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「また来られましたのか」


 そう言いながらも、つくよは柔らかい笑顔を浮かべた。

 朝成が照れたようにプイッと横を向きながら言う。


「……ここは居心地が良い」


 朔也は相変わらず起きることができず、千世も苦しそうに咳きこんでいる。

 藍丸と結は朝成の足に纏わりついて笑っていた。


「東宮兄さま、夕餉は?」


 千世の問いに、朝成は小さく首を横に振った。

 つくよが黙ったまま立ち上がる。


「いや、私は良い。あまり腹は減っておらぬ」


「食べねばなりません。それがここの決まりですよ、兄さま」


 朔也が口角を上げながら朝成を見た。

 その枕元に尻を据え、額に掛かった髪を指先で整えてやる朝成。


「苦しくはないか?」


「はい、苦しくはございません」


「欲しいものはないか?」


「今のところは」


 朔也の言葉に、少しだけ傷ついたような表情を浮かべた朝成が千世を見た。


「私も同じでございますよ」


「そうか……」


「結はお手玉がいただきとうございます」


「藍丸は綺麗な組紐がいただきとうございます」


 朝成の体に自分のそれをくっつけた二人が元気な声を出した。

 パッと明るい表情を浮かべた朝成が、交互に頭を撫でてやりながら頷く。


「すぐにでも用意しよう」


「ありがとうございます」


 二人が声を揃えてペコッと頭を下げた。


「これなら入りましょう?」


 つくよが持ち込んだのは、幼児の拳ほどの大きさの握り飯だった。


「あ……しかしそれは……」


「召し上がってくださいませ。みんなあなた様を心配しているのですよ」


 朝成がスッと視線を下げて小さく頷いた。


「ありがたく……ちょうだいします」


 千世が細い息を吐いた。

 朔也はニヤニヤと笑っている。


「塩で炒った紫蘇の葉をまぶしました」


 一口で頬張った朝成。


「旨いな。うん、もの凄く旨い」


「そうでございましょう? つくよの握り飯は格別なのですよ。兄さま」


 まるで自分が作ったように自慢げに鼻の穴を広げる結。

 遠くの山の端が橙色から紺色に変わろうとしていた。

 薄く流れる雲が、薄紅を引いたように艶めかしい。


「あれ? 私のは無いの?」


 どこから入ってきたのか、春尚が千世の横に座った。


「まあまあ、春さまも食いっぱぐれですか?」


 つくよの方に顔を向けた春尚が肩を竦めて見せた。


「そういうわけではないけれど、あれほど旨そうにされると、腹の虫が騒ぐさ」


 クスッと笑ってつくよが再び立ち上がった。

 それを見送りながら、春尚が結に聞いた。


「お手玉が欲しいのですか? 結さまは」


「うん。つくよに教えてもらう約束なのです」


「なるほど。きっと兄さまが、かわいらしいのをご準備下さいましょう。藍丸様は組紐を?」


「はい。千世姉さまの御髪に飾りとうございます」


 千世が驚いた顔をする。


「まあ! 藍丸。私に下さろうと?」


「はい。藍丸は千世姉さまの御髪が好きですから」


「そうか。ありがとうね」


 結が藍丸の顔を見上げた。


「ははは、結の髪にも飾ろうな」


 ひどい黄疸が出ている顔で、結が精一杯笑ってみせた。

 それを見ていた朝成が、また苦しそうな表情を浮かべる。


「東宮さま。そこは共に笑うところです。どこも痛んでいないあなたが、一番苦しそうにするのは烏滸がましい」


「うん……そうであった。すまぬ」


 遠くで野鳥が空を裂くような声をあげた。

 それが合図だったのか、暮れなずんだ空に星が瞬き始める。


「今度はネギ味噌にしましたよ。春さま」


「やあ! 大好物だよ。なぜこれが好きってわかったの?」


 つくよが小首を傾げる。


「なんとなく?」


「ははは! つくよちゃんは私よりも陰陽師に向いているかもしれないね」


 子供たちが一斉に笑う。

 生垣で隔てられた東の棟からも微かな笑い声が聞こえてきた。

 夜の帳がそれを吸い上げて、月に向かって放つ。

 一瞬だけ月光が輝きを増したように見えた。


「そろそろ横になりましょうね」


 握り飯をのせた盆を縁側に運びながら、つくよが静かな声で言った。


「お二人はこちらで」


「ああ、今宵の月はまた美しいな」


 春尚が背伸びをするように両手を高く上げた。


「兄さま、春さま。おやすみなさい」


 結と藍丸が一緒の肌掛けに潜り込む。

 その横の布団に、千世が体を横たえた。


「ゆっくりやすみなさい。よい夢見をな」


 朝成の声が少しだけ揺れている。

 春尚が右手の人差し指を、自分の口の前で数回振った。

 部屋の中がぼんやりと暗さを増し、煩いほどだった虫の音が静まる。

 つくよは子供たちの寝息を確認してから縁側に出た。


「薬湯は?」


「夕餉の前に」


「嫌がらなかったか?」


「みなさん素直に口にされますよ」


「そうか……」


 朝成が夜空を見上げた。

 満天の星が三人を包んだ。


「美里は苦しんだだろうか」


 朝成が独り言のように言った。

 視線をゆっくりと下げながら春尚が応える。


「ほんの一瞬のことですよ。あの子はもう苦しまなくてすむ」


「苦しくとも生きたいと願ったのではないだろうか……」


 春尚もつくよも何も言わない。

 部屋の隅で結が小さなくしゃみをした。

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