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この身は呪いと共に

 ……目が覚めた。夢だったかと思うけれど、床に吐き散らかされた血で、夢ではないことが嫌でもわかる。こんなことなら、外なんて出歩くんじゃなかった、と思う。知らなければ、こんなに痛くなることもなかったのに、と。

 けれど、そんなことに意味なんてないのかもしれない。既にカトレアの気持ちは僕から離れていて、いずれは遠くに行ってしまうのなら……知るのが早いか遅いかの違いだから。


 (何が……いけなかったんだろうなあ………?)


 自分では頑張っているつもりだった。できないことは多いし、やれなくなったことも増えてきた。それでも、できることはやって来たんだ。それなのに、駄目だった。そのことが苦しいし、悲しいし、胸がジクジクと痛い。今更ながら、クロにいてほしかった、とぼんやり考える。


 (………あ……………れ………………?おかしい、な…………………)


 頭がクラクラとして、靄がかかっていくような気がする。手や足の先が冷たくなっていき、感覚がなくなっていく。辺りが真っ暗になるような、そんな錯覚に陥る。今はまだ、朝早くのはずなのに。


 (なに、が…………?)


 そう考えたのを最後に、僕は意識を失っていた。


※               ※               ※

 (…………ここ、は………………)


 知っている場所だ。願いを叶える場所。どんな願いでも叶う場所。誰にでも手を差し伸べてくれる場所。……ただし、歪んだ形で、というのが頭に付くのだけれど。

 大きな黒い門。僕を飲み込もうかというほどに大きなその門は今、開き切っている状態だった。中には何かが(ひし)めいて、まるで僕を手招きしているようだ。


 (駄目……あれに耳を貸したら………)


 アンラ・マンユのように、何かが失われる。願いの代償はきちんと払わなければならないからだ。今は自分だけで済んでいる。でも、次も同じだとは限らない。もしかすると、周りの人を巻き込んでしまうかもしれないし……それ以上に、クロやシルヴィ、カトレアを巻き込んでしまうかもしれない。それが嫌だった。


 『ほう……?自分を裏切った女を庇うのか?』

 「アンラ……マンユ………」


 背中から聞こえた声は、すっかり僕に馴染んだとも言えそうな邪神のものだ。それは僕の耳に、文字通り悪魔の囁きをもたらしていた。


 『あの女はお前を見捨てたのだ。どこに守る要素がある?』

 「それ、は………」

 『どこにもないだろう?辛い記憶は忘れてしまえ。苦しいならば無くしてしまえ。痛いのならば消してしまえ。お前にはその権利がある』

 「権利………」


 そうなんだろうか。もう、楽になってしまってもいいんだろうか。すべてを忘れて、何もなかったことにして。辛いことに、苦しいことに、蓋をすればいいのだろうか。そうすれば……僕は………


 (楽になれる……?こんな思いもしなくていいのかな………?)


 アンラ・マンユの方へと手を伸ばしていく。むこうも笑みを浮かべながら、僕に手を差し伸べていた。




 ――――ふと、手が止まった。何かを忘れている気がして。


 アンラ・マンユは訝し気な顔で僕を見ているけど、僕は構わず一つ一つを思い出していく。何を忘れているのか、それを知るために。


 「ああ、そうか………」


 そして、わかった。何を忘れているのかが。どうして止まってしまったのかが。考えていれば単純で、簡単過ぎる答えだった。


 「無理だよ……忘れるにはもう、カトレアの存在は大きくなり過ぎてるんだから………」


 忘れようとしても、きっと忘れられないと思う。それほどまでにこの世界での出来事は鮮烈で、刺激的で、心に残るものだった。これすらも失くしてしまうのなら、僕は僕でいられる自信がない。だから、断った。無理なのだ、と。


 『……では聞くが。何も思わないのか?自分を置いて行ったあの女に?』

 「カトレアは……わからない………今はもう、わからない………でも、忘れることはできないよ…………」


 何故か、アンラ・マンユの声にグラグラと意識が揺さ振られる。それが正しいのではないか、と思ってしまう。それをおかしいと思うことすら、今の僕にはできなかった。いや、気付くことはできなかったのかもしれない。だって、アンラ・マンユは………


 『そうか……だが、むこうはどうだ?魔族の女は?お前の想い人を唆し、遠ざけていったあの女は?』

 「どう、いうこと………?」


 たまらず僕は顔を上げる。胸の中に、どろりとした何かが流れ込んで来るような感覚。それを違和感なく受け入れてしまったのが最後だった。


 『フ……そうだろう?お前の意中の相手はそう簡単に裏切るやつか?』

 「そんなこと………!」

 『なら、理由は明白だろう。あの魔族がお前の恋人を誑かし、奪っていったのだ。そのせいで、お前の恋人はお前から離れていっているのさ』

 「レインさん、のせいで………」


 どろどろとした何かは、形を変えて僕の中へと入り込んで来る。後から後から、絶えることなく。


 『もうやることはわかっているだろう?何をしなければいけないかも、な?』

 「……うん………僕が、やるべきなのは…………」


 そこで、目が覚めた。いつもの自分の部屋。いつも通りの光景。明確に違うのは、やるべきことに気付いたことだ。


 「…………邪魔だな。これ」


 パキンッ!と音が鳴った。僕を蝕んでいた何かが無くなり、代わりに宿ったのは激しいまでの感情だった。


 「じゃあ……行こうか」


 僕はレインさんの……いや、レインの下へと転移していた。

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