恥を掻かせるなよバカ」


 ベッドが人の重みの分だけ軋んだ音を出した。数葉が座ったのだ。


 本当に、いつからこんな乙女らしくなってしまったんだか。


「……スカート、巻き上がってるよ、膝小僧が、見えてる」


「……!」


 スカートの(すそ)を掴んですねまで引っ張る数葉。


 膝小僧どころか太ももとその先もちらりと見えていたけれど、二人しか居ない部屋でそれを指摘するのは、更に気まずくなりそうだった。


「こほん。とにかく」


 仕切りなおしの合図がかかる。居住まいを正す。


「甲希が《夏》を終えていないだろうことは察しがついていた。

 それに、もし終わっていたら私と簡易の懺悔(ざんげ)室を開いているはずだからね。

 修学旅行は十月の一日から。もしその間に告白を受けたって、《秋》だ」


 告げるような口調。でもその瞳は訊いていた。


 大丈夫なの?


 心配げな表情を滲ませる数葉に答える。いや、答えなきゃいけない。


「大丈夫。命令はなんとかする。自分のことは、自分でやるよ」


 それがケジメだと思うし、一度逃げてしまったら、俺はこの先も逃げてしまう気がする。そこまでは言わなかった。たぶん、言わなくてもわかっていたから。


 うっすらと浮かべた微笑みと、乾いた笑い声が一周遅れの残暑を見舞っていた。


「うん、がんばれ」


 班は数葉と組むことに成功した。


 てっきり数葉は『月面サーバー』の最先端物理基地に社会化見学するのが好きそうだと思ったのに、『カルフォルニアサーバー』に行くらしい。


 数葉曰く、


「あそこにはAIを生み出した技術研究所への窓口があるからね。少し訊きたいこともあって」


 と、自分の趣味だけに傾倒しているのは数葉らしかった。




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