第99話:燃え移る境界
俺とカイナは再び向かい合っていた。
今回は俺が火を維持しながら拡散の範囲を広げ、
カイナが内側から侵蝕する。
「ッく……」
「……」
だが俺の火は一切揺るがず、ゆっくりと範囲を広げていく。
カイナは必死に崩そうとするが……、
むしろその力は俺の火に吸われ、育てるだけだった。
「炎よ燃え上がり、すべてを焼き尽くせ!」
次第にカイナの詠唱も何か物騒なものになってきた。
火はまた一段と大きくなり。
周りとガレスの視線が俺達に集まり始めた。
(ここまでだな……)
「ッ……、消したな……しかも一緒に……」
「……対消滅しただけだ」
その時だった。
「……なるほど」
声。
よく通る。
振り向く。
レイヴァルトだった。
白服を従えたまま、
こちらを見ている。
視線はカイナには向いていない。
真っ直ぐ、俺だけを見ていた。
一歩、前に出る。
「分類不能の無色」
間。
「だが、火をそのレベルで使うとは」
静かな声。
感情は薄い。
だが、見ている。
測るように。
「その上で」
視線が、俺とカイナの間を一度だけ動く。
「カイナを押すか」
空気が、わずかに張る。
カイナが目を細める。
「……レイヴァルト、まだ授業中だぞ」
「ああ、だからこそだ」
レイヴァルトは即答した。
「カイナ、お前の火は知っている」
短く言う。
「少なくとも、我々の中で下ではない」
そう言って俺を見る。
「それが押されるなら、俺も見る必要がある」
沈黙。
カイナの眉がわずかに寄る。
「気に入らないな」
小さく言う。
「だが、言いたいことは分かる」
そのまま、俺へだけ視線を向ける。
「……悪いが、付き合ってくれ」
それだけ言って、一歩下がった。
白服の二人がわずかにざわつく。
だが、誰も口は挟まない。
レイヴァルトが前へ出る。
「代われ」
短い言葉。
俺は何も言わない。
その時。
「私闘は許さん」
ガレスの声。
全体の空気が止まる。
教壇側からではない。
いつの間にか、
すぐ近くまで来ていた。
赤い帯が静かに揺れている。
ガレスは一度だけ、
俺とレイヴァルトを見た。
「だが」
少しだけ間。
「性質確認の範囲内なら構わん」
視線が、床の刻印陣へ落ちる。
「壊すな」
短く言う。
それだけ。
止めない。
許可でもない。
だが、
誰も止められない空気になった。
レイヴァルトが、わずかに顎を引く。
「許可が出た」
そして、俺を見る。
「無色……、エア」
その呼び方。
俺は小さく息を吐く。
「何だ」
「お前の火を見せろ」
静かな声だった。
「力が本物ならば、やはり……誤った場所に置いておくのは惜しい」
ほんのわずかに目を細める。
「それとも、カイナ相手だから通じただけか?」
挑発。
だが、安い言い方ではない。
ただ、試している。
俺は棒を握り直す。
「やれば分かる」
それだけ言う。
白服の周囲が、さらに静まる。
離れた場所で、
パコダが「おいおい」と小さく漏らした。
ユーリスも止まっている。
杖を握ったまま、
こちらを見ていた。
ガレスが一歩下がる。
「始めろ」
声が落ちる。
――空気が変わる。
レイヴァルトは杖を抜き。
杖を構え、右手を前へ出す。
先に、火が灯る。
小さい。
だが――
密度が違う。
(こいつも、少しは分かっているらしい……)
カイナより洗練されている。
補助を重ねる前提ではなく、
最初の形がすでに深い。
レイヴァルトが言う。
「先に行け」
「ほう?」
「そちらが見たいのだろう」
間。
「私は受ける」
短く返す。
「そうか」
俺は棒を軽く振る。
「燃えろ」
俺の火が、レイヴァルトの火へ触れ。
重なる。
カイナの時と同じ形。
だが――
「……」
止まる。
入らない。
レイヴァルトの火は揺れない。
弾かない。
だが、通さない。
内側へ滑り込もうとする俺の火が、
表面で受け止められている。
(……ほう)
わずかに感心する。
ただ固いわけじゃない。
奥まで繋がっている。
最初から、内側まで意識された形。
レイヴァルトが小さく言う。
「どうした」
余裕はない。
