第36話 あの日の村のようには。
「うぐ……飲み込まれる」
必死にもがくほど、泥沼のような力が身体を絡め取り、沈めていく。
手も足も重く、自由が削ぎ落とされていく感覚。
『【ヘルファイア】――』
「おいおい、追い打ちする気か……!」
『沈むだけでは安心できんだろう?』
魔界の業火を呼ぶために、膨大な魔力が練り上げられていく。
宙に走る魔術文字は炎のように燃え、渦を巻きながらバフォメットを囲んだ。
「……使うしかない」
この窮地を抜けるには、ただの力では足りない。
ブラッドメイルスキルのモードチェイン――禁忌の切り札。
『命のやり取りは呆気ないものだな、老戦士』
『オッサンってやつは、泥をすすってでも……しぶとく生きるのが得意でね』
己の血肉を代償に暗黒騎士の力を限界を超えて引き出す禁忌。
視界が赤に染まり、瞳が深紅へと変貌していく。
発動――。
"――赤い鎧は使わない方が……いえ、使わないでください"
脳裏に蘇るアイテールの声が、刹那、決意を揺さぶった。
一瞬の迷いが、発動を鈍らせた。
己を犠牲にするのには慣れてるはずなのに、アイテールの他にも、クランメンバーの顔が脳裏を過ってしまった。
『三度目は私の勝利だ。
次に出会う四度目の勝負はどうなるか――』
バフォメットの嗤い声とともに、ヘルファイアが放たれる。
着弾した黒炎は地を抉り、天へと直線の柱を築き上げた。
灼熱は海を燃やし、船も倉庫も瞬く間に黒炎に呑み込まれていく。
『……おっと、人間では再戦できんか』
勝利を疑わぬ嘲笑を残し、バフォメットはその場を去ろうとする。
月光と黒煙に覆われた世界――その中で、なお俺は動いた。
『な……なぜ……疑似的とはいえ、魔界の身体だぞ……!?』
バフォメットは自らの胸を見下ろした。
闇で刃が構成された両手剣は、深々と心臓を貫いている。
俺の背後には走ってきたのであろう。
激しい息切れの声がする。
「アイテール、俺にヒールを掛けまくってくれ!」
「は、はい! 今日だけ、今日だけ無茶は許します!」
「ドロシー、そのまま放て!」
「……うん」
鎌を象る風刃が、唸りを上げて飛び、バフォメットの首元に突き刺さった。
『く……くかかかかっ、浅いぞ、人間』
俺は胸から剣を引き抜く。
その遠心力を殺さず、刃を一閃――首元へ叩き落とす。
俺が流し込む闇の魔力に耐え切れず、暗黒剣は粉々に砕け散った。
『【ダークスラッシュ】――これは打ち合いしてなかったな』
ゴロンッ。
チーズを切るかのように、あっさりと首は落ちる。
だが――首が落ちた程度で、悪魔は死なない。
「アイテール、治癒師の力でこいつを消滅できるか」
「ふええ、無理ですうう!」
落ちた首はなおも蠢き、肉を這わせて身体を再構成しようとする。
『女ども……男の願望から抜け出してきたのは褒めてやる。
だが――殺す術がなければ同じだろう?』
――ザクッ。
赤い布を纏った小槍が、音もなく飛び、バフォメットの眉間を貫いた。
『おい……おいおいおいおい、おいおいおいおい、何をした!!?』
動揺に歯止めを失った声。
悪魔の身体は砂の城のように崩れ、ボロボロと崩落していく。
『ま、待て……まてまてまてまて!!!
私の身体が……消える、消えるのかあああ!!!』
「これは、信仰深い私しか扱えない秘密道具【運命の槍】だよ。
やっぱり悪魔には絶大だね、もちろん聖者にもだけどね」
黒煙の帳が裂け、そこに現れたのは幼い少女だった。
瞳の奥で四葉のクローバーが輝く。
『暗黒騎士……!!!
まだ仲間を隠していたのか、この悪魔が……!!
な、なんだ、なんでなんでなんで、死んでしまう、終わってしまう!!』
悪魔を滅ぼせるのは、聖女のみ。
その絶対の理を、この瞬間に初めて知る。
「やぁっと見つけたから、死んじゃえ、死んじゃえ。
私の村で死んだ人は、もぉぉっと、死にたくないなーって思ったはずだもん」
バフォメットの口はもう声を紡げない。
残されたのは、消えゆくその瞳に宿る原始的な恐怖だけ。
数秒後――灰となり、完全に世界から消滅した。
「これで二体目……っと」
少女は最後に残されたバフォメットの眼球を大切そうに拾う。
胸の巨大な十字架へと押し込むと、まるで吸収されるように吸い込まれて消えた。
「じゃ、フィナーレと行こうよ。
私が悪魔の王を倒した、ここポイントね!」
彼女は愛くるしい笑みを浮かべ、女神めいたウィンクを俺に投げかけた。
【カクヨム】
https://kakuyomu.jp/works/16818093086666246290
※最新話 毎日 7:17 に更新中!
※カクヨムが先行して配信されています。
小説家になろう様をはじめ、カクヨムでも感想、レビュー、★評価、応援を受け付けておりますので、お気軽にいらしてください!




