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ヴィルディステの物語  作者: あるかな
【第三章】

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315/322

3‐5‐2 昼食会 インウィディア・ネビュラ

 


 会場の中央へと近づくにつれ、静寂は溜息のようなざわめきへと変わっていった。



「皆様、よく集まってくれました。本日は『聖の曜日』――本来ならば安息に充てるべき大切な日に、こうしてわたしの招きに応じてくれたこと、心から感謝いたします」


 クラーヴィアは広間をゆっくりと見渡すと、商人一人ひとりの目を見るかのように微笑みを深めた。その視線に触れた者たちは、まるで魂を見透かされたような錯覚に陥り、背筋を正していた。


「皆様がこのヴィルディステ聖国、そして大神殿へ寄せてくれる日頃の尽力は、決して忘れてはおりません。商いの火が絶えぬことは、国の平穏そのもの。今日この場が、古き知己ちきとの絆を深め、あるいは新たな縁を結ぶ、実り多き場となることを願っております。互いに言葉を交わし、よき商いの芽を育ててくださることを期待しています」



「ささやかではありますが、趣向を凝らした食事を用意させました。張り詰めた商いの才をしばし休め、心ゆくまで楽しんでほしいと思います」



 柔らかな笑みと共に、再び静寂が場に満ちた。



 どこからともなく、管弦の調べが流れはじめる。

 それを合図とするかのように、周りを埋め尽くす人々が一斉に会話を再開した。


(えっ?)


 妙に馴染みのある調べに、ナギサは暫しその音の流れに身を委ねた。

 この世界で聞き馴染んだ楽曲とは異なる調べ。

 ナギサがこの世界で学んだ音楽の講義や、大神殿内で耳にする聖歌とまったく異なる旋律である。

 リュートやハープの音ではない。ピアノやバイオリンを彷彿とさせる、あの繊細で複雑な重なり……

 今流れてくる音は、元世界で馴染んだクラシック音楽のようで。


 ——でも、どうして?

 この世界と元世界、旋律があまりにも異なって、講義ではとても苦労した。

 わたしの歌を聴いたウーラニア様も『珍しい』とおっしゃっていた。なのにこの漂う音色は。


 違和感を覚え、心の内ではモヤモヤとしたものが残る。だが、久しぶりの体に馴染む音色に、緊張がほんの少しだけ解けてくる気がした。



 心地よい旋律に耳を傾けながらも、ナギサはその間も目の端であたりの様子をうかがっていた。

 招待客や神官、さらには給仕や従者に至るまで、その場にいる全員がクラーヴィアの一挙手一投足を見守っていた。彼女の眼差しが自身に注がれないかと期待し、ねぎらいの言葉をその御口から直接賜れないかと待ち構えていた。

 故に、誰かに声を掛けることもなくクラーヴィアが結びの微笑みを浮かべると、招待客らの表情に、一瞬、落胆の影が差した。

 だが、たくましいと言うべきか。演奏が始まれば、弦の調べに合わせるように、商人達が列をなして、彼女の前へ挨拶にと頭を垂れていた。



 その様子にナギサは改めてクラーヴィアの地位を再認識する。二人きりで話した時は、穏やかで優しい年の離れた姉のような印象だった。

 それが今は視線一つで相手を平伏せさせる威厳を放っている。


「巫女姫様、本日はお招きいただきありがとうございます」


「先日納めさせていただいたものは、ご要望に適っておりましたでしょうか」


 挨拶と商談、当たり障りのない会話が幾度となく繰り返される。

 とは言っても、話しているのはほとんど商人達。クラーヴィアは穏やかな微笑みを崩さず、短く相槌を打つに留めている。


 直接言葉を交わせるのは、特権を得たわずかな豪商のみ。それ以外の者たちは、クラーヴィアの数歩手前で足を止め、神官や侍女を介して声を届けることしか許されない。


 ナギサが感心してクラーヴィアを眺め、後ろに控えていると、強い花の香り——濃厚な百合の香りが漂ってきた。


「クラーヴィア様、ご機嫌麗しゅう」


 その声は、広間の喧騒を涼やかに通り抜けるほどに澄んでいた。

 人混みが割れ、現れたのは細くしなやかな肢体を、夜の湖面を思わせる深い紺碧のドレスで包んだ美女だった。

 アンスーラ・アンブラ。この聖国で女性商人の頂点に立つ彼女は、まるでこの場所が自分の屋敷の中であるかのように、自信に満ちた足取りでクラーヴィアの前に立った。




「アンスーラ。相変わらず、百合の香りがあなたを導いているようね」


 クラーヴィアが微笑みを向けると、アンスーラの艶やかな唇が、満足げに弧を描く。


「お言葉、光栄に存じますわ。本日はぜひ、巫女姫様……いえ、クラーヴィア様にご紹介したい者がおりますの。今、聖都で最も注目すべき才気をお連れいたしましたわ」


 アンスーラが扇を広げ、優雅な所作で自身の背後を示す。そこには、夜色の豪奢な衣装を纏う男――インウィディア・ネビュラが控えていた。


「ネビュラ商会の会長、インウィディアと申します。巫女姫様にお目通り叶うこの光栄、言葉に尽くせぬほどです」


 ネビュラは完璧な礼法で頭を垂れた。その声は低く、心地よい滑らかさで、心を絡め取ろうとするかのようだ。

 アンスーラとクラーヴィアは、かなり気心がしれているのか、商売の機微や国の展望について、高尚な言葉の応酬を繰り広げ始める。その傍らで、インウィディアは二人の会話に恭しく耳を傾ける従順な若き商人として振る舞っていた。


 ――だが。


(……えっ?)