だが、落ち着いている。
「カイナの時のようにはいかないな?」
静かな挑発。
「……なるほどな」
ぽつりと落とす。
レイヴァルトの目がわずかに細くなる。
「理解したか」
「少しはな」
短く返す。
「最初から閉じている、ちゃんとお前の火になっている」
俺は火を変える。
そのまま密度を上げる。
圧を上げる。
「っ――」
レイヴァルトの肩がわずかに動く。
火が一段、重くなる。
外側が乱れ始める。
だが――まだ崩れない。
「……来い」
低く言う。
火を受けながら、
そのまま立つ。
正面から受ける構え。
(なら望み通りに)
さらに押す。
だが押し込まない。
中へ。
そのまま密度だけを上げていく。
「――留まれ」
レイヴァルトが詠唱を落とす。
火の熱が、密度が上がる。
一瞬、俺の火が止まる。
(動きは……速いな)
カイナよりも早い。
対応が的確だ。
だが――足りない。
俺はそのまま火を回す。
押さずに。
削らずに。
絡める。
今度は解くのではなく、相手よりもさらに熱くする。
「……っ」
レイヴァルトの表情が変わる。
ほんの一瞬。
火の奥で、揺れた。
(崩れたな)
そのまま、更に熱を強く。
少しずつ。
静かに。
「――崩れるな」
再び詠唱。
今度は深い。
火が内側から締まる。
外ではない。
中を固めにきている。
(……ここからか)
だが、俺はただ“重ねる”。
レイヴァルトの様に層を増やさない。
ただ、純粋な火を呼び起こす。
「……何をしている」
レイヴァルトの声が低くなる。
理解できていない。
だが、感じている。
火が重くなっていることを。
「――支えろ」
詠唱が続く。
今度は明確に補助だ。
外からではなく、
内と外を繋ぐように、
全体を持たせる。
(……いいな)
だが、もうそれは違う。
すでに俺の火は、
レイヴァルトの火すらも燃やしている。
「……っ」
レイヴァルトの顔色が変わる。
余裕が消える。
火が揺れる。
「まだだ……ッ」
低く言う。
詠唱を重ねる。
「崩れるな……!」
火が踏みとどまる。
だが――
繋がりが乱れる。
一箇所。
そこからいっきに主導権が変わる。
「――っ」
レイヴァルトの目が見開かれる。
次の瞬間。
火が、歪む。
火の燃え方が整ったものから、
焚き火に揺らぐ柔らかい火に変わった。
「……まさか……奪われた……」
ぽつりと落ちる。
理解した顔。
「入りこまれてもいない……更に燃やしたのか……?」
言い切る前に。
火が、静かに――消えた。
沈黙。
訓練棟が、止まる。
レイヴァルトが、
その場でわずかに息を吐いた。
明確に負荷を受けていた。
「……ありえない」
初めてはっきりと理解不能を浮かべる。
後ろの白服たちも動けない。
ありえないものを見る目だ。
俺は何も言わない。
そのまま、立っている。
レイヴァルトの呼吸が一つ乱れる。
次の瞬間だった。
「――炎よ」
低い詠唱。
短い。
だが、迷いがない。
杖が振られる。
火が走る。
一直線、躊躇がない。
狙いは――俺。
周囲がざわつく。
悲鳴に近い息が漏れる。
「レイヴァルトッ!」
ガレスの怒声が飛ぶ。
だが、それより先に。
壁に掛けられた照明用の火が、
一斉に揺れた。
訓練棟の四方。
鉄の燭台に灯る小さな火。
普段なら誰も気に留めない、
ただの明かり。
その全てが――
ぶわっ、と立ち上がる。
まるで生き物みたいに。
細く、鋭く、
一斉にレイヴァルトへ向いた。
「……っ!」
白服の一人が息を呑む。
ガレスの目が見開かれる。
レイヴァルト自身も、
一瞬だけ動きを止めた。
(……やめろ!ッ)
念じる。
命じるより早く、
ただ、抑える。
立つな。
行くな。
それ以上は、いらない。
その瞬間。
壁の火が、ぴたりと止まる。
伸びかけた火が、空中で消える。
次いで、
何事もなかったみたいに、
元の小さな灯へ戻っていく。
静寂。
その間に、
レイヴァルトの火も。
同じように触れる直前で、
ふっと消えた。
誰も動かない。
一瞬前までのざわめきが、
まるで嘘みたいに消えていた。
「……レイヴァルト」
ガレスの声は、
