2‐28‐4 無条件の居場所
「ここは、とても見晴らしの良い場所ね」
ナギサとフェロニアは薬草園に来ていた。
ナギサとリューク、二人がお気に入りのベンチに、今はフェロニアと二人で腰かけている。
フェロニアは、本当にファイヌムにはお礼と謝罪がしたかっただけのようで、あの後は軽い雑談のみで厩舎を後にした。
クラウスがいれば馬房に立ち寄るつもりだったようだが、クラウスはリュークと行動を共にしていると説明すると、今度は薬草園を見たいと言われたのだ。
「ローニャ様。ここはわたしのお気に入りの場所なんです。ここに座って花や景色を見ていると、とても落ち着いた気分になって」
3の節も終盤とはいえ、まだまだ寒さが残る頃合い。目の前の薬草園もまだ土色の表面が多い。ただ、何か植えた後だろうか、土を整えた後のようで、土色が濃い。きっともう少し立てば、芽吹いたばかりの柔らかな緑色に一面が染まるだろう。
そんなことを考えながら、フェロニアの横で静かにこの景色とひとときを楽しんでいた。
「ねぇ、兄さまのことは嫌い?」
(!!!)
突然何を言われたのか。
ナギサは驚きのあまりフェロニアの横顔を穴が開くほど見つめた。
だが、フェロニアはナギサの様子に構うことなく、ただ前を見つめている。
「距離を置こうとしているでしょ? 兄さまはあなたが恥ずかしがっているだけ、ぐらいにしか思っていないようだけど。違うかしら」
いきなりの指摘に、ナギサの視線はフェロニアから外れ、膝に置かれた自身の手へと落ちる。
「ローニャ様はわたしがリュークと結ばれても、嫌じゃないのですか? わたし、神様でもないですし、あんな力を持っているんですよ」
「嫌だなんて。わたしは、あなたに兄さまの手を取って欲しいの」
——今の言葉は何? ローニャ様は“神殺しの力”を持つわたしを、厭わないというの? 何かのはずみで、またリュークを傷つけてしまうかもしれないのに......。
フェロニアの言葉に体が熱くなり、頬が火照るのを感じてしまう。一体今日は何度彼女の言葉に体を火照らせているのやら。
「“白光”のことは、わたしと兄さましか知らないわ。ウーラニアとエクースにも今は話していない。あの二人は気にしないと思うけど、他の神々は知れば何か言うでしょうね。
でも、ナギサ。あなたはあの力で神を虐げたいのかしら? そんなことは考えてもいないでしょ?」
フェロニアの言葉に、ナギサはスッと体の火照りが消え、ほんの一年前、元世界にいた頃の自分を頭に浮かべた。
それは、昏くて後ろ向きなことばかり考えていた当時の自分だ。
「お言葉ですけど、人は変わります。見た目は確実に。あと数年もすればローニャ様が万象の狭間で見たわたしの姿になります。そして、もっと時が過ぎれば老いた老婆に。
同じように心根も変わります。今はローニャ様が褒めてくださるようなわたしかもしれません。でも、それがいつまで続くのか。この後経験することで、心根なんて簡単に変わってしまうと思うんです。
元世界に居た時のわたしって、本当にどうしようもない人間でした。
周りの人が怖くて、恐ろしくて。人に近づいて傷つけられるのが怖かったし、信じて裏切られるのも怖かった。
祖母以外、誰も信じることができなくて。祖母がいなくなった後、「自分が消えてしまえばいい、いっそ周りが全部消えてしまえばいい」なんて考えていました。
でも、この世界はとても優しいです。
この一年、その優しさにわたしは救われました。
最初は騙されているのか、揶揄われているのかと戸惑いました。それでも、見掛けで疎外されないだけでも、新鮮でした。
周りが優しいから、わたしも周りに自然と優しくなれる。
もちろん、ローニャ様がわたしをそういう優しい環境に置いてくださったから、っていうのも理解しています。
だけど、この後——学舎を出た後はわかりません。
わたしが、これから自分自身で選んで進んで行くからです。
優しい人々に巡り合えたから、今のわたしはローニャ様が好いてくださるわたしです。
では、この後巡り会う人々は?
