狂乱の王都と、歴史を知る没落令嬢
全4話の短編小説です。
最後までお楽しみください!
王都の中心に位置する中央取引所は、むせ返るような熱気と異様な興奮に包まれていた。
飛び交う怒号、血走った目、そして宙を舞う金貨の触れ合う甲高い音。
貴族から平民、果ては裏街のゴロツキまでもが広場に群がり、我先にと競い合って買い求めているのは、宝石でも黄金でもない。
ただの「草」である。
七色の花を咲かせるという『魔力草』。
昨日まで銀貨一枚だったしわびた球根が、今日は金貨十枚で取引されている。明日は金貨二十枚になるかもしれない。いや、百枚になるはずだ。
誰もがそう信じて疑わず、家を担保に入れ、借金をしてまでこの得体の知れない草を買い漁っていた。
「……馬鹿げているわ」
喧騒から少し離れた路地裏の影で、私は――没落した子爵家の令嬢、リリアーヌは――ひんやりとした石壁に背を預けながら、冷ややかな目でその狂乱を見つめていた。
私の着ているドレスは、何度も繕い直されてすっかり色褪せ、裾のレースもほつれている。
かつての華やかな貴族令嬢の面影はないが、今の私に見栄を張る余裕などないし、その気もない。
(あの熱狂、まさにチャートの天井。実需を伴わない投機熱の末期症状ね……)
狂騒の群衆を眺めながら、私の脳裏に前世の記憶がまざまざと蘇る。
日本という国で、何十年も相場の波と格闘してきた私。
モニター越しに数々のバブルとその崩壊、そしてそれに呑まれて消えていった人々を見てきた。
今、目の前で起きているこの異常な価格高騰は、かつて私が歴史の資料で読んだ1637年のオランダ――『チューリップ・バブル』と全く同じ構図だ。
価値の裏付けがないまま、ただ「値上がりしているから買う」「もっと高く売れるから買う」という欲望だけで膨らみ続ける市場。
実体のない期待値に踊らされ、最後はババ抜きのように逃げ遅れた誰かがすべての負債を抱えて破滅する。
時代が変わり、世界が変わっても、人間の欲望という本質が変わらない限り、この悲劇は必ず繰り返されるのだ。
それに、私は知っている。
あの魔力草の「本当の価値」を。
実家が没落し、住み込みの働き口すら見つからず、明日のパンすら買えなかったある日のこと。
私は空腹に耐えかねて、市場の裏通りに「観賞用の基準を満たさない」として無造作に捨てられていた魔力草の、枯れた根っこを拾い集めた。
毒があるかもしれないという恐怖よりも、飢えが勝っていた。
泥を落とし、念のために何度も茹でこぼしてアクを抜き、見よう見まねで作った和風っぽい出汁でじっくりと煮込んで口にしたときの、あの衝撃。
ホクホクとした食感はまるで極上のゆり根のようで、滋味深い旨味と優しい甘さが、冷え切って強張っていた身体の隅々にまで染み渡った。
それだけではない。
その根を煮込んだとろみのある汁に触れていた私の手は、数日のうちに驚くほど滑らかになり、栄養失調でガサガサに荒れ果てていた頬までもが、まるで生まれ変わったように内側から艶を取り戻したのだ。
(皆、花びらの珍しい色や形にばかり価値を見出しているけれど……本当に価値があるのは、見向きもされずに足元に捨てられている『根っこ』の方なのよ)
投資において最も重要なのは、大衆の熱狂に流されず、対象の「本質的な価値」を見極めること。
市場は欺けても、自ら泥水をすすって得た実体験と、私の胃袋と肌は騙されない。
いつ弾けるかもわからない風船を奪い合う群衆を後目に、私はそっとその場を立ち去ろうとした。
その時だった。
「頼む! これで……この金貨で、買えるだけの魔力草を譲ってくれ!」
切羽詰まった、しかしどこか品の良い声に視線を向けると、取引所の中心に一人の青年が立っていた。
上質な生地だが明らかに古びた騎士服。
整った顔立ちには疲労が滲み、その真っ直ぐな瞳には、痛々しいほどの焦燥と悲壮感が入り混じっている。
ライナス男爵だ。
領地の不作で苦しむ領民を救うため、彼は男爵家の全財産――おそらくは最後の軍資金をかき集め、この一攫千金のバブルに賭けようとしているのだ。
悪徳ブローカーたちが、格好のカモを見つけたとばかりに、下卑た笑いを浮かべてライナスを取り囲む。
「お目が高い! 男爵様、この赤斑の品種なら明日は倍、いや三倍になりますぜ!」
「さあさあ、早い者勝ちだ! 買わないなら他の奴に売っちまうぞ!」
ライナスは震える手で、ずっしりと重い革袋をブローカーに差し出そうとしていた。
(……駄目よ。今は絶対に買い時じゃない。それはもう、針先が触れる寸前の風船だわ)
思わず駆け寄りそうになった足を引き留め、私はすんでのところで言葉を飲み込んだ。
今、私が彼を引き留めたところで、この熱狂の渦中では誰の耳にも届かない。
それに、見すぼらしい無一文の没落令嬢の忠告など、領民の命運を背負って焦り切った彼の心には響かないだろう。
残酷だが、相場というものは一度完全にクラッシュし、すべてが焼け野原にならなければ、人は決して冷静さを取り戻せないのだ。
「……待っていてください、男爵様。必ず、底値で私があなたを救い出して差し上げますから」
誰にも聞こえない声でそっと呟き、私は踵を返した。
もう間もなく、この王都に阿鼻叫喚の嵐が吹き荒れることを、私は誰よりも確信していた。
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