二十六、誓いの花
これにて最終話となります。
少しでもお楽しみいただければ幸いです!
張りつめていた緊張が解け笑顔が戻り始める。それなのに私の表情はこわばったまま。もともと愛想が良いわけでもないけど。
だって私の戦いはこれから。一件落着にはまだ早い。あやふやな立場のまま屋敷の門を潜ってはいけないと思うなら、今ここで切り出すしかない。
「朧、私の話を聞いてほしい」
「どうした?」
真剣に見つめれば朧も気を引き締めてくれる。
「まだちゃんと朧に答えていない。だから――」
「待て」
「え」
肩を掴んで遮られた。たったそれだけのことで私は深い絶望を知る。朧が私の言葉を遮るなんて珍しく、よほどのことだ。
「やっぱり……」
元々明るい性格ではないため途端に後ろ向きな想像ばかり浮かぶ。
「待て違う! とにかく少し待ってくれ。いいか、ここを動くな!」
「ここ? そこまで言うなら、わかった、けど……」
そこまで念を押さなくても大人しくしている。
よほど大事なことでもあるのか、朧は命じるのではなく自ら屋敷の中へと向かった。
私はといえば、ここ以外に行きたい場所があるわけもないので立ち尽くす。ちなみに主人の意向をうけた妖たちによって完全包囲されている。円を描くように取り囲まれ隙が無い。なにもそこまでしなくても……
よほど急いでくれたのか、朧はすぐに戻ってきた。
「待たせたな」
声を合図に通路が開けた。朧は迷わず私の前へと進み何かを差し出す。
「これは?」
赤い花だ。屋敷の庭にも咲いていなかった、見たことのない種類。でも……どこか見覚えがある。
「椿の花だ」
私と同じ名前の、朧の好きな花。
真っ赤な色は簪の細工よりも深く鮮やかで見惚れてしまう。でも差し出されたということは受け取れという意味? そう解釈して花に触れようとすれば唐突に距離を詰められた。
「あまりその手に無理はさせられない」
今更のような気もする。そういえば、牢から出る時も朧の触れ方は優しかった。同じように優しく私の乱れた髪を梳き、簪のように花をあてる。
「見せてやると、約束しただろう」
最初の頃、確かにそんな話をしたけれど。あれに約束と呼べるほどの効力があるとは思わなかった。一方的な発言を今日まで大切に憶えていてくれた。そして守ってくれた。また胸が熱くなる。
「実家に咲いていてな、間に合って良かった。誓いの場には本物が相応しいだろう?」
花を飾り終えた朧は満足そうに離れていく。
後を追うように、私は花へと手を伸ばす。
「小さい……」
触れた感想は『簡単に握りつぶせそう』だった。儚くて脆い存在。芽を出し蕾を付け花を咲かせ――
「すぐに枯れてしまう」
「では君が飽きるほど贈るとしよう」
ああもう! だから私は駄目。
「違う! そうじゃなくて……」
「他に望むものでも?」
こんな言い方しか出来ないなんて、まだまだ勉強することは多い。きっと野菊なら上手くあしらった。……今度教えてもらおう。
「何もいらない。何もいらないから、この花が枯れる日が来ても私はそばにいると、伝えたかった」
「椿?」
「私は椿の花じゃない。美しさでお前を楽しませることは出来ないけど、花はすぐに枯れてしまう。でも私なら永久にお前のそばにいられる」
「いてくれるのか?」
脳裏に浮かぶのは地下牢での場面――
悲しみでも痛みでもなく、溢れるほどの幸福によって涙を流す。そんな経験初めてだった。嬉しくても涙が出ると初めて知った。
「愛していると言ってくれた。とても嬉しくて、朧と生きられたら幸せだと、そんな夢を見た。……夢でなければいいと思った」
「……そうか」
朧は笑うけれど、心のままに告げただけなのに笑われるのは心外だ。
「私、何かおかしなことを言った?」
「いいや。想像以上に君の言葉が嬉しかっただけさ」
「なっ――」
「ああそうだ。君は枯れない。永久に俺の隣で咲き続けてくれ! 俺の大切な、椿」
「あ、お、朧……」
体中が熱く、胸がうるさい。上手く言葉を紡ぐことができない。想像以上の破壊力、それはきっとこういうことなんだと思う。以前朧が教えてくれた感情を身をもって学んだ。そしておそらく私の方が深い傷を負っている。
困惑している私の耳元で藤代が囁く。
「いいですか椿様。ああいうのを気障というのです」
すかさず耳打ちしてくれる藤代はさすが有能だ。勉強になる。
「憶えた」
つい講義の要領で頷けば藤代との間に距離が生まれる。朧によって引き離されていた。
「変なことを吹き込むな! 野菊、こいつをどこかへ連れていけ。至急だ」
朧の背の向こうにいた野菊は弾かれたように主を見遣る。わざわざ『野菊』と名を呼んだ朧。それは彼女の存在を赦し認めてくれたということだ。
「はい、責任をもって!」
「なっ、ま、待ちなさい野菊!」
強引に腕を掴み引きずる野菊と、踏み止まろうとする藤代のやり取りは見ていて微笑ましいものがある。そうしてあわや撤収させられそうな藤代が叫んだ。
「椿様! わたくしは本来このようなことを申し上げられる立場ではございませんが、朧様のそばにいて下さる女性はあなたが好ましいと、望んでおりました」
野菊は賛同するように歩みを止め頷いた。
「藤代、ありがとう。これからは皆にそう思ってもらえるように頑張る。だから、もっとたくさん教えてほしい。もちろん野菊も」
「身に余る光栄にございます。一時は人間相手に何をと正気を疑っておりましたが、朧様の眼に狂いはなかった」
「酷い言い草だな」
「それだけのことをしていたのですから当然でしょう。毎日が決闘のような有様と記憶しておりますが」
「それはっ!」
――て、過去の話を蒸し返されて羞恥が募るのは私だけ!?
