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「帝のご容態を……」
春尚がそう言った瞬間、廊下の端から足音がした。
包んでいた霞が噓のように消える。
「捕らえました!」
男たちが一斉に立ち上がった。
「どこの誰ぞ!」
「杉の間の女中でございます」
「杉の間?」
三人が顔を見合わせた。
「トカゲの尻尾では納得できませぬなぁ。乗り込ませますか?」
春尚が朔也の顔を見た。
「……杉の間の方は藍丸の母君であろう?」
つくよが目を見開いた。
「藍丸が!」
朔也が動かない体を無理に動かし顔を顰めた。
「朔也さま!」
つくよが朔也の体を支えた。
その瞬間、指先から薄っすらと毒の気配がつくよに流れ込んだ。
まだ続いているのかと思ったつくよが、唇を嚙みしめる。
「藍丸を! 藍丸を逃がしてやらねば!」
動こうとする朝成を春尚が止める。
「馬を止めます。あなたは動いてはダメだ」
「春尚!」
「落ち着きなされ!」
春尚の一括が障子を揺らした。
「しかし……」
「我が子がどうなるかまで承知の上であろう。それだけ焦っている」
朔也が静かに言う。
「焦ると穴が開く。待ちましょう」
朝成の強く握った拳の端から汗が滴った。
本宮に続く襖が開き、酷く焦った声が飛び込んできた。
「物の怪でございます。西の空に! 西の……」
そう言うなり、駆け込んできた男が倒れた。
「西の?」
すでに月は天頂を極め、薄っすらとした虹のような衣を纏っている。
「物の怪とは?」
動けない朔也がもどかしそうに首を西に向けた。
春尚の口角があがる。
「そういうことであれば我らが領分じゃ。病は如何ともしがたいが、こちらならば手のうちじゃ。兵を全て西へ送れ! つくよ!」
「はい」
「千世さまをこちらに。ここで結界を張る。出してはならんぞ」
頷くが早いか、つくよが千世の部屋へと駆け込んだ。
「いって参る」
朝成でも朔也でもなく、つくよにそう声を掛けた春尚が、スッと宙に浮いた。
この状況で、なぜそれほどまでの笑みを残せるのかとつくよは思った。
「ご無事をお祈りいたしております」
春尚の姿が霞となって消えた。
千世に貸した肩越しに見える夜空には、まだ春尚の残像が浮かんでいた。
また廊下が騒がしくなる。
朝成が苛立たしそうな声を出した。
「何事ぞ!」
「離れで火の手が」
「どこだ!」
「刑部卿の控えの間かと」
刑部という言葉に千世の肩が反応を示す。
それを見た朔也が静かな声を出した。
「残っている者を総動員せよ。刑部卿の所であれば川が近い。人手を揃えよ」
鋭い返事を返した男が走り去り、遠くで多くの人間の声が聞こえ始める。
厨房の者まで駆り出されているのだろう。
女御たちだろうか、時々悲鳴のような甲高い声が混ざった。
イライラと爪を嚙む朝成に千世が声を掛けた。
「兄さま、千世は心細うございます。どうかお側において下さいませ」
朝成の眉間から皺が消えた。
「ああ、そうだった。うん、千世、こちらで横になっておれ。私が必ずお前たちを守る」
春尚が張った結界は、薄い水色だった。
つくよは、初めて春尚に会った時に見た流水模様の衣を思い出した。




