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ヴィルディステの物語  作者: あるかな
【第三章】

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3‐1‐8 路地裏 3

 


 パンッ、と何かが爆ぜるような音が頭の奥で響いた。

 先程までの静寂が一気に消え失せ、遠ざかっていた街の喧騒が濁流のように流れ込んでくる。

 馬車の轍の音、遠くの笑い声、生活の匂い。——世界が、戻ってきた。


「……っ、おい! 貴様ら、そこで何をしている!」


 狭い路地裏に、野太い怒声が響き渡った。

 駆け込んできたのは数人の行商人風の男たち。その中心には、不機嫌そうに眉を寄せたニールがいた。


「!」

「おい、結界はどうした!」

「知るかよ! それよりまずい。ずらかるぞ!」

「ちっ、潮時だ!」


 いきなり現れた行商人達に、悪漢たちが一気に浮足立つ。

 人数的にも状況的にも不利と考えたのであろう。

 口々に悪態をつきながら、ゆっくりと後ずさりを始めた。この場から逃げるつもりらしい。

 だが、悪漢達は捉えたモリスだけは連れて行こうと考えたらしく、彼女を肩に担ぎあげた。


「待って、モリスを……っ!」


(逃がさない!)


 ナギサは咄嗟に指先を向けた。意識を研ぎ澄ませ、指先の一点へと魔力を集中させる。狙うは、男の足首。鋭く放たれた魔力の礫が、正確にその脚を撃ち抜く。

 男が「ぐっ」と声を上げ、膝をついた。その隙を逃さず、ニールが風のような速さで駆け寄り、力なく垂れ下がったモリスの体を悪漢から奪い取った。


「野郎……! これでも喰らいな!」


 捕縛を恐れた悪漢の一人が、懐から小さな魔道具を叩きつけた。

 直後、鼻を突くような刺激臭を伴う黒煙が、逃げ場のない路地を覆い尽くす。


(これは……絶対にただのごろつきではない……魔道具を、足止めのためだけに使い捨てるなんて……)


 考えたいのだが、この黒煙が邪魔をする。


「げほっ、げほっ」

「っ、っぐほっ」



 激しく咳き込むナギサ達の脇を、不自然なほどの突風が吹き抜けた。

「ふぅ」とナギサが軽く息を吐き、涙を拭った視線の先に、忌々しげにこちらを睨む琥珀色の瞳があった。

 どうやらニールが事態を収めてくれたようだが、身体に纏わりついた煙と臭いが辛い。

 ナギサにゴリツィア、助けに入ってくれた行商人達もなかなか咳が止まらない。

 しばらく皆が激しく咳き込み、ようやく落ち着いた頃には、あの悪漢たちの姿はどこにもなかった




 ◇



「お嬢ちゃん達、大丈夫かい?」

「ありがとうございます」

「助かりました」

「しかし、驚いたな」

「まったくだ。中央広場に行こうとしたら、お嬢ちゃんが捕まっていて……」

「なんだ、ニールさんの知り合いかい?」


 駆け寄ってきた行商人達が、口々にナギサ達に気遣いの言葉を掛けてくれる。ぐったりと項垂れるモリスを見て、彼らは『何かされたのか』とひどく心配そうに眉を寄せた。


 ナギサとゴリツィアは、行商人達に何度も頭を下げて礼を述べると、モリスの元へと駆け寄った。


「おや、お嬢ちゃんは治療魔法が使えるのかい! そりゃぁ、助かる」

「おい、見回りの騎士を呼んできてくれ!」


 喧騒の中、ニールはその場に腰を下ろし、モリスを抱え直した。その手つきは意外なほど優しい。

 ナギサはニールの腕の中にいるモリスを覗き込む。うっすらと開いた唇から漏れる呼吸は、か細く、弱々しい。


 魔力欠乏、とまでは至っていないが、あの魔力を叩きつける技は魔力消費が激しい。魔力切れに近い状態で、身体強化のコーマまでもが強制的に解除された反動が、一気にきたのだろう。

 見れば、掴まれていた手首が赤く腫れあがっているのが痛々しい。ナギサが使える治療魔法でどこまで癒せるのか、手首の赤みだけでも引かせようと、モリスの腕へそっと手を寄せた。


 その間にも騎士に連絡をと誰かが走り、騒ぎを聞きつけた野次馬も集まって来た。

 普段なら忌避したくなる状況だが、今はモリスが優先だ。手首の腫れは引いてきたが、まだ目を覚まさない。


「ナギ、モリスは……モリスは大丈夫なの……?」


 縋り付くようなゴリツィアの問いかけに、ナギサは「ん、大丈夫、すぐに目が覚めるよ」と、己の不安は押し隠し、努めて穏やかな声を返した。それでも体を震わせるゴリツィアである。ナギサは柔らかい笑みを浮かべ、空いた片手で、その肩をポンと叩く。


 だが、その裏で、ナギサはニールとの念話を淡々と続けていた。


 《おい、逃げられたが、いいのか》


 《構いません。まずはありがとうございます。助かりました》


 ニールは先程の念話で、悪漢達を一気に殲滅するなどと物騒なことをのたまっていた。そんなことをすれば、誰がやったのかが問題になる。ニールが名乗り出てくれるはずもないので、その提案は速攻却下した。


 ナギサの反論に、ニールは不満げに鼻を鳴らした。抱えられたモリスの扱いこそ丁寧だが、その冷ややかな視線は、悪漢たちが消えた路地奥を睨んだままだ。


 あくまでも不自然ではなく、街の人達と偶然通りかかった風を装って欲しいと、かなり無茶振りをしたのは自覚している。凄惨な展開は望まないので、誘拐という“目的”さえ挫けば、ひとまずは成功だった。

 だが、ニールは不満らしい。今も取り逃がしたことが気に入らないようで、またしても彼の力で取り除いておこうかなどと言ってくる。


 《いえ、それは絶対ダメです。街中で突然人が死んだら、騒ぎになります。不自然でない方法で、と言ったはずですよ》


 《このまま逃がすのか? やはり、追って消してやろうか》


 頭に響くニールの声は、まるで塵の一つでも払うかのようで、冷徹で物騒だった。


 《逃がしません。そんなことは許しません。モリスに、酷いことをしたんですよ。それと、もう一度言いますが、人のやり方でお願いします》


(逃がさない。……あの目印はそう簡単に消えないはずだもの)


 《じゃぁ、どうすると……》





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