3‐5‐9 しんい
瞼を開いたリュークの黄金の双眸には、先ほどまでの困惑はなかった。
代わりに宿っていたのは、静かな、けれど逃れようのないほどに濃密な熱だ。
「ナギサ……君は綺麗だ。君自身がどう思っていようと、君は美しいよ」
その静かで熱い言葉が、まるで神からの神託のように響く。
「白絹のような髪、紅玉のような瞳、ずっと触れていたくなるその白い肌。……君はこの僕の言葉も、他の者達からの賞賛も、まったく信用していないようだけど」
リュークは何を言っているのだろう。神託めいた厳かな口振りであっても、そんな嘘は言わないで欲しい。わたしが綺麗だと、お世辞でもなく美しいというのか。その言葉はリュークやローニャに相応しい。神々に当てはめるにはおこがましいというならば、クラーヴィアやセラスこそ美しい。
「向こうで辛い目に遭ったこと、それは消し去ることはできない。彼らは君の真価を理解できなかった奴らだ。だから、そんな奴らの事は忘れて欲しい。——もし君が望むなら、僕がすべて消し去ってあげてもいいんだよ」
記憶を消す。……昔は願ったこともあった。こんな忌まわしい記憶、無くなってしまえと。
だけど、この世界でリュークが平然と行う記憶操作。目の当たりにして、その結果を見て、これはやってはいけないことだと思った。
嫌なことも、忌まわしいことも、それは今の己を形作る一部、人との繋がりを創る一部でもある。
「君の魔力、白光の力。それらがあれば、無理に剣を握る必要なんてないんだよ。向こうでの不幸な出来事が剣への憧れなら、そんな悲しい理由で君の白い手を汚す必要はないんだ」
リュークはどこまでもナギサを甘やかそうとする。
けれど、それはナギサの「新たにやり直そうとする意志」を、真綿で首を絞めるように優しく否定していた。
「リュークは、……あなたはわたしに何を視ているのですか?」
絞り出した声は、自分でも驚くほど冷たいものだった。
「わたしが美しい? わたしの手が白い? そんな見え透いた嘘でわたしを惑わせないでください。神様ともあろうお方が、そんなにも審美眼を曇らせてどうするのですか」
言葉を口にしてから、自分の不敬さに指先が震えた。けれど……
「わたしは無力です。モリスの危機に対処できなかった。ニールさんがあの時手助けしてくれなければ、今頃どうなっていたか。
だから、わたしはもっと力が欲しいです。このやり直している時間に、大切な人を護れなくても、せめてその一助になる程度の力はつけたいんです」
——言ってしまった。
リュークのことは大好きだ、憧れている。けれど、それ以上にずっと、怖かった。
こんな己を綺麗だと持ち上げ、甘い檻に閉じ込めようとする彼の“想い”が。
今のリュークの言葉は、まるで護られていればいいと、己は何も考えずにリュークの掌の中に納まっていればいいと言っているようで、それが何より恐ろしかった。
「……君は、僕では不満だというのかい?」
刺すような冷気——
驚いて金の瞳を見返せば、そこにあった春の陽だまりのような暖かさは、塵一つ残さず消え失せている。
視線の先にあるのは、情け容赦なくすべてを凍土に変える、冬の吹雪。
リュークの瞳は、もはや“親しい商人”のものではない。
矮小な人の分不相応な望みを、冷ややかに見下ろす——神の眼差しだった。
押し潰されそうな神威を前に、ナギサは震える膝に拳を押し当て、必死に声を絞り出した。
「あの時……春宵宮で、リュークはわたしの意思を尊重する、って言ってくれましたよね? わたしが望み、わたしが剣を握ることは、あなたの尊重の枠には入れてもらえないのですか?」
そう、己の奥底に眠る異質な力——白光の力に怯えるわたしを励ましてくれたあの時。リュークは言ってくれたはず。やはり神の意思に沿わぬことは許されぬというのだろうか……
ナギサは凍てつく黄金の双眸から、決して目を逸らさなかった。
沈黙が、どれほど長く続いたのか。
「参ったな」
溜息のような、独り言のような一言が零れた。
刹那、凍てつく空気が霧散する。
冬の凍土から、一瞬にして春の陽だまりへ。金の双眸から刺すような冷徹さが消え、温度が戻っていく。
痛ましそうな表情が一瞬過った気がするが、今のリュークの表情はいつもの穏やかなものだった。
「姫君は、姫君のままではいてくれないんだね」
降参だと告げるように、リュークがふわりと、けれどどこか寂しげに眉を下げた。
「?」
リュークは何を言っているのだろう。わたしは姫君などではないと、何度言えばわかってくれるのか。
だけど、今の言葉はナギサの言葉を受け取ってくれたということだろうか。
「わかった。剣術を習うのは認めよう。……ただし、絶対に無茶をしないこと。剣は僕に用意させて欲しい」
続く言葉は意外なほどに、あっさりとしたもの。
もっと厳しい条件を課してくるかと身構えていたナギサは、心の中で小さく安堵の息を吐く。
「無理なんてしません。もともと向いていないのは理解しています。剣術を習うだけで、騎士を目指すわけではありませんから」
改めてリュークへ、剣術を習う目的を説明する。
目を閉じ、静かに己の話を聞いている彼の表情は、いつもの穏やかなもの。
「だから、わざわざ剣を用意していただくほどのことではないです」
騎士に憧れても、騎士になれるわけではない。剣士なんてもっと無理。
あくまでも、咄嗟の時、魔法が使えない時に無力でいたくないだけ。
「たとえそうであっても、中途半端な物を君に持たせたくはないんだ」
柔らかだった眼差しが、また真摯にナギサを見つめる。
深く静かな色合いは、真摯にナギサを気遣うものに見える。
「わかりました。剣はリュークのお言葉に甘えさせてもらいます。
でも、どんな剣を使うようになるか、はっきりするのは随分先になりますよ?」
ここは己が折れるところと、ナギサは頷いた。
その様子に満足したのか、
「さっ、早く夕食を片付けよう。ドナさんの目つきが、さっきから痛いんだ」
そう言葉を口にするリュークは、すでにいつもの“商人の顔”に戻っていた。
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次回更新は、5月18日を予定しております。