だってね、朧は余裕たっぷりに構えて言うの。
「なおさら相応しいだろ? こうも勇ましい女そうはいまい。緋月にも喧嘩を売れるような奴だぞ」
緋月……
その名が浮足立つ心を現実へと引き戻す。
「朧、私はお前と共にありたい。でも、私のせいで家族にいさかいが生まれるのは……悲しい」
たとえ朧や屋敷の妖が認めてくれても、彼女にとって私は殺したいほど邪魔な存在。かといって朧を諦められるのかと聞かれれば無理な話で矛盾していた。
朧には私のような運命を辿ってほしくない。最後まで家族とわかりあえなかった私のように悲しみを抱えてほしくない。朧が彼の母をどう思っているのか訊いたことはないけれど、家族というのはどんな形であろうと特別なものだから。
「それがな、実のところさして険悪でもない」
「え?」
「俺としては重傷を負うことも覚悟して出向いたのだが」
そこまで危険な邂逅だったの!? 初耳だ。
「どうして言って――」
無駄だからに決まってる。あの時の私にはどうすることも出来なかった。行かないでと追いすがることも、共に行くと言えるだけの覚悟もなかった。こんな形になって、初めて自分の気持ちと向き合えたのだから。
「君に会いたいそうだ」
「はっ!?」
「あの気分屋め、嫁が見つかったのなら今度は早く隠居させろとうるさくてかなわん。いわく、『この程度も切り抜けられない者に嫁は務まらん』だそうだ」
「妖の世界、物騒」
この程度……つまりどの程度? そんなに物騒なことが頻発するの!?
私は試されていた? 弱い者には務まらないというのなら、彼女なりに子を、その一族を案じていたのかもしれない。とはいえ妖世界の感性に馴染むにはまだまだ時間がかかりそうだと実感させられた。
「いい加減、帰って来いと言われたよ。無論、君を連れてな」
「私、いいの? 朧といて」
「そうでなければ困る」
私の杞憂は一体……やり場のない気持ちが膨らむけれど、それを上回るのは嬉しさだった。
「さて、荷造りは終えているな? 嫁が見つかったのらなここに留まる理由はない。すぐに発つ!」
「へ、え!? どこへ――」
声にしてすぐに実家のことかと納得する。それにしても帰ってこられたと懐かしんだのも束の間だ。
ねえ、私もそこへ行っていいの?
「君を愛しぬくと誓おう。共に来てくれないか?」
当たり前のように朧は望む言葉をくれる。
こんな私を望んでくれるのなら、もう迷わない。
今度こそちゃんと伝えよう。
「どこへでも行く。私がいたいのは朧の隣。だから……」
「ん?」
朧は初対面で簡単に言ってのけた。だから私にも出来ると思ったけれど、実際はとても勇気が要ることだった。
「お前の……妻に、してほしい。……なりたい」
消え入りそうだ声でようやく告げる。体中が沸騰しているように熱い。その体温ごと力いっぱい抱きしめられる。
「俺には君しかいないよ」
これが人と妖であれば悲恋、あるいは神隠しとして語り継がれたのかもしれない。けれどここにいるのは二対の妖、私たちを取り巻く物語は幸福に幕を閉じる。
闇に囚われていた私はもういない。闇は私が従えて生きる。たとえ闇に染まったとしても、この妖と生きることを望んだ。
ここまでお付き合い下さった心優しき皆様、今まさにここを読んで下さっているあなた様!
まことにありがとうございます。
ここまで書ききることが出来たのは読んでくださる方がいて下さったからこそです。
閲覧、お気に入り、評価、感想――大変励みになりました。皆様のおかげで最終話までたどりつくことが出来ました。
皆様にたくさんの感謝を込めて! 『妖しな嫁入り』これにて完結致します。
このような最後まで目を通して下さり、本当に感謝ばかりです。閲覧ありがとうございました。




