0‐03‐2 差し伸べられた手
「ねぇ、ナギサ、わたしのところへこない?」
いつの間にかうつむいてた頬に、ふわりと柔らかな暖かさを感じる。
視線を向ければ、《女神》の右手が頬に添えられていた。
言われたことの意味を上手く汲み取れず、透瑠璃色の瞳、透き通ったその光を見つめ返した。
「あの、《女神》様、今のお言葉は? それと今更ですが、今いるこの場所は?」
「ふふ。他所の“目”に邪魔をされたくなかったから、結界を張ったの。少しだけなら主もお目溢ししてくれるから大丈夫よ。それより時間があまりないの、ナギサ。
わたしのところへ来て、そしてわたしを手伝ってほしいの。代わりにあなたを迎える、新しい居場所を約束するわ」
なんだろう。恐れ多いほどに慈愛と神聖さに満ちた姿なのに、語り口は驚くほど気さくだ。
《女神》の言葉に、どこか別の場所に移動したわけではないことがわかり、何故か安心してしまう。張り詰めていた肩の力が抜けた。
だが、時間がないとは?
己があまりにも語ってしまったから?
それに《女神》は、理由も告げぬまま、己を彼女の世界に誘っている。
白い髪に紅い瞳。
痩せこけて青白い肌。
容姿が特別優れているわけでもなく、何か突出した能力があるわけでもない。
人目に晒されるのが恐ろしく、逃げ出すことしかできない弱虫な己を、神が直々に誘う理由がわからない。
「どうしてわたしを?」
「それは、また、いずれね」
ふふっと微笑みを浮かべると、《女神》は静かに、その透瑠璃色の瞳を己の紅い瞳に合わせてきた。
(え? それだけ?)
これだけで決めろ、と。
何があるかわからないのに……
理由もわからないまま、本当に決めてしまっていいのか?
——いや、何を躊躇っている。
よくよく考えてみれば、既に己で決めて“ここ”にいるのだ。
あの地獄から逃げ出せれば、どこでもいいと願って。
先に何があるかなど、まったく考慮せずに、衝動と勢いで決めて。
居場所を与えてくれるというのに、今さら何を躊躇する必要があるのだろう。……いや、本当はとても恐ろしい。もっと辛い世界かもしれない、何も変わらないここで良いではないかと、気弱な心が囁いてくる。
だけど、《女神》を手伝えば居場所がもらえる。
何を手伝えばいいのかわからない。きっと尋ねても、この微笑みからは答えがもらえないだろう。
だが、少なくとも、新しい世界に行ける。
また、異端視されるかもしれないが、場所が異なれば価値観も異なる。いっそ、まっさらな環境で、何かが変わることを期待したい。
ナギサは、左頬に添えられた《女神》の手をそっとはずし、両手で包み込む。
「居場所をください」
ナギサは透瑠璃の双眸に、静かに告げる。
《女神》はふわりと微笑むと、ナギサの両手を慈しむように包み返した。
「これからあなたが渡る先は“エイルタム”と言われる世界。
あなたには、わたしからの最大限の加護を与えましょう。
あなたはまだ気づいていないだけ。
その内に秘めた沢山の力が、今、まさに、芽吹く時を待っているのよ。
それらを活かすためにも、まずは学びなさい。
今はこれ以上お話をする時間がありません。次に会う時にお話しましょう」
《女神》が言葉を紡ぐ中、二人の間にある空気が震え、包まれた両手から光が溢れ出す。
溢れ出した光は、まばゆい光の奔流となって、二人を優しく、そして力強く包み込む。
その輝きが唐突に消えたあとには、薄暗い空間だけがただ広がっていた。




