★第60話 まってるね
「ありがとう、ギリアムおじ様」
朝日がまだ遠い深夜。
生ぬるい風が頬を撫でていく。
あれほど胸や背中に感じていた切り傷の痛みは消え、嘘のように調子が良かった。
アイリスは金色の髪を手でかき上げ、胸の中のリンナへと問いかける。
「リンナ、大丈夫?」
『どうやらギリアムおじ様の治癒術で、現世に戻れたようだな』
「うん、治癒師って瀕死の人を全快できるほどのスキルがあるんだね。
いくら感謝しても足りないよ」
『理屈は私も分からないが、ギリアムおじ様が優秀だったとしか思えん――そのせいか、今は表にも出れるしな』
「変わる?」
『ああ、起きたところ悪いが――私が決着を付けねばならない』
マキナ=ドールは、かつてクロノ・クロノスの同期だった。
大人しく引っ込み思案だった性格もあり、リンナが面倒を見てきた。
そのせいか、お互いにどこかで通じている気がしていた。
「リンナ、大丈夫?」
『怯えても踏み出す時さ』
自分に言い聞かせるように、胸の内でアイリスとハイタッチを交わして主人格を交代する。
足元にはわずかな意識を残したマキナが仰向けに月を見上げていた。
憎々しげな顔で、目には涙を浮かべ、唇を強く噛んでいる。
両手両足は再生できず、頭以外の身体はすでに崩れかけていた。
「なぜ……なぜ……腕を持ってこい、脚を運べ……聞こえんのか……」
口から洩れる弱々しい声には闘志が宿っているが、それも今では虚しく響くだけだった。
「ギリアムおじ様の……私の仲間が洋館内のゴーレムたちを殲滅したんだろう。
遠くにいてもお互いがやるべき最善を尽くした結果だ」
リンナが静かに語りかけても、マキナはうめくような声しか出せない。
唇が震え、瞳は『なぜ指示もないのに……』とでも言いたげだった。
「彼女たちはギリアムおじ様を信頼し、こちらを任せた。
そしてギリアムおじ様は、彼女たちならば、後方支援を果たすと信じた――不思議なことはない、いつも通りだからさ」
日々の会話、戦場での共闘、積み重ねた信頼。
それがクランの力だった。
普通のクランは、マスターが細かく指示を出し、仲間を手足のように動かす。
だが――ギリアムはその逆だった。
リンナは口元を緩め、うつ伏せに気を失っているギリアムを見つめた。
まるで静かに眠る英雄のように、穏やかな顔だった。
「マキナ。
シェードは強かったな。
どんな武器も扱えて、魔術も一人で全て使用できる才能があった」
頷くことすらできないマキナの隣で、リンナはそっと腰を下ろして膝を抱えた。
「軍略にも優れ、的確な指示で幾多の戦場を攻略した。
人を惹きつける妙な魅力があり、発する言葉はすべて真実とさえ思えた」
あれほどの男、今後、世に現れることは無いだろう。
「人の悩みも全て受け止め、解決し、クロノ・クロノスが崩壊しても、ユウヒやマキナを惹きつけた……」
リンナは膝に口元をうずめ、ぽつりと続ける。
「――だがな。シェードの悩みは誰が聞いたんだろうな」
その言葉に、マキナの瞳孔が大きく揺れた。
涙を流すことも叶わず、崩壊の時がすぐそこまで迫っている。
リンナは思案する。
思うに、彼の死は――。
いや、憶測にすぎない。
それでも、あの時、怪しい影はいくつもあったはずだ。
「シェードの死の理由は、今となっては推測しかできない。
だが命は燃え尽きたんだ。
死者の想いを背負ってとか、前を向いて生きて欲しいとか、綺麗ごとは言わん。
だがこの時間を生きる者ならば、死を受け止め前に進む他、なかろう」
リンナ自身、シェードの死を受け入れたわけじゃない。
愛着のあったクランの崩壊を納得したわけじゃない。
だが、時は進み、関わる人間も変わっていく。
「ひとりだけ、いじけていたら――見える景色も逃してしまう、そうだろう」
リンナはマキナの頭部に手を伸ばし、そっと撫でた。
感触は人の髪に似ていたが、指先に伝わるのは、どこか人工的な冷たさだった。
「……もう助からんのだろう?」
問いに、マキナの瞼が静かに閉じられる。
「そうか、三百年を生きてこれたのは情念の意思。
マキナの選択は――」
閉じられた瞳は、もう二度と持ち上げられることがないほど重そうだ。
穏やかな子供のような寝顔に、かつての少女の面影が重なる。
「リ……リンナ……お姉ちゃん」
「マキナ」
リンナは崩れゆく頭部を、そっと抱きしめた。
「ごめんね、やつあたり……して……。
さきに……シェードのところで……絵を描いてる、ね」
魔術が底をつき、激情も消えた今。
マキナの身体は、長い年月を一気に取り戻したかのように、脆く崩れ始めた。
止まっていた時間が、ようやく動き出す。
そして――頭部は、岩が崩れるように静かに砕け散った。
残ったのは、ひとつの静寂。
それは悲しみではなく、新たな始まりを迎える静かな夜だった。
【カクヨム】
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