第二十八話:試される愛、愛と安寧の天秤
ヴァルガス帝国からリアム・オーベロン王子が来訪したことは、アルフレッドの裏切りとゾラの襲撃で混乱するアークランドに、さらなる波紋を与えた。
リゼットは、突然現れた婚約者候補を前に、心の整理を付けられそうになかった。
ゾラに拘束され、命の危機に瀕した時、リゼットを救ったのはディオンだった。自らの危険を顧みず、師であるアルフレッドを乗り越え、手を差し伸べてくれたその姿に、リゼットの胸はこれまでにないほど強く高鳴った。
「私、ディオンが好き――」
子供の頃からディオンは常に自分の側にいてくれた。だから、彼のことを深く考えたことがなかった。気心の知れた幼馴染だとずっと思っていた。しかし、彼は命がけでリゼットに寄り添い、危機には必ず助けに来てくれた。ディオンはリゼットにとって、たった一人の大切な光になっていたのだ。
「でも……」
自分の気持ちに気がついてしまっても、その思いに素直になることは許されそうになかった。柔らかな笑みを浮かべるリアム王子の顔が脳裏をよぎる。
ヴァルガスとの戦争を回避し、国の安寧を守るために、王女としてしなくてはならないこと。リアム王子との政略結婚は、守りの要だった騎士団長を失い、軍事的に劣るアークランドに必要な策だった。
リゼットは唇を噛み締め、そっと瞳を閉じる。自覚したばかりのディオンへの愛情を表に出すわけには行かない。リゼットは、自ら気づかないふりをして、そっと心を閉ざすしかなかった。その胸の奥で、ディオンへの愛は、公的な責任という重い鎖に繋がれたまま、深く沈んでいった。
王への報告を終え、応急処置とはいえ傷の治療を受けたディオンは、宿舎の自室に戻っていた。その肉体の傷よりも深く、彼の心を苛んでいたのは、ヴァルガス帝国のリアム・オーベロン王子の言葉だった。
『リゼット王女殿下。お変わりなく。この度は、遠路はるばる参りました。どうか、ヴァルガスとアークランドの平和のために、私の申し出を受け入れていただければ幸いです』
ディオンは、その柔和で公的な言葉を思い出し、両手を強く握りしめた。
リゼットとリアム王子の婚約――軍事大国であるヴァルガスの申し出は、守りの要を失ったアークランドにとって、計り知れない大きな利を生む縁組と言えた。そして、何よりも重要なのは、アークランドと違い、ヴァルガスでは魔法が受け入れられており、リゼットの忌まわしいとされる異能も尊重されるだろうということだ。
ゾラたち強硬派の排除が前提条件になるが、リゼットの婚姻相手としてリアム王子は、公的にも、リゼットの個人的な安寧のためにも、理想的と言えた。
「私なんかといるより、リゼット様は幸せになれる――」
ディオンは、自分の出自や立場を鑑み、深く息を吐いた。記憶を失った騎士と王女という関係は、アークランドでは永遠に「異端」と見なされる。自分の愛よりも、リゼットの安寧を優先するならば、身を引くべきだ。
ディオンは、愛する者を遠ざけるという苦渋の選択をしようとしていた。その決断は、アルフレッドとの激戦よりも、彼の心を深く、鋭く切り裂いた。




