10
「また来られましたのか」
そう言いながらも、つくよは柔らかい笑顔を浮かべた。
朝成が照れたようにプイッと横を向きながら言う。
「……ここは居心地が良い」
朔也は相変わらず起きることができず、千世も苦しそうに咳きこんでいる。
藍丸と結は朝成の足に纏わりついて笑っていた。
「東宮兄さま、夕餉は?」
千世の問いに、朝成は小さく首を横に振った。
つくよが黙ったまま立ち上がる。
「いや、私は良い。あまり腹は減っておらぬ」
「食べねばなりません。それがここの決まりですよ、兄さま」
朔也が口角を上げながら朝成を見た。
その枕元に尻を据え、額に掛かった髪を指先で整えてやる朝成。
「苦しくはないか?」
「はい、苦しくはございません」
「欲しいものはないか?」
「今のところは」
朔也の言葉に、少しだけ傷ついたような表情を浮かべた朝成が千世を見た。
「私も同じでございますよ」
「そうか……」
「結はお手玉がいただきとうございます」
「藍丸は綺麗な組紐がいただきとうございます」
朝成の体に自分のそれをくっつけた二人が元気な声を出した。
パッと明るい表情を浮かべた朝成が、交互に頭を撫でてやりながら頷く。
「すぐにでも用意しよう」
「ありがとうございます」
二人が声を揃えてペコッと頭を下げた。
「これなら入りましょう?」
つくよが持ち込んだのは、幼児の拳ほどの大きさの握り飯だった。
「あ……しかしそれは……」
「召し上がってくださいませ。みんなあなた様を心配しているのですよ」
朝成がスッと視線を下げて小さく頷いた。
「ありがたく……ちょうだいします」
千世が細い息を吐いた。
朔也はニヤニヤと笑っている。
「塩で炒った紫蘇の葉をまぶしました」
一口で頬張った朝成。
「旨いな。うん、もの凄く旨い」
「そうでございましょう? つくよの握り飯は格別なのですよ。兄さま」
まるで自分が作ったように自慢げに鼻の穴を広げる結。
遠くの山の端が橙色から紺色に変わろうとしていた。
薄く流れる雲が、薄紅を引いたように艶めかしい。
「あれ? 私のは無いの?」
どこから入ってきたのか、春尚が千世の横に座った。
「まあまあ、春さまも食いっぱぐれですか?」
つくよの方に顔を向けた春尚が肩を竦めて見せた。
「そういうわけではないけれど、あれほど旨そうにされると、腹の虫が騒ぐさ」
クスッと笑ってつくよが再び立ち上がった。
それを見送りながら、春尚が結に聞いた。
「お手玉が欲しいのですか? 結さまは」
「うん。つくよに教えてもらう約束なのです」
「なるほど。きっと兄さまが、かわいらしいのをご準備下さいましょう。藍丸様は組紐を?」
「はい。千世姉さまの御髪に飾りとうございます」
千世が驚いた顔をする。
「まあ! 藍丸。私に下さろうと?」
「はい。藍丸は千世姉さまの御髪が好きですから」
「そうか。ありがとうね」
結が藍丸の顔を見上げた。
「ははは、結の髪にも飾ろうな」
ひどい黄疸が出ている顔で、結が精一杯笑ってみせた。
それを見ていた朝成が、また苦しそうな表情を浮かべる。
「東宮さま。そこは共に笑うところです。どこも痛んでいないあなたが、一番苦しそうにするのは烏滸がましい」
「うん……そうであった。すまぬ」
遠くで野鳥が空を裂くような声をあげた。
それが合図だったのか、暮れなずんだ空に星が瞬き始める。
「今度はネギ味噌にしましたよ。春さま」
「やあ! 大好物だよ。なぜこれが好きってわかったの?」
つくよが小首を傾げる。
「なんとなく?」
「ははは! つくよちゃんは私よりも陰陽師に向いているかもしれないね」
子供たちが一斉に笑う。
生垣で隔てられた東の棟からも微かな笑い声が聞こえてきた。
夜の帳がそれを吸い上げて、月に向かって放つ。
一瞬だけ月光が輝きを増したように見えた。
「そろそろ横になりましょうね」
握り飯をのせた盆を縁側に運びながら、つくよが静かな声で言った。
「お二人はこちらで」
「ああ、今宵の月はまた美しいな」
春尚が背伸びをするように両手を高く上げた。
「兄さま、春さま。おやすみなさい」
結と藍丸が一緒の肌掛けに潜り込む。
その横の布団に、千世が体を横たえた。
「ゆっくりやすみなさい。よい夢見をな」
朝成の声が少しだけ揺れている。
春尚が右手の人差し指を、自分の口の前で数回振った。
部屋の中がぼんやりと暗さを増し、煩いほどだった虫の音が静まる。
つくよは子供たちの寝息を確認してから縁側に出た。
「薬湯は?」
「夕餉の前に」
「嫌がらなかったか?」
「みなさん素直に口にされますよ」
「そうか……」
朝成が夜空を見上げた。
満天の星が三人を包んだ。
「美里は苦しんだだろうか」
朝成が独り言のように言った。
視線をゆっくりと下げながら春尚が応える。
「ほんの一瞬のことですよ。あの子はもう苦しまなくてすむ」
「苦しくとも生きたいと願ったのではないだろうか……」
春尚もつくよも何も言わない。
部屋の隅で結が小さなくしゃみをした。




