後編
「……え?」
夢から覚めた瞬間、すぐには状況が掴めなかった。
ビジネスホテルの天井が視界に入る。
すごくエッチな夢だった。
たまに見てしまう動画のようなことをしていた。
何度も経験しているみたいに自然だった。
すごく悦んでいた。
相手は、大学一年の秋から、ずっと勝手に片思いしている男性。
見知らぬ部屋なのに、どこか知っているような感覚があった。
やけに鮮明だった。
「……え?」
身体を起こし、すぐに気づいた。
下着の中に、妙な違和感があった。
しばらくそのまま動けず、視線だけが宙をさまよう。
それから、ベッドから下り、浴衣の帯を解いた。
「……欲求不満?」
浴衣の内側まで、冷たさが残っている。
下着に手を伸ばし、そこでようやく理解した。
******
大学の講義室。
席に座っていると、後ろから声がかかった。
「おはよー」
「おはよう」
振り返ると、胸が大きく跳ねた。
二日続けて、夢に出てきた相手と同じ顔だった。
視線を少し外す。
妙に居心地が悪い。
「まあ、もう昼だけどね。寝坊しちゃった」
「……そうなんだ」
彼は、やけに気安かった。
いつもとは違う。
「旅行、どうだった?」
その声に、視線が引き戻された。
私が神社巡りの旅行を決めたのは、金曜日の夜だった。
バイクで回る以上、天気次第になる。
出発までにそれを知っていたのは、たまたま電話をかけてきた母親だけだった。
「ツーリング、俺も行きたかったよ。
バイトが入ってなければなぁー」
わけが分からない。
大学には電車で通っている。
バイクを運転することを知るのは、両親と女子校時代の友人くらいのはずだ。
彼は当然のようにそれを知っている口ぶりだった。
まるで、何度も一緒にツーリングに行ったことがあるみたいに。
「……バイク、乗るんだ?」
できるだけ自然に聞こえるように口にした。
「うん?」
彼は不思議そうな顔をした。
どこまで聞いていいのか、分からなかった。
少しだけ沈黙が落ちる。
「ああ、はいはい。分かったよ。
昼飯、奢るからさ。それで機嫌直せよ」
彼は何やら納得したように苦笑した。
全く分からない。
「じゃあ、お言葉に甘えるね」
だけど、話を合わせた。
この不可解さを理解するには、少し時間が必要だった。
******
駅のホームを歩く。
隣には、私の速度に合わせた彼がいる。
午後、彼はずっと私の隣にいた。
トイレに立つ時くらいしか、離れなかった。
そんな私たちを見て、周囲は『いつもラブラブだね』と笑う。
トイレの化粧直しのとき、友人に少しだけ探りを入れた。
私と彼は、大学一年の秋から付き合っているらしい。
大学の校門で、彼が『好きです! 結婚してください!』と叫んだ告白は、今では伝説になっているという。
公認カップルというやつだ。
さっき、母親から彼に電話がかかってきた。
今年のお正月、私は彼を連れて実家に帰ったらしい。
お盆にも来ないか、という誘いだった。
違和感は、次第に薄れていた。
それでも、完全には消えない。
最初からこういう距離だった気さえしてくる。
「……えっ!?」
「んっ!?」
改札までの見送りかと思っていたら、彼も改札を出た。
「じゃあ、また明日」
小さく手を上げた。
上手く笑えていたか分からない。
右へ向かおうとした、その瞬間。
手を掴まれた。
「今日、月曜だよ?」
「うん、月曜だね」
「うち、来ないの?」
彼は当然のように言った。
******
夢で見た部屋と同じだった。
料理は苦手と言っていたはずの彼の冷蔵庫には、きちんと食材が入っている。
キッチンの調理器具は、私の使いやすい位置に揃えられていた。
夕飯を食べ、テレビを見て、今はシャワーを浴びている。
「ついに、シちゃったよ……。」
気づいたときには、もう後戻りできない形になっていた。
私は、『初めて』だった。
彼は、生理が始まったと勘違いし、気を使ってくれた。
シャワーを止める。
シャワーカーテンを開ける。
便座の上に置いたバスタオルを取り、身体に巻いた。
洗面台を見ると、私が使っているのと同じ銘柄のシャンプーとトリートメントが置かれていた。
ドアを開けると、濃い汗の匂いがした。
思わず顔が熱くなり、キッチンの換気扇を回す。
「あれ、どうしたの?」
彼が不思議そうにこちらを見る。
テレビを見ながら、ソファで寛ぐ彼はトランクス一枚だった。
「ううん」
顔がさらに熱くなった。
「んーー……。次入るね。
眠くなったら、先に寝てていいよ」
彼が入れ替わるようにして、ユニットバスへ入っていった。
点けっぱなしのテレビの声が聞こえる。
ハンガーラックのジッパーを開けた。
三割が私の服だ。
見覚えのあるものばかりだった。
下の引き出しを開ければ、自分の下着が綺麗に畳まれ、並んでいる。
特別な日に着けるようなものはない。
普段使いの下着が、私の好みの色で揃えられていた。
一瞬だけ、思考が止まった。
でも、私は私のままだった。
下着をつけ、ネグリジェを着る。
時計を見ると、十一時を回っていた。
御朱印帳を鞄から取り出す。
最後のページ。
『満願成就』
今朝までなかったはずの朱の二文字が加わっていた。




