2‐26‐14 ナギサの微笑み
リュークの手がそっとナギサの目元を拭う。
見れば、その手は既にいつもの美しい白い手に戻っていた。
ナギサが驚きにその手を取ると、
「だから、大丈夫だって言っただろ? 神の力を少しは信じておくれ」
「でも......リューク、ごめんなさい......」
「謝らなくていい。僕は君が無事でさえあればいいんだ」
リュークは優しくそう言うと、そっとナギサの額に唇を寄せた。
《後で、もっとちゃんとした口づけを交わしたいな》
(リューク!)
突然の念話に、ナギサは顔が火照り、心音が高くなるのを感じる。
こんな時にリュークは何を言ってくるのだと、焦ってしまうのだが、心の奥底で気恥ずかしさ以上の嬉しさを感じている自分に気づき、ますます心が跳ねてしまう。
リュークは神なのだから恋してはダメだと、知ったあの日から自分に言い聞かせている。それなのに、リュークと一緒に過ごす時間が幸せで、心はリュークに惹かれて焦がれている。そんな自分に否が応でも気づいてしまう......。
何が可笑しいのかリュークはフッと微笑むと、俯くナギサの頭をポフポフと軽く叩く。
また子ども扱いをしている。先程の念話と、この子供を宥めるような仕草のギャップは何なのだ。
思わず口を尖らせてしまうナギサだが、次にリュークが口にした言葉は真面目なものだった。
「ナギサ、アダマースの枷だけど、君の目にはどう視えている? 構成は? 要の場所はわかるかい?」
その言葉に、ナギサは頭を切り替えた。
アダマースの脚枷から伸びる鎖とそれを縛る杭。再度、魔法探知、魔力探知と持てる特殊能力、知識を総動員して視てみるのだが......。
やはりよくわからない。
物理的には枷と鎖と杭の組み合わせだ。
見かけは複雑な構成が織り込まれた魔道具の組み合わせ。ナギサの推測でしかないが、足枷も鎖もすべてが本来の術式や構成を隠すための目眩まし。ナギサには視えないけれど、地面に穿たれた杭から、本来の枷としての構成が張り巡らされているように思えるのだ。
ナギサは、自分が理解できた状況と、自分の推測をリュークに説明してみた。
「わたしはこう推測しているの。でも、リュークが言っている“要”は、よくわからない。要というからには、それがこの構成の急所なのでしょう?」
「上等だよ、ナギサ。人の子でそれだけ理解できているなら。そして、君の推測は、ほぼほぼ正しい」
リュークはそう話しながら、ナギサの手を取った。
「少しだけ僕の力を貸すよ」
「......んと、わたしの力と喧嘩しない? 白光は神様の力と相性が悪いんじゃなかったですか?」
「ここでは詳しくは説明しないけど、この僕の加護と、君の虹色の魔力を信じて」
リュークはそれ以上の説明をせず、ナギサの指先に軽く唇を落とす。
その瞬間、ナギサは何か暖かな、視えない光のようなもので体が包まれていくのを感じた。
「今、君は僕が視るものと同じものが視えるはず。その瞳でもう一度視てごらん」
「すごい......」
リュークの言葉に三度アダマースの足枷を視た。
ナギサは今視えている光景に圧倒されてしまう。
そこに視えたものは美しくも複雑な術構成。緻密で繊細で、ナギサが想像した通り、杭を中心として魔法陣がこの地下空間全体に広がっている
巨大な魔法陣が上空を覆い、その下にはそれを補助するものなのか、大小様々な魔法陣が展開している。そしてそれらを繋ぐ複雑な術構成。
それらを辿ってゆけば、リュークが言う“要”なのか。結節点のようなものがいくつかある。だが、この結節点、いくつもあることが気になるけれど、それ以上に空中に、蒼穹にあることが非常に気懸りだ。
「んと、要、なのかな。結節点がいくつか視えます。でも、ここからは手が届かないと思うのだけど......」
抱いた疑問を素直にリュークに伝えるのだが、リュークはただ優しく微笑んでいるだけ。
「ナギサ、白光を纏って」
「! リューク、手を、まずわたしから手を放して!」
咄嗟にナギサはリュークの体を押し退けた。未だナギサの手を掴み、片手はナギサの背を支えている。
このまま白光を纏えば、先程の惨状の再現になってしまう。
「大丈夫だよ。ナギサはもう制御できているし、少しぐらいなら」
「ダメです! 大丈夫じゃないです! リューク、自分の体をもっと大事にしてください!」
《そうだね。僕もナギサに賛成。それに、よく考えなよ。君が傷つくと、悲しむのは誰だい?》
それまで口を挟むことなく静かに黙っていたクラウスが、リュークに問いかけた。
「リュークさん、先程の光景、ナギサ君に再度見せるのは酷なことだと思いますよ」
加えてファイヌムも、流石にリュークのナギサの気持ちを無視した行動には、一言挟まずにはいられなかった。
ナギサを見れば、一度引いた涙がまた滲みそうな表情をしている。
いくら神の力で傷が癒されるといっても、あの焼け爛れたリュークの手を目にし、自分がそれをしたというのは相当辛かったはず。それをまた繰り返すなど、ナギサとしても我慢できまい。
「......僕はナギサを離したくない」
ボソリ、と。 拗ねたような、まるで駄々をこねる子供のような口ぶりでリュークが呟く。
その言葉に、ここにいる者達は、心の中で深く溜息をついてしまう。
ナギサはため息よりも、驚きでリュークの瞳を覗き込んでしまった。
《別にここでナギサから手を放しても、ナギサは消えないから》
溜息交じりの念話が響く。それはクラウスがリュークへ話しかけていたものだ。
《ナギサが大切なんだろう? だったら、その手を放すんだ。ナギサが力を使うのに邪魔だ》
「ピシッ」という音が聞こえてきそうなクラウスの言葉だった。
「......」
渋々、そんな様子でリュークがナギサの背を支える手を放す。頬に寄せる手が、未練がましく頬を撫でる。
ナギサが覗き込んだリュークの瞳。ナギサだけを映している心配気な金の瞳。
「リュークのこと、信じている」
軽く首を傾げ、ナギサはふわりと微笑んだ。
一瞬、リュークの瞳が大きく見開かれる。もう一度、柔らかく頬を撫でると、そっとその手をナギサの頬から外した。




