3‐1‐2 新しい学期の始まり 2
「それで、モリス、頼まれ事って?」
「いや、大したことではないの。いつもの小物屋への納品を頼まれているだけ。学舎に戻る時に済ませればよかったけど、健康診断に間に合わないとだめだから、それは明日にでも行こうかなって考えているんだ」
肩をすくめて諦め顔で言っているが、錬金の練習ができなかったのが残念だったようだ。ゴリツィアは、ここに来るまでその愚痴に付き合わされていたのだろう。ハハハと、なんとも微妙な表情でモリスを見ている。
「で、ナギ。さっきは何を悩んでいたの?」
「あっ、そうよ、ナギ。健康診断の結果を見ていたんだよね? 何か問題でもあったの?」
「んと、問題っていうか……」
改めて聞かれると気まずい。そんな気持ちが表情に出ているのだろう。
「ごめん、言いづらいことだった? 無理しなくてもいいよ」
「うん、ごめんなさい、ナギ」
「んと、違うの。あまり大したことではないから……」
二人の言葉に慌てて両手をハタハタと振る。
背が伸びていない。ただ、それだけである。きっと言えば「何それ!」と笑われるに違いない。
だが、ナギサにとっては大事なのだ。
元世界では、ちょうどこれぐらいの年齢の時、祖母が心配するほど急激に背が伸びた。中学生になる前に伸びきってしまったと言ってもいいほどに。ただでさえ白髪と紅い瞳で目立つのに、そこに高身長が加わって、ますます奇異な目で見られることが増えた嫌な記憶がある。
嫌な思い出ではあるが、秋学期初めの健康診断までは順調に伸びていた身長が急に止まる。神であるリュークは、人が何度も命を繋ぎ直すような遥かなる時を、その貌一つ変えずに生き続けている。それに対して自分は、単に時間を巻き戻しただけの体だと思っていた。けれど、元世界と同じように成長していかない自分の体に、割り切れない不安を覚えたのだ。
「背が……伸びていないの」
「へえっ?」
ナギサが小声で呟くと、案の定、モリスは目を見開いた。その表情からは「何をそんな些細なことを」という空気がありありと伝わってくる。
「ほらぁ、大したことじゃないでしょ……」
「そんなことないよ!」
突如、ゴリツィアが身を乗り出し、テーブルの上でナギサの手をぎゅっと握った。
普段は大人しいゴリツィアが(彼女にしては)大声を出している。しかも、ナギサの言葉を遮るほどの勢いだ。
これにはナギサもモリスも、呆気にとられて声も出ない。
ナギサが驚きのまま、紅い瞳をゴリツィアに向けた。
「わたしなんて、この一年、全然伸びていないの。ナギは秋から伸びていないだけでしょ? わたしは去年の春からずっと変わらないんだから……」
最初の勢いはどこへやら。最後は消え入るような声で、背が伸びないことをゴリツィアは嘆いていた。
言われてみれば、ゴリツィアと話すときの目線は一年前からほとんど変わっていない。カエルやウルサスは間違いなく背が伸びたはず。特にウルサスは見上げる感じが以前より増した。ヴルペも並んで歩くと、ナギサは少し目線を上にしてしゃべっている。モリスは似たような身長だと思っていたが、恐らく多少は伸びているのだろう。
一年前と身長が変わらないゴリツィアにとっては、ナギサも背が伸びている側なのだろう。
「んと、ゴリツィア、ごめん。別にわたし……」
「ううん、ナギ。わたしこそ、ごめんなさい。変な事言っちゃって」
二人は手を握り合ったまま、なんとも言えない気まずい沈黙に包まれてしまった。
「二人とも気にしすぎだよ。見習い期間でも身長なんて伸びるんだからさぁ。ほらぁ、元気だしてよ! それより、ねぇ、明日、時間ない? 今週は履修登録だけだから、時間あるよね?」
場の空気をモリスが強引に変えてくれる。
その話題にナギサとゴリツィアも素直に乗った。
「んと、明日は午前中は履修登録で動きたいかな。午後なら大丈夫だよ」
「うん、わたしも大丈夫。特に人気が高い講義をとる予定はないから、午後からならいいよ。だけど、モリスこそ大丈夫なの?」
ゴリツィアがモリスこそ大丈夫なのかと尋ねているのは、明日は魔法学の履修説明があるからだ。ナギサもそこは気になっていたので、軽く頷いてモリスに目を向けた。
「履修説明は午前中だし、申し込む場合は別に明日でなくてもいいから」
「えっ、でも。受講するなら、早い方がいいでしょ?」
「ん~、実はまだ迷っているの」
「そうなの? ナギやカエルのことを羨ましいって、あんなに言っていたじゃない」
悩む様子のモリスを見て、ゴリツィアが不思議そうに首をかしげた。
「そうなんだけどさぁ。まぁ、明日、少し考えて、明後日マグナルバ先生に相談して決めようかな、って考えている」
「モリスが選ぶことだから、あまり強く言えないけど、それでいいの?」
「心配してくれて、ありがとう、ナギ、ゴリツィア。それよりも、明日、付き合ってくれるほうが嬉しいな」
「うん、わかったわ。それでモリスは明日、どうしたいの?」
「ああ、さっき言っていたこと。いつもの小物屋への納品に付き合って欲しいんだ」
「もちろん!」
ナギサとゴリツィアは顔を見合わせると、大きく頷いた。




