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「聞いたかい? まただそうだよ」

 

 裏庭に引き込まれた用水路から、洗濯物を引き上げながら少女が立ち上がった。


「それは恐ろしい程の血を吐いたそうだよ。雨に打たれた烏の羽のような色だったってさ」


「烏の……」


 洗濯物を入れた桶の端に少女の爪が食い込んだ。


「あんたのところは元気で良いねぇ。わたしのところの子はそろそろだろうよ」


 そう言いながら女は踵を返した。

 女がぶら下げているのは、点々とシミが残る幼児の衣だ。

 もう何度も洗ったのだろう、襟の端が少し解れかけている。


「烏の羽……」


 そう呟き、少女は桶を抱えて裏庭を出た。


「つくよさん」


 子供が少女を呼び止める。


「あらあら、千世様。まだ起き上がってはダメですよ。熱が戻ります」


「でも、藍丸が……」


「え? 藍丸様が?」


「うん、体中に斑点が出てる」


 つくよと呼ばれた少女が、手にしていた桶を放り出して走り出した。

 裏庭を横切り、勝手口に回り込む。


「藍丸様!」


 呼ばれたことに反応したのか、小さな布団に横たわっていた幼子の指先がピクリと動いた。


「つくよ?」


 爛れたような瞼を動かそうとしているのが痛々しい。


「はい、つくよはここに居ますよ」


 藍丸の目から涙が一筋流れ落ちた。

 寝間着の首元から覗く薄い胸板にも、紫色に近い斑点が覗いている。

 そのひとつが、今にも吹き出しそうに膨れ上がっていた。


「あとひと山です。かいてはダメですよ。痕が残ってしまいますからね」


「しかし痒うて堪らん」


「辛抱してください」


 つくよは懐から晒を出して、藍丸の手首から先を包んだ。


「藍丸様は我慢強いよいお子じゃ。つくよが白玉をこさえてあげましょうね」


「しら……たま?」


「ええ、糖蜜をたっぷりかけた白玉でございますよ」


 藍丸の口角がほんの少し動いた。

 障子で仕切られた隣の部屋から、小さな顔が二つ覗き込んでいる。


「朔丸様にも、伊吹様にも差し上げましょうね。小夜様も千世様も」


「結は?」


「結さまはまだ……」


「結にも食べさせてやりたい」


 そう言ったのは痛みと痒みで雨粒のような汗をびっしりと浮かべている藍丸だった。


 昨夜、いきなりやってきた薬師によって、藍丸と結の膳は変わった。

 ただ黙って見守るしかない自分の無力さに身もだえしても何も変わらない。

 二人の幼児は、同じ部屋に寝かされ、同じような症状をみせた。

 真っ赤な顔で喉をかき毟り、時々黄色い胃液を吐く。

 それを何度も繰り返し、呼吸が浅くなっていった。

 

「ごめんなさい……ごめんなさいね」


 昨夜の様子を思い出し、つくよは畳みに頭をこすり付けた。


「それがつくよの役目であろう?」


 慰めたつもりなのだろう、朔丸が呟く。


「それでも……」


 つくよが目を向けると、朔丸と伊吹が悲しそうに眉を下げる。

 縁側から千世がヨロヨロと部屋に入ってきた。


「藍丸……」


「姉上? つくよが白玉をこさえてくれるそうですよ」


 無理に作った笑顔で藍丸が言った。


「そう。それは良いのぅ。皆で一緒にいただこうな」


 まだ先週の毒が抜けきっていないせいで、千世の顔色は乾いた土の色だ。

 その枯れ枝のような指先で、藍丸の額に張り付いた前髪をすっと掃いた。


「千世さまも横になっていてくださいまし」


 つくよの言葉に頷きはしたが、千世はその場を動こうとはしなかった。


「千世さま」


 千世の手首に伸ばした指先から、得体のしれない何かがつくよの中に忍び込んできた。

 ああ……まただ。

 そう思ったつくよは、歯を食いしばりその気色悪さに耐えた。


「うん。わかった」


 ゆっくりと立ち上がった千世の頬に、幾分か色が戻っていた。

 白玉を作ると言い訳をして、厠に駆け込む。

 口の中が焼けるような苦みを残し、ドロッとした何かが、深い闇を葬ったような穴の中へと落ちて消えた。


「千世様……これほどの……」


 千世が飲まされた毒は、肝の臓を蝕むものだと聞いている。

 腹の中に収まっている臓器をわざと壊す。

 それは全てこの子たちの父親である帝のためだ。

 同じ血を持つ者が、それによってどうなるのか。

 数刻ごとにその推移を書き留め、二日ほどは何の薬草も与えない。

 その子の苦しみは文字として残り、来るか来ないかわからないその時の備えとなる。

 つくよが泣こうが喚こうが、この二日という時間は砂粒ほども縮まることは無かった。


「あとは良しなに」


 じっと観察を続けた薬師が立ち上がると、治療をしても良いという合図だ。

 薬師が乗った籠が門を出ると同時に、薬草小屋に走るのがつくよの常だった。

 

「肝の臓なら野芥子じゃ」


 乾燥させ、丁寧に晒に包んだ薬草を棚から引き抜く。

 それを煎じて飲ませ、ただひたすら固くなっているその小さな腹を擦り続けるしかない。

 この一夜で幼い子供の命が決まる。


「藍丸様……結様……」


 この薬草を煎じ終わったら、約束の白玉をこさえようとつくよは思った。

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