おかえり
次の日から、俺は脇目も振らずに女子に猛アタックをかけた。
残された時間は少ない。
目についた一年生と三年生に、片っ端から声をかけていく。
夏休みに会わなかった人ばかりだったけれど、忘れられていることはなかった。
ただ、好感度が高くて会った瞬間に抱きついてくれるような子はいなかった。
……そんな優良物件がいるなら毎日おべっか使う必要もない。
三年生は園芸部を中心に向かう。
「うーん。なんだか、冬森君最近無理してるように見えるよ」
「気のせいですよ。あ、そっちのプランタもどかしますか?」
「……これはさっき冬森君が運んだ奴だよ。蛆虫に脳を乗っ取られているね、可哀相に。さ、今日は帰って休んだ休んだ」
あえなく追い出される。下校途中の一年生に声を掛けるも、
「冬森先輩、なんか顔色悪くないっすか?」
「ぜんっぜん! それとも俺の寝てない自慢でも聞きたい?」
「それは嫌っすね。あ、私これから彼氏とデートなんで。たまには志穂とも遊んであげてくださいね。それじゃ、また今度でっす」
敬礼と、胸に釘を刺されてとぼとぼ帰宅。
嫌われているわけじゃないと思う。今日声を掛けた人は俺を心配してくれていた。
それでも邪険に追い払われる。
裏目に出ているのだろうか? だとしても、今は悠長なことを言っていられない。
そうこうして月がカウントするように欠けていき、九月の二週目の終わり日。
琴依ちゃんに会った。
というより、捕まった。
「先輩、久しぶりにご飯食べましょうよ……赤寝先輩もいますから」
どこか寂しそうな声。
けれど、それに構ってあげられるほどの時間もないのだ。
「ごめん、忙しいんだ。また、今度ね」
「気が急いているのは見ればわかります。なんで、そんなことをしているのかはわかりませんが、でも、そんな疲れた顔じゃどこに行っても、先輩は避けられますよ」
「……」
避けられる。それは見てきたように、今の俺を的確に説明していた。
「今日のお昼休みぐらい、ゆっくりしませんか? 私、美味しいコーヒーの組み合わせ方を知ったんですよ。ささ、体育館に行きましょう」
腕を掴まれる。
手のひらがぎゅっと俺の服を握る。
柔らかい肌。
今週は女の子にこれまで以上に話しかけていたはずなのに、女の子特有の華奢で薄氷のような体の感触は久しぶりだった。
琴依ちゃんに手を引かれるがまま、教室群がある本棟の階段を降りて、一階の渡り廊下から隣の体育館に向かう。
付与されていた権限で体育館に入ると、閑古鳥が鳴いていた。
壇上で、赤寝さんが寂しそうに箸をなぶっている。
行儀が悪いと注意しようとしたときに目が合った。箸が口に刺さったまま、唇が逆向きのかまぼこを形作る。
「おかえり」
赤寝さんが当たり前のように言う。
「……それはずるいよ」
ここを維持したいから、頑張っていたのに。
その決意が、更に固くなってしまう。
何をしてでも、この世界から出て行きたくなくなる。
まるで二人がリールを巻いているみたいに、俺は体育館の壇上まで釣られていく。
「あああ! もう!」
気合の入れなおしだ!
自分の頬を張る。
じんじんする。
手が汗ばんでいて、夏を感じる。ああ、そうだ。まだ夏だ!
それで今は昼休みで、赤寝さんと琴依ちゃんとご飯を食べるんだ。
「あれ、そういえば数葉は?」
「位置が特定できないので、おそらく自室にいるのかと。病気なんでしょうか?」
「……あいつなら引き籠り対策の機能を対策するぐらいするだろ」
壇上に尻を上げる。隣には琴依ちゃん。おでんを食べている琴依ちゃん、とその向こうの赤寝さん。
真夏なのにおでんなんてよく食べられるな……。
「……数葉は、よくプログラミングをしているってよく言うけど、お仕事でもあるの?」
素朴な疑問が飛んでくる。
まさかカラムシティを運営しているサーバーの人工知能に喧嘩吹っかけるために対話しようとしている、なんて言えない。
本人はいたって本気らしいが、そんなことをさせられる前にサーバーからシャットアウトされるだけだと俺は思っている。
だからといって、頑張っている人間を制止することも立ちはだかることも、ましてや笑うことなんて俺は絶対にしない。
「そんなところ――そういえば、赤寝さんの班は修学旅行はどこ行くか決めた?」
「あれ、修学旅行あるんですか?」
きょとんと顔を俺と赤寝さんの間で行き来させる琴依ちゃん。
他の子から聞いたり……いや、彼女は自分から友人を切り捨てていたのだった。その後の動向を探っていないけれど、一年生のコミュニティはどうなっているのだろう。
それすら、聞くことを忘れていた。
自分のことだけで盲目になっていた。言い訳はできないな。
「うん。十月の初めの週。四泊五日だから、その週の平日は全部食い潰すよ」
「へぇーそうなんですか」
少しだけ平坦な声音に聞こえる。学年での行事に琴依ちゃんは連れて行けない。こればっかりは、仕方ない。
「琴依ちゃんは、おみやげ何かいる?」
安易にも物で機嫌を取り持とう。しばしおでんをかき混ぜてから琴依ちゃんは、
「先輩はどこに行くんですか?」
「カリフォルニアサーバー」
「……どなたと行くんですか?」
「数葉とだよ。そんな怖い顔しないで」
「えっ」
驚いた声は赤子のようなほっぺを俺につねられた琴依ちゃん――ではなかった。
上擦りながら素っ頓狂な声を出したのは、スカートの上に卵を落とした赤寝さんだった。
卵は長いスカートの上を童話のおにぎりのように転げ落ちていく。拾ったのはおじいさんだっけ?
