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ヴィルディステの物語  作者: あるかな
【第三章】

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288/314

3‐1‐4 刺繡糸 1

 



「こんにちは!」


 モリスが元気よく声をあげて店の扉を開ける。


「あら、モリスちゃん、いらっしゃい。少し間が空いたね」


「おばさん、お久しぶりです!」


 いつもは店の奥カウンターにいる店主婦人が、珍しく入り口近くに立っていた。

 そのせいか、モリスの声にすぐさま挨拶が返ってくる。


「おや、今日は珍しいね、三人で来たのかい?」


 婦人の鋭いようでいて温かい視線が、モリスの後ろに立つナギサとゴリツィアへと向けられた。


「こんにちは!」


 ナギサとゴリツィアは、弾かれたように声を揃えて頭を下げた。

 いつも奥にいる彼女がこんな戸口近くにいると考えておらず、ナギサは慌てて背筋をピンと伸ばす。別に何か後ろめたいことがあるわけではないのだが、何だろう、この店主婦人の前に立つと学校の先生の前に立ったような、そんな緊張感を感じてしまうのだ。

 横を窺えば、ゴリツィアもやはり背筋をピンと伸ばして姿勢を正している。ゴリツィアにとっても、この店主婦人はそういう存在なのだろう。


「ああ、こんにちは。相変わらず礼儀正しいお嬢さん達だねぇ。で、モリスちゃん、今日は何の用だい? 化粧水はまだ在庫があるよ?」


「えっと、村からの納品です。本当は昨日持ってきたかったんですけど、学舎の健康診断があったので……遅くなってすみません」


「村からの、ってことは、いつものだね。有難いねぇ、助かるよ。品切れしていたから早く届かないかって待っていたんだよ」


「えっ、そうだったんですか! お待たせしてすみません」


「いいよ、いいよ。この品は時間がかかることは皆知っているからさ。それより、早く見せておくれ」


 店主婦人の話ぶりからすると、モリスが持ってきた物は、とても人気の品らしい。


(そういえば、村から何を預かってきたのか聞いていなかったな……)


 今更ながらに気付いたナギサは、声を潜めて隣の友人に尋ねた。


「ねぇ、ゴリツィア。モリスは何を持ってきたの?」


「わたしも知らないの。付き添いで来る時は、大抵買い出しのお手伝いだったから」


 ゴリツィアも知らないと言う。ナギサは彼女と顔を見合わせ、促されるままカウンターへと進んだ。

 そして、モリスが鞄から取り出した“それ”を目にした瞬間、ナギサは思わず息を呑んだ。




「ああ、やっぱりモリスちゃんの村の物が一番だねぇ。この発色、艶。……流石だよ」


「ありがとうございます! 父に伝えておきます。おばさんにそうやって褒めてもらえると、とても嬉しいです!」


 店主婦人が絶賛するその“物”は糸。大きな円錐の木芯もくしんに巻かれた美しい透瑠璃色の糸だ。

 カウンターの二人の話を聞くに、これは縫い糸ではなく、特別な刺繍糸らしい。

 確かに、この吸い込まれるような艶やかさと、ローニャの瞳をそのまま映したような色合い。ただ布を縫い合わせるために使うには、あまりに勿体ないほどの美しさだ。


(どうやったらこんな色に染めることができるのだろう……)


 元世界でも、ここまで綺麗な色の刺繍糸は珍しいのではないだろうか。

 見れば見るほどローニャの瞳を思い出して、この素晴らしい糸はどのように使われているのか気になってしまう。


「この糸、モリスの村で作っていたんだ……」


 ぽつりと零したゴリツィアの言葉に、モリスが少し照れくさそうに笑う。


「ああ、うん。うちの村の特産、っていうのも変だけど。糸作りから染めまで全部やっているんだ。小さい村だから、そんなに量は作れないけど、こうやって喜んでもらえるから、ずっと昔から続けているって大人達が言ってる」


 店主婦人は丁寧に糸巻きを手に取り、その重さや色合いを確かめている。

 納得したように仕入台帳へペンを走らせながら、店主婦人が会話に割って入ってきた。


「何を言っているんだよ、モリスちゃん。この“女神の瞳”色はモリスちゃんの村の物が一番人気なんだよ」


「んと……“女神の瞳”色?」


 店主婦人の口から聞き慣れない単語が零れる。ナギサが思わず首を傾げると、モリスとゴリツィアが驚いたようにこちらを見た。


「ナギ、知らない? ほら、神殿内でもフェロニア様の絵で見ているでしょ? 瞳の色、この色じゃない。瑠璃色、って言えばそうだけど、フェロニア様の瞳の色にこれはすっごく似ているから、“女神の瞳”色って言うの」


「うん。ナギ、この糸で名前とか紋章を刺繍するとね、お守りになるって言われているんだよ。大切な家族とか……恋人のために、みんな一生懸命縫うの」


「そうなんだ。でも、学舎では見かけたことがないけど?」


「そりゃぁ、下着やリネン類……肌に直接触れるものに使うことが多いからね。お守りだからね」


「うん。あっ、でもハンカチは良くみると刺繍があるわよ。カエルやヴルペは紋章っぽいのが刺繍してあったと思うの」


 ——なるほど。ハンカチの刺繍など、今まで気にしたことがなかった。カエルとヴルペは良家の子女らしいから、紋章が刺繍されていると言われると納得なのだが、それをこの色の刺繍糸でするというのは驚きである。

 きっとこの国では一般常識なのだろう。ナギサ達のやり取りに店主婦人が一瞬、不思議そうに眉を寄せたが、そこは大人の対応なのだろう。何も言わずにナギサ達のやり取りを聞いている。



 ナギサ達が賑やかにカウンター付近で話し込んでいると、扉が開く音がした。




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