Last Ward.
1
「――……それで代わりの上司は誰になるのかな?」
「誰か言ってたけど、メトセラだってさ」
「えぇぇ、やだなぁ……だっておっかないもん」
「落ち着くまでの臨時みたいだけどね」
「なんだ、そっか。それなら一安心」
「まぁ、後任が見つからなかったら正