幕引きはあっさりと
急に意識が晴れたような。頭に靄が掛かって、物を上手く考えられない起き抜けのような状態から、醒めたように感じる。そして、僕の方へと倒れ込んで来るレインさんを見て、何をしてしまったのかを悟った。
「あ………………」
喉が貼り付いたかのように声が出ない。パクパクと口が開くだけで、音にならない。何かを言わなきゃいけないのに、自分の身体がまるで言うことを聞かない。時間が経つに連れて、焦る気持ちは強くなるばかりだった。
やっと落ち着けたのは、僕の頬に何かが触れたときだった。驚いて手を持っていくと、レインさんの手であることがわかる。視線を下に向ければ、夥しい血を流しながらも笑いかけていた。その段階になって、ようやく言葉を発することができた。
「レイン、さん……ごめんなさい………僕…………」
「……いいのよ。そもそもの原因は私のせいだしね」
頬に触れていた手はゆっくりと移動し、頭の上へ。そのまま、ゆっくりと撫でる。小さな子供をあやすように。
「これでも、結構悪いことはしてきたわけだしね……当然って言ったら当然の報いよ」
「そんな………」
「カトレアちゃんのことだけどね……あれは私が悪ふざけをし過ぎたのよ。だから、大丈夫。また戻れるわ」
少しだけホッとして、すぐさまそんな状況じゃないと思い直す。自分にできることはないかと見回すけれど、レインさんに止められた。それは有無を言わさないほどの強さで、掴まれた手が痛むぐらいだった。
「……駄目よ。あなたはこれ以上、戦っちゃいけない。その能力を使うのもね」
ドキリ、と心臓が跳ね上がる。レインさんが言っていたことには心当たりがあるからだ。
「もしかして………?」
「……ええ。水を操っているとね。色々とわかるのよ。身体のどこが悪いか。どうなっているのか。それの延長線上にあるのが、病気や怪我の進行をある程度止めることだったり、軽い治癒だったり。あとは洗脳だったりするのよ」
「じゃあ………」
「……あなたの身体はひどいわ。もうボロボロ………いいえ、そんな言葉も生易しいぐらい。このままだと、あなたは遠くない未来に死ぬわ」
死ぬ。その言葉は案外すんなりと納得でき、そうか、という思いしか湧いて来なかった。僕のそんな気持ちを見透かしたのか、頭にある手がぽこん、と軽く僕を叩いた。
「……知ってて使っていたのね?」
「…………うん。これしか、ないと思ったから…………」
シルヴィを救うにはこの方法しかないと。僕は飛び付いていたのだ。それがどれだけ自分を苦しめるのか、それすらも覚悟した上で。
「……いい?今のあなたには、たくさん思ってくれている人がいるの。あなたのその命はあなただけのものじゃなくなったのよ。軽々しく減らしていいものじゃないわ」
「……ごめん、なさい………」
「……ふふ、わかればいいのよ………ほら、来たみたいよ?」
レインさんが視線を向けた先にいたのは、クロとアルヴァさん。そして、ずっと頭を悩ませていたカトレアの姿だった。カトレアはレインさんの姿を見つけると、すぐに駆け寄ってきた。
「レインさん!?」
「……カトレアちゃんもよ?ユートちゃんはまだまだ子供なんだから………ちゃんと話さないとわからないの。不安になっちゃうのよ」
「そ、それは………」
カトレアが俯く。大きくため息をつかれたことで、慌てて顔を上げていたけど。伏せ目がちで、チラチラ程度ではあったものの、ようやく目を合わせてくれた。ここ最近は逸らすばっかりで、合わせてくれることもなかったから、少しだけ嬉しく思う。
レインさんが今度はシルヴィの方に視線を向け、軽く手招きをした。シルヴィは警戒した様子であったけど、敵意はないと両手を挙げていることでゆっくりと近付いた。
「……いい?延命処置は施したけど、それは微々たる効果しか発揮しないでしょう。もし本当に助けたいと思うのなら、あの子に………ユートちゃんに頼ることはもう避けなきゃダメ。そうしないとあの子が危ないわ」
「……?それは、どういう………」
「……あんまり時間もなさそうだし、それはユートちゃん本人から聞きなさい。あなたたちになら話してくれるでしょ。とにかく、目を離さないこと。それが大事よ。カトレアちゃんはきちんと話し合って、謝ること。あの子ならわかってくれるわ。そのままなあなあにするのが、一番よくないでしょうから」
「………はい…………」
レインさんは僕を一瞥すると、さらにその後ろへと目を向けた。振り返れば、前に会ったことがある剣士の女魔族がいた。彼女はレインさんに近付いて、その傍らに膝をついた。
「……あんたにも………かなり迷惑を掛けたわね……………恨んでる?」
「……そうですね。恨む気持ちもあります」
魔族は言葉とは裏腹に、ひどく穏やかな表情だった。恨んでいる、ということが信じられないほどに。
「ですが。あなたがいなければ、知らなかったことがあったのも事実です。それに……私も楽しくいられました。ですから、気にする必要はありませんよ」
「そう……後のことは頼むわ。あんたぐらいしか頼める子もいないでしょうしね」
「では」
「ええ。戻ってちょうだい。魔王様の下へ」
魔族は頷き、最後に少しだけレインさんと話してその場を去っていった。最後に呼ばれたのは僕だ。
「……楽しかった?ここにいたときは」
「……うん…………でも………」
「……でも、はなしよ?あなたは悪いかもしれないけれど、あなたのせいだけじゃない。だから、おあいこ、ってことにしておいてちょうだい」
何も言えなくなってしまった僕に、レインさんは再び僕の頭を撫でることを始める。ゆるゆると視線を向ければ、レインさんは笑顔を崩していなかった。
「……今まで辛いことがあったんだから、その分誰かに甘えなさい。あなたにはその権利があるし、そうじゃなきゃおかしいでしょう?」
「……………」
「私はね。あなたに会えてよかったと思ってるわ。あなたのおかげで、知らなかったことも知れた。だから、気に病まないで。でも、もしも気にしてる、って言うんだったら………」
「だったら?」
レインさんは大きく息を吸い込み、ゆっくりと息を吐く。そうでもしないと、血を吐いてしまいそうだったのかもしれない。弱みを見せようとしないところは、レインさんらしいと思ってしまった。
「私たちを助ける方法を探してちょうだい?頼めるかしら?」
「…………うん。絶対に、助けるから」
何を指して、助けるとするのかはわからない。でも、最期の頼みだけは聞いてあげたいと思った。それがせめてもの償いなのだと。
「そう………ありがとね…………」
「……レインさん?」
ゆっくりと閉じられた目は、もう開くことがなかった。別れはあっさりと訪れてしまったのだ。