 ふいにナギサは、背筋の産毛が逆立つような感覚が走った。

 クラーヴィアの影に隠れるように控えている自分へ、誰かの視線が執拗に絡みついている。


 耐えかねてそっと顔を上げると、アンスーラの傍らに立つインウィディアと一瞬、目が合った。


 ——綺麗な男性ひと……

 艶のある黒髪に黒曜石の瞳。白磁のように透き通る肌はクラーヴィアにも負けていない。

 眉目秀麗、美丈夫、そんな言葉が似合う男性だ。

 リュークやニールと並んでも、容姿で霞むことはないだろう。


 だが、その受ける印象は……


 神である彼らと比較してはいけないのだろうが、それでも昏く謎めいた雰囲気と底知れぬ冷気を感じる。

 完璧な微笑を湛えてクラーヴィアへと黒曜石の瞳を向けているはずなのに、その奥底にある何かが己を凝視している気がしてならない。


 それは、他の商人たちが先程から向けてくる“珍しいもの”を見る目ではない。

 もっと深く、鋭い、心の奥底を探るような意志を感じる。


 紅い瞳の奥底を覗き込めば、ナギサが抱え込んでいるものを暴くことができると、期待しているかのようだ。



 ナギサは思わず胸元に両手を当てた——己の体に隠された首飾りの存在を確かめるように。今の己は幾重にも鑑定阻害や鑑定偽装がかけられているはず。

 それに、この場での魔法行使は即座に探知される。

 先ほどまで緊張を解いてくれていたはずの管弦の調べが、急に遠く、不穏なものに聞こえ始める。


 ——この人……何? わたしの何を探ろうとしているの?


 インウィディアの唇が、クラーヴィアとの会話の合間に、ほんのわずかだけ不敵に吊り上がったのを、ナギサは見逃さなかった。




「……左様でございますか。バラスルム王も、この聖国の安寧を常に願っておられるとのこと。実は本日、我が主より巫女姫様へ、密やかなる親書をお預かりしております」


 インウィディアが慇懃いんぎんにそう告げると、アンスーラが「まぁ」と扇で口元を隠し、得意げに目を細めた。彼女にとっても、自分が引き合わせた商人が国主の信任を得ていることは、この上なく鼻が高いといったところだろう。


 インウィディアが懐から取り出したのは、深みのある香が微かに漂う、重厚な羊皮紙の封筒だった。

 封蝋に刻まれているのは、バラスルム国の紋章である『秤と剣』。均衡を保つはずの天秤の皿が、鋭い剣先の上で危うく揺れているような、攻撃的な意匠だ。


「お預かりいたします」


 傍らに控える侍女が受け取ろうと手を差し伸べた、その時だった。


「――おっと。失礼、こちらは我が王より『巫女姫様、あるいはその最も近くに仕える尊き者へ』直接手渡すよう、固く仰せつかっておりまして」


 インウィディアは滑らかな動きで侍女の手をかわすと、あえて半歩、クラーヴィアの懐へと踏み込んだ。


 その瞬間、クラーヴィアの微睡むような穏やかな瞳が、鋭く細められた。慈愛に満ちた藍鼠あいねずの瞳が、射抜くような力を持ってインウィディアを貫き、一瞬にして周囲の空気が凍りつく。

 その距離は、すぐ後ろに控えるナギサとの距離が、不自然なほどに縮まることを意味していた。


(――っ!)


 ナギサの鼻腔を、華やかな百合の香りを塗りつぶすような、冷たい鉄錆の臭いが突いた。

 インウィディアが親書を捧げ持つ手。その指先が、まるで偶然を装うように、ナギサへ伸びた。


(嫌!)


 ほんの一瞬のこと。

 反射的に半歩、後退あとずさっていた。普段の己であれば、そのような素早さはない。

 だが、今は、何故か鉄錆の臭いに体が反応した。


「……クラーヴィア様。そして、そちらの可愛らしい“聖子しろたえ”様にも。バラスルムの祝福があらんことを」


 顔を上げたインウィディアの口元には、悔しがる素振りもなく、獲物を前に面白がるような、傲慢な笑みが浮かんでいた。


「……受け取りましょう。王の御心、確かに」


 クラーヴィアが表情を戻し、静かに親書を手に取ると、場を支配していた異様な圧迫感が、霧が晴れるように消え去った。

 インウィディアは満足げに深く一礼し、アンスーラと共に優雅にその場を去っていく。


 残されたナギサは、胸元に添えた両手をより強く握りしめた。

 インウィディアは何をしたかったのか。

 あの時、もし、触れられていたら……


(今の……わざとだ)


 管弦の調べは続いている。商人達の笑い声も絶えない。

 けれど、ナギサの心の中には、冷たい戦慄だけが、じりじりと広がっていった。



「……行きましょう、ナギサさん」


 クラーヴィアの静かな、けれど有無を言わせぬ声に促され、ナギサは弾かれたように歩き出した。背中に、まだあのねっとりとした黒曜石の視線が張り付いている気がして、一度も振り返ることはできなかった。


 離れていくナギサの視界の端で、アンスーラが扇を閉じ、インウィディアに何かを耳打ちしながら、ホールの影へと消えていくのが見えた。




皆さま、ナギサの物語にお付き合いいただいてありがとうございます。


読んでいただけてとてもありがたく、ものすごく励みになっております。


よろしければブックマーク追加や評価で応援いただけるととても嬉しいです。



次回更新は、30日を予定しております。

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