俺と琴依ちゃんに見られたことに気付いた赤寝さんは、勝手に敷地に入って家主に見つかる野生の動物のようにあたふたし始め、おでんの汁をスカートに染みさせていた。
「ちょ、火傷しちゃうよ! タオル、これ拭――」
「触っちゃダメ!」
「……」
「いらない。いらないから、大丈……。着替える、裏に行くね」
おでんも卵も消して、赤寝さんは部隊袖の黒いカーテンの中に入っていく。
四方八方を隠して誰の侵入も許さないその様は天岩戸のようだと思った。
琴依ちゃんがあたふたし始めた。離婚寸前の家庭の子どもみたいだ。
「赤寝さんの手伝い、行ってあげて。俺じゃダメだから」
頼み込む。
俺は彼女に手を差し伸べられない。
それでも、赤寝さんが火傷するのは嫌だった。
琴依ちゃんは「わかりました」と頷いて、おでんを横に置いて、ブラックカーテンの前で呼びかける。
「いらない。来ないで。いらない」
結果は、琴依ちゃんに傷を増やしただけだった。こりゃあ赤寝さんも強情だ。
「ごめんね。おいで」
「……」
泣く。そう思って呼びかけた。
俺は怖くなった。
「うわあああああん。いやああああああああ」
体育館がこの十倍の広さを持っていたとして。
今みたいに手が伸ばせる場所じゃなくて、端っこと端っこにいて。
直線状にいる琴依ちゃんが米粒ぐらいの小ささに見えたとしても。
絶対に聞こえると言い切れるほどの、号泣。
何事かと赤寝さんが出てくる。かちかち山だったっけ?
なんでも、よかった。
教えて欲しい。
理由もわからず慟哭をあげる女の子の前で、俺の手は何が出来たんだろう。
昼休みを終えるチャイムを聞き逃すほどの泣き声が、俺の耳に直接響くことがなくなったのは、授業に出席していない俺たち三人が強制転移されてからだった。
あったかいコーヒーが出される。なみなみ入ったコーヒーはクリーム色をしていた。
「母乳の味は、安心するじゃろ」
ピンク色の髪の毛の女の子。
夏休みより前に、赤寝さんと屋台で一緒したときに会った女の子だった。
「自分の学校の教頭の顔くらい覚えておくんじゃな」
教頭だったのか。知らなかった。
担当教科以外の先生とは触れ合わないしな。校長の顔も知らないし。
「……これ、母乳なんですか」
「成分はな。勿論、牛の、じゃがな」
冷えた作り笑い。目尻が垂れて唇の端っこが微かに上がる。笑顔が苦手なNPCなのかもしれない。
糖分が必要だ、頭を回すために。
ソーサラーからカップを持ち上げ、勢いをつけて飲み干す。
「牛の、世話をしているおばちゃん農家の人間をイメージして搾った、母乳じゃ」
吐き出した。
いや、農家の人に悪いけど。悪いけど、そんなこと飲んでいる最中に言って欲しくない。
何もなかったかのように、教頭は自分のコーヒーを飲む。
「冗談じゃよ」
さっきと同じ作り笑い。ぎこちなく笑っているのがありありとわかる。フェイスモーションがバグってるだなんて、なんて旧時代的な。どれだけ昔に作られたんだこいつ。
ソーサラーが擦れあって音が放出される。学校の鐘の音のようだ。
「さて、一息ついたなら、何があったのか」
「……」
「は、聞かない」
「は?」
優雅に二杯目のコーヒーを飲む教頭。俺はその姿をまざまざ見せ付けられる。
食の概念を実際には知らないのに、どういう意図でNPCはそれを行っているんだか。
ど派手な色彩感覚を持つツインテールの女は、ゆっくり微笑む。
「ジャーナルを開いた。プライベートゾーンでも会話や行動の記録は残るからな。まあ、取り立てて責めるようなことはないじゃろ」
「じゃあお咎めは」
「ない。だからさっさと授業に戻れ――と、言いたいところじゃが、いい機会だ、私と少し茶をしばけ」
楽しそうに、極彩色の髪色の女の子は笑った。
「お前はお茶と紅茶、どっちが好きじゃ? 私は日本酒じゃ」
よくわからないままに紙コップを差し出される。中身は茶色い。ウーロン茶にも紅茶にも見えた。湯気がないからウーロン茶だろう。夏場だから嬉しいけど、冷や汗を掻く気分なのは突発的な事態を明瞭に把握できていないせいだ。
そしてそれは、ソファの上で体育座りで酒を瓶で煽る小学生のような体躯の彼女のせいだ。
これが、教頭? そんでもってNPC?
ノンプレイヤーキャラクターって人じゃない人口無能だろう。会話の成立は出来るけれどそれはチャート的に示された応酬がほとんどだ。
どんな質問にも答えられるが、ここまで器用な生き様を発揮できただろうか。
酔いが回ったのか。教頭はいきなり立ち上がってヘビメタロックのように体を仰け反らせた。
「お仕事さぼるのたのちいいい、うへっ、へへっ、あはっ」
ああ! わかった。こういうのなんていうのか。反面教師だ。
そういうプログラムだ。だとすれば、俺はここから何を学べばいい?
膝に顔をうずくめて今にも窓から飛び降りてしまいそうなほど後悔して顔を青冷めている姿から、何を学べばいい?
「教頭。涎、垂れてますよ」
ハンカチで拭う。なんだろうな。これが父性としての本能なのかもしれない。
こういうシーンを女子に見せることができれば好感度は上がるのだろうか。そんな思惑を抱いてハンカチを出したわけじゃないけど。本当に。なんでだか、手を出したくなる。
「……その言い草は危ないな。矯正されるべきじゃ」
「? 涎、が、垂れていますよ教頭先生」
「そっちじゃない」
一本目の酒の瓶をジャグリングするピエロみたいに宙に放り投げる。瓶はテーブルに底を接地させてピタと止まり、教頭の手には二本目が持たれていた。
銘酒は『鹿児島』。
「なあ、冬森くんよ。お前は今まで振った女の数を覚えているか」
「……!」
な、なんで俺の命令のことを。核心めいたことを言われて鼓動が早まる。
疑問と焦燥の火がじりじりと体の内側を燻る。口から煙が出そうになったのを抑えて、なんとか答える。
「――はい。覚えています。名前も、顔も、全て」
「そうか。ならいい」
それで言葉が区切られる。日本酒が得体の知れない彼女の燃料となってぐびぐび喉を通る。
それは暗に、第二ラウンドがあることを指し示していた。
「そう強張るなよ。取って喰おうとも思わんじゃ。ただ、聞きたいだけじゃよ。……そうじゃな、二年前の冬森甲希という男の子をどう思う」
「……そんなこときいて」
「答えたくなければ言い訳せずに言いたくないと素直に口にせい」
叱咤のような閉じた言葉。
壁を押し付けられているみたいに圧迫して、テーブル越しの彼女が屈折して肥大化して見える。
カウンセリングプログラムというものがある。
どういうものかわからなかったが、これらしい。
相手がいかつい教師よりかは、なるほど小さな女の子のほうが言葉はすっと出てくる。
ゲージを構えられている感覚。
逃げても、立ち向かっても無駄だと幻聴が聞こえる。
弱い心が喋っているのだろうか。それとも強くなったと思う本心が警告しているのだろうか。判別はつかなかった。
一呼吸して、この空気に慣れようとする。それを、バチンと軽快な音が遮った。教頭の手が時間を両手で叩き潰していた。
ひゅっと肩から息が漏れて、落ち着くことに失敗する。
「……友達はいませんでした。いつも、家に帰っても何もすることがなくて。手持ち無沙汰で、何かしようと思い切っても、足が怠けて……。みじめな男だと思っています」
「そうかそうか。まあ、詳しくは聞かん。それで、今の君は己をどう見る」
俺について。そう考えたはずなのに、最初に浮かんだのは彼女の顔だった。
「ぼ、お…………」
正直な気持ちだ。
「格好いいと思います」
女の子と毎日のように触れ合って、気兼ねない子が傍らで支えてくれて、期待をする相手が目の端に映っている。
理想だった。
自分の生活が理想を支柱に華やいで、生きている。
「自分で言えるなんて大したもんじゃな。自惚れ者の物好き男め」
いつの間にか四本開けていた瓶。
四本目が空を割るようなガラスの音を出して、視界は途切れた。
「《夏》を過ぎれば大事な高校生活も半分じゃ。お前さんは、このまま走るのか?」




