2‐27‐2 アルタ・ルブラ
——さて、どうしたものか。アダマースを罠に嵌めたのはニールだろうと思っていたが、まさか、まだ何かを企んでいたとは......。
この魔法陣を解いた時、一体何が起きるのか。
ざっと視た範囲では、周囲に何かあるようには視えないのだが。
杭で地面に縫い付けられたような三つの魔法陣。
蒼穹にある大魔法陣はヴァルカナのものだ。あれを作動させている魔法陣がこの杭を中心に描かれている。そして、その上にニールが二つ魔法陣を重ね描いたと思われる。
今しがた、ファイヌムが言った「視える」魔法陣は恐らくニールが描いたもの。その魔法陣が押さえつけている魔法陣はヴァルカナのもので、ファイヌムには視えていない。
だが、これらの魔法陣を一つに結合させているのは力業だ。この水晶の杭を中心点にすることでそれを成している。
恐らく、この杭を抜けばすべての魔法陣は解除されるはず。だが、本当に何が起きるのか......。
魔法陣の前で思案に耽っていたリュークに、ナギサが遠慮がちに声をかけてきた。
「リューク、その魔法陣を解くのは難しいですか?」
「ナギサ、君はこの魔法陣を解除したいのかい? 何が起こるのか、わからないのに?」
遠慮がちな声ながら、ナギサの表情は魔法陣を解除することを望んでいるものだった。
——どうしよう......。わたしの考え、リュークに伝えたほうがいいのだろうか?
ナギサは《女神》の名前を隠したのはニールだと考えていること。その隠し場所がこの春宵宮だと推測していることを、リュークに伝えるべきか悩む。
《女神》本人とはニールが名を隠した犯人ではと、既に会話済みだ。《女神》自身もナギサの考えに思うことがあるようで、ニールと一度話しをしたいと言っていた。
こういう時、自分から念話が使えないことは不便である。
そんなことを考えながら、ナギサはリュークの傍に寄り、口元に片手をあて耳を貸して欲しいと仕草で示してみた。
「? どうしたの?」
リュークは、ナギサの仕草に不思議がりながらも、身を屈めてナギサに耳を寄せた。
(んと、あくまでもわたしの直感です。《女神》様の名前を探すきっかけが見つかるんじゃないかって)
そっと口を寄せてそう告げると、リュークがその金の瞳でナギサを見つめ返した。
今の一言でリュークはいろいろ察したのだろう。
何もナギサに問うことはなく、驚きに見開いていた瞳を静かに閉じた。
しばらく何も言わず、何の動きも起こさないリュークの様子に、ナギサは心配になる。
不安を覚えながらも、そのままリュークの言葉を待っていると、
「リュークよ、お主の判断に任せようぞ」
アダマースの深い声が、その場に響く。
この場の状況を一番理解しているのは、恐らくリュークのみ。アダマースもこの魔法陣について、おおまかな予想はつけているようだが、この魔法陣への対処はリュークに任せるつもりのようだ。
「了解だ。じゃぁ、僕が解除するとしようか」
すっと、リュークは立ち上がると、その手を水晶の杭へと静かに翳す。
その言葉と動作に、皆の視線がリュークの手と杭へと集中する。
じっと見つめていると、リュークの手が光に包まれていく。
神の力——神威と神の魔力。ナギサの白光とはまた違った静謐な光と、ナギサが纏うものに似た虹色の魔力。二つの光が織りなす、不思議で静謐かつ濃密な光の織物。その魔力は、場の空気を震わせながら風に触れ、軽やかにふわりと舞い上がる。
織りあがった不思議な光の織物で、リュークはそっと水晶の杭を覆い隠していく。
光の織物が杭を覆い隠した次の瞬間、静かにリュークはその上から手を翳す。
何の呪言もないままに、ほんの二呼吸程。
光の織物は覆うべき対象を失い、静かに、緩やかに地面に落ちていった。
そして、三つの魔法陣と光の織物が混ざり合い、徐々に薄れていくのが視て取れた。
——水晶の杭が消えて、地面の魔法陣が消えた。蒼穹にある、あの大きな魔法陣も薄れていくのが視えるけど......。
何か変化が起きているのだろうか? 特に変わったような気配もしない。
そういえば、リュークはわたしのさっきの言葉をどう受け取ったのだろう。しばらく考え込んでいたようだけど......。
蒼穹を見上げ、薄れていく魔法陣を見つめるナギサ。
その場に居る者達、ファイヌムやクラウス、リナにアダマースもやはり蒼穹を見上げている。
リュークはチラと蒼穹を見上げ、解除が成功したことを確認し、もう一度辺りを見渡した。
ふと、視界の端に違和感を覚え、視線を湖に向けた。
アダマースはこの湖の横で囚われていた。
杭はアダマースと湖の間にあった。
何かこの湖にあるのかと見つめていると、徐々に何かが見えてきた。
蒼穹では徐々に巨大魔法陣が薄れていき、それに呼応するかのように湖の中央に変化が訪れていた。
「ナギサ、君の推測は正しかったようだね」
ポンと軽く頭の上にリュークの手が置かれる。
その言葉にリュークが指し示す場所へ視線を向けると、湖の真ん中に小さな小島が浮かんでいた。
あんな島はあっただろうかと、記憶を探るが、はっきりと思い出せない。だが、その小島に咲く一輪の花。
それは絶対になかったはずだ。
その花は、魔力探知の能力が無くてもわかるほどの濃密で美しい魔力を放っている。
あれほどの魔力を放つものを、こんなに近くにいて見過ごすはずがない。
「あの花......アルタ・ルブラに似ています......よね? 色が違うけど」
——そう、花の色以外はそっくりだ。葉の形も八重咲の花弁も。ただ深紅の色合いであったはずが、美しい透瑠璃色で、まるで《女神》様の瞳のよう......? って、まさか、あの花に名が封じられている?
はっとして、リュークを見上げると、とても柔らかな表情のリュークが頷いてくれた。




