第59話 マキナが欲しかったもの
月光を反射して青白く煌めく刃は、百五十センチを超えていた。
僅かに湾曲し、刀身は高く頭上に掲げられる。
重心を低く落とし、間合いに入った者を頭上から叩き切るための構えだ。
「剣聖のリンナ君は愛剣を七つ持っていた。
その内の一つが、この風切り燕。
シェードならまだしも、素手の治癒師では何もできまい?」
マキナが右手を上げた瞬間、空間を裂くような音が襲いかかってきた。
俺は半身でかわす。
地面には五本の線が刻まれ、大地が深くえぐれる。
「……しかも私の攻撃は見えない。
君程度の者がクロノ・クロノスのメンバーを引き連れているだけでイライラするよ」
吐き捨てるような声。
嫉妬と怒りが混じり合い、激情が彼女の魔力を乱す。
両手を振り抜いた瞬間、視界が十字に歪んだ。
一歩踏み出してかわすと、風切り燕が頭上から振り下ろされる。
「二度と既に枯れたオッサンが『クロノ・クロノスのようになりたい』などと、世迷言を言うんじゃない――!」
――ガンッ。
「な……」
避けることはできた。
だが俺はあえて避けなかった。
漏れ出した血が腕から伸び、硬化して十センチほどの刃を三本形作る。
それらが、多角的に打ち込まれた斬撃を受け止めていたのだ。
「マキナさん。
俺から話すことはもうないし、俺のことはどう言ってもいい。
ただ――早くアイリスの元に行きたいんだ」
四十代で新クランなんて、一般的には無謀な挑戦と取られる。
むしろオッサンが何かに挑戦したり夢見たりすれば、笑われるのが常だ。
「嫉妬なんかに巻き込まれて、クランメンバーを殺したくない」
余計な情を捨て、心を静める。
終わらせるべきだから、終わらせるだけだ。
「偶然受け止めたわりに偉そうなことを――!」
言葉が届くより早く、リンナゴーレムの野太刀が再び唸りを上げる。
「【ブラッドメイル起動:モード - チェイン】」
暗黒騎士の禁忌スキル。
赤黒い鎧が足元から這い上がり、俺の身体を覆っていく。
血と鉄の匂いが充満し、紅の兜が頭部を包んだ。
命を断ち切る野太刀が首を狙うが、刃はブラッドメイルの装甲を砕けず、弾かれる。
「刃を通さぬだと……!?
ならば、これなら――!」
幾度となく繰り出されてきた見えぬ爪が襲う。
だが、そもそも見えていないわけではない。
ただ相手にする価値がなかっただけだ。
月明かりにきらめく、細く繊細な糸を右腕で束ねて掴む。
「黄金すらも断ち切る糸を掴むだと――指は捨てたようだな!」
マキナが叫ぶより早く、俺はその糸を引き、勢いのまま地面を蹴る。
リンナゴーレムが構えるより先に、ブラッドメイルの背から幾重にも鎖が生まれ、彼女の体を絡め取って――握り潰した。
「ひ――」
人の形をしていたものを、躊躇なく圧殺した。
その光景にマキナの足が止まる。
「来るな――お前は何なんだ……?
なんだその強さは……?」
強さと言われても俺もよく分からない。
しいて言えば、怒りだろうか。
誰も守れなかった己への怒り。
俺が受けたように、クランで息苦しさを覚えてもらいたくない。
「メンバーを守りたいかな、月並みだが」
俺の返答は聞かず、マキナの瞳は既に正気を失っていた。
まるで三百年間溜めてきた、鬱憤がついに爆発したかのように。
「何故、ここに踏み込んだのがシェードじゃないんだ!
死ぬなら死ぬっていえ!!
幸せなクランを私に見せるな――わたしはまだ、クロノ・クロノスで一緒にいたかったんだ――!!」
見えぬ糸を乱暴に振り回すが、ブラッドメイルの鎧には傷一つ付かない。
「ゴーレムマスタースキル【人形:魔力強化】【人形:速度強化】【人形:耐久強化】!!」
マキナの肉体がひび割れ、全身を巡る魔力が黒い線となって浮かび上がる。
もはや人ではない。
まるで森に棲む呪術師のような異形の姿だった。
「スキル【ゴーレム:アーム】!」
地面に手を付いた瞬間、土が盛り上がり、巨大な岩の手が二本、地の底から突き出した。
俺の頭上に巨大な影が落ち――虫を潰すように、振り下ろされる。
――ダンッ!!!
本来なら、潰されて終わりのはずだった。
だが潰されやしない。
先に砕けたのは、ゴーレムの腕のほうだった。
強くなると誓ったあの日から、他人の激情に殺されないために力を鍛えてきた。
俺は、ただ腕を組んだまま仁王立ちする。
「は、反撃すらしないのか、何故だ、何故――!」
泣きじゃくる子供のように、マキナが突進してくる。
目で追えぬほどの速度で拳を振るい、何度も、何度も、ブラッドメイルを殴りつけた。
ゴーレムマスターのスキルで、背中から四本の腕を追加し、合計六本の腕が俺を殴打する。
「死ね、死ね、死ね、死んでくれ!!
三百年生きて、仲間を待っていた私の怨念で、死んでくれ――!!」
マキナが取り付けているゴーレムの腕は砕け、白い人工体液が飛び散る。
骨は砕け、肉は落ちた。
蹴りを入れれば、脚は衝撃に耐え切れず、人とは思えぬ方向に曲がる。
それでも、彼女は膝をつきながら拳を振り上げ続けた。
「絶対に、シェードの帰る家を守るんだ……!
わたしは、認めない。
クランメンバーが離れても、わたしだけは、わたしだけは、あなたが帰ってくるまで信じて生きる――!!」
彼女の声には、怒りよりも哀しみが混じっていた。
だがすでに身体を巡る魔力は底をついている。
両手両脚が崩れ、支えを失った人形のようにその場に崩れ落ちた。
「リンナもユウヒも、なんで力を貸してくれない……どうして、どうして……」
残る魔力を必死にかき集め、地面の土から己の四肢を再び作り出そうとする。
だが指先からぽろぽろと崩れ、動かせるほどの強度を保てない。
――これほどまでの執念。
それが、彼女をここまで追い詰めてしまったのだろう。
彼女に必要なのは俺の声ではない。
きっと、あのとき彼女が待ち続けた“誰か”の声でなければ、何も届かない。
俺は彼女を追い抜き、意識を失っているアイリスへと駆け寄った。
顔色は悪く、失血によって命の灯が消えかけている。
「アイリス、今助ける」
彼女の力ない手を握り、禁忌スキルを発動する。
「【ブラッド・リザレクション】」
俺を包んでいたブラッドチェインが生命力へと変換され、腕を通じて彼女の身体へと流れ込んでいく。
暗黒騎士が持つダークヒールの応用だ。
こちらは寿命を分け与えるようなものだが――オッサンの命より、若い命のほうが価値があると思える。
「ごほっ……げほっ、ギ、ギリアムおじ様……?」
うっすらと瞼を上げた彼女を見て、何かを言おうとしたが――。
やばい、失血しすぎた。
視界が黒く染まり、地面に倒れる音すら聞こえない。
ただ、ほんの少し安堵を残して、意識は闇に沈んでいった。
【カクヨム】
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