元世界のような目に遭えば、きっとわたしは昔のようなことを考えてしまうと思います。
そんなわたし、とても危険だと、ローニャ様は考えないのですか?」
「その選ぶ先に、兄さまはいないのかしら?」
静かにナギサの話に耳を傾けていたフェロニアが、口にしたのはその一言。
しばしの沈黙の後、
「いても、選んではいけないと思うんです」
ナギサの答える声は、涙声になっていた。
——どうしてこの子はここまで自分自身に否定的なのだろう。
フェロニアは横に座るナギサを抱き寄せ、その目元に浮かぶ雫をそっと拭い取った。
「あなたを困らせるつもりはないわ。でも、ナギサ。もっと自分に自信を持ってほしい。あなたは優しい子。それは絶対に変わらないわ」
静かに時が流れていく。
フェロニアの言葉の後、無言の時間が流れていく。
それは嫌な無言ではなく、優しいひとときだった。
「ねぇ、ナギサ。繰り返しになるけれど、本当にありがとう」
身体をよせるフェロニアから囁き声が聞こえる。
ナギサは、体をフェロニアからそっと離し、その横顔を見上げた。
その視線に応えるように、フェロニアはその透瑠璃色の瞳をナギサの紅い瞳へ合わせる。
「あなたのおかげで、名前を取り戻すことができたわ。それに、ニヒルムとのことも。本当に感謝しているのよ」
「お礼の言葉は過剰なほどに頂いております。それに、“ローニャ様のお手伝いをする”、それがわたしのこの世界にいてもいい理由。他にお手伝いすることがあれば、どうか申し付けてください」
「ねぇ、ナギサ。その契約はもう既に完了したわ。
居場所をあげるから、わたしを手伝ってほしい。
万象の狭間で、わたしはあなたにそう告げた。
あなたは充分以上にわたしを手伝ってくれた。
期待以上の働きをしてくれたの。
もうあなたは何の縛りもなく、ここにいていいのよ」
「えっ? でも、わたし、ローニャ様の名前を取り戻すお手伝いをしましたが、それはほんの少しです。偶然その場に居合わせたような、そんなことが運よく続いただけです。期待以上と仰られても......」
「もう、どこまであなたは自分自身に対して過小評価なの。アダマースを助けたのは誰? それがなければ何も先に進まなかったわ」
確かにアダマースの枷を外す為に、ナギサは自身の白光の力を使った。この力がなければ、アダマースの枷が外されるのは、もっと先のことだっただろう。だが、力を使いはしたが、リュークの協力と指示がなければ術式を解除することはできなかった。ナギサはいわば道具として力を貸しただけ。
とてもフェロニアの手伝いをしたと思えないのだった。
ナギサがその気持ちを素直にフェロニアへ伝えると、
「くどいけれど、充分過ぎるぐらいに手伝っていると思うわ。
それに、苦しかったでしょ? 無理矢理“白光”の力を解放したのだから。
兄さまはあなたの意思を尊重するからこそ、あなたの奥底に眠る力を解放したの。どれほどためらったことか。あなたを道具にするつもりなど、断じてありえなかったわ」
ナギサは言葉を失い、透瑠璃色の瞳を見つめた。
そう、確かにリュークは身を挺してナギサが白光の力を制御しきるまで見守ってくれた。あの時リュークの両手は酷く焼け爛れていた。恐らくその体もナギサと接していた箇所は同じような状態だっただろう。それなのに力を制御したナギサを見て、嬉しそうに微笑んでくれたのだ。
「あの場であなたがアダマースを助けたいと強く願った。だから兄さまはあなたに力を貸したの。あなたを道具として使うためではないわ」
——わたしは、お手伝いとしての道具なんかじゃなかった。
ナギサは、これまで自分を支えてきた「契約」という「義務」が、実は最初から「信頼と献身」によって成り立っていたことを、今、はっきりと理解した。
「ローニャ様......では、わたしが“この世界にいてもいい理由”は......」
フェロニアは優しく微笑むと、ナギサの頬にそっと手を添えた。
「ねぇ、ナギサ。だから、繰り返しになるけれど、その契約はもう既に完了したわ。あなたは何の縛りもなく、あなたの意志でここにいていいのよ。これからは、あなた自身が望むままに生きなさい。それが、わたしにとって何よりも嬉しいことだもの」
(わたしの意志で......)
その言葉は、ナギサが元いた世界で誰にも与えられなかった「自由」と「居場所」を意味していた。
「ありがとうございます、ローニャ様......」
ナギサは溢れそうになる涙をこらえ、深く、静かに頭を下げた。
『ヴィルディステの物語』 第二章 完結のご挨拶
いつも『ヴィルディステの物語』にお付き合いいただき、誠にありがとうございます。引き続き読み続けてくださっていることが、何よりの励みとなっております。
『ヴィルディステの物語』、これにて第二章が完結となります。
本章では、ナギサが《女神》(フェロニア)との「契約」という名の心の縛りを解き、この世界に何の義務も無く「ここにいてもいい」と思えるまでの、大きな一歩を描きました。
続く第三章では、ナギサが手に入れた「自由」を手に、この世界が確固たる自身の居場所であると心から納得できるような物語を紡いでいきたいと考えております。もちろん、物語の大きな目的であるナギサのハッピーエンドを目指し、引き続き執筆に尽力いたしますので、今後とも応援よろしくお願いいたします。
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ここで一度、第三章の執筆準備と、既存部分の推敲・修正のため、しばらく休載期間をいただきます。
できるだけ早く再開できるよう努めますので、今しばらくお待ちいただけますと幸いです。
引き続き『ヴィルディステの物語』をよろしくお願いいたします!