低く沈んでいた。
怒鳴ってはいない。
だが、それが逆に重い。
「何をした」
レイヴァルトは答えない。
杖を持つ手が、
わずかに強く握られている。
視線は俺から外れない。
「……確認だ」
静かに言う。
「必要だった」
ガレスの目が細くなる。
「授業中だ」
「承知の上だ」
「私闘は禁止したはずだ」
「理解している」
レイヴァルトは短く答えた。
声は静かだった。
だが、さっきまでとは違う。
感情を押し殺している。
「罰なら受ける」
そして、なんの感情もなく言葉を紡ぐ。
「それでも、今ここで確かめる必要があった」
白服の後ろで、
誰かが小さく息を呑む。
ガレスの視線は冷たい。
「何をだ」
低い声。
レイヴァルトは、まだ俺を見ている。
一度も逸らさない。
「お前達には、関係のないことだ」
それだけ言う。
「……エア」
俺の名をまっすぐ呼ぶ。
「お前は危険だ……」
訓練棟の空気が、
また一段、静まり返る。
「分類不能でも、混合でもない」
少しだけ間。
「もっと別の何かだ」
その目は、
もう敵意だけではなかった。
恐れ。
警戒。
理解不能。
それでもなお、
切り捨てずに見極めようとする目。
「ここに捨て置けば、なおさらだ」
そこまで言って、
初めて視線がわずかに揺れた。
「……だから、もう一度だけチャンスをやる」
ぽつりと落とす。
「正しい場所に来い」
そこでガレスはレイヴァルトの前に立ちふさがる。
赤い帯だけが静かに揺れ、
やがて、低く言う。
「レイヴァルト、下がれ」
レイヴァルトはすぐには動かなかった。
だが、やがて――
ゆっくりと杖を下ろした。
「……分かった」
短く返す。
一歩、下がる。
その動きにようやく、
訓練棟全体の空気が少しだけ戻る。
その瞬間だった。
「エア!」
パコダの声。
土煙みたいに荒い足音で、
こっちへ駆けてくる。
耳が立っている。
完全に警戒した顔だ。
「大丈夫かよ!?」
その後ろから、
ユーリスも来る。
杖を握ったまま。
顔色が変わっていた。
「……エア」
今度は、“さん”はつかなかった。
短い呼び方。
それが逆に、
焦りを強くしている。
「怪我は?」
「ない」
短く返す。
パコダが露骨に息を吐く。
「ならいいけどよ……」
それでも視線はレイヴァルトから外さない。
いつでも飛び出せる姿勢だ。
ユーリスも同じだった。
俺を見て、
壁の燭台を見て、
もう一度俺を見る。
言いたいことが多すぎて、
言葉になっていない顔。
「……今の」
小さく漏らす。
「見たか?」
パコダが先に低く言う。
「おまえ……何したんだ?」
聞いたのはパコダだった。
俺は少しだけ、
壁の火を見る。
もう何事もなかったみたいに、
小さく揺れているだけだ。
「知らん」
短く返す。
パコダが眉をひそめる。
「は?」
「壁掛けの火…勝手に動いたぞ、あいつか」
それだけ言う。
ユーリスの喉が、わずかに動く。
「……そういうこと、ですね」
言いかけて、止まる。
それ以上は言わない。
ガレスが全体へ向き直る。
「授業は終わりだ」
低い声。
「今日はここまでにする」
ざわめきが戻る。
だが、いつものざわめきじゃない。
皆、どこか上ずっている。
視線が残る。
白服も、
他の生徒も。
俺を見る目が、
明らかに変わっていた。
レイヴァルトはそれ以上何も言わない。
ただ、去る前に一度だけ足を止めた。
振り返らないまま、言う。
「エア」
「何だ」
「拒むのなら……次は、確かめるだけでは済まん」
静かな声。
脅しではない。
確認でもない。
宣言だった。
そのまま、
白服を連れて去っていく。
白い背が遠ざかる。
訓練棟に、
遅れて息が戻る。
だが――
視線だけは残っていた。
白服も、
他の生徒も。
レイヴァルトの最後の言葉が、
まだ耳に残っている。
『次は、確かめるだけでは済まん』
小さく息を吐く。
(遅かれ早かれとは思っていたが……面倒だな)
視線だけ、壁の火へ向ける。
何もなかったみたいに、
静かに揺れている。
(……本当に)
小さく息を吐く。
(手間のかかる……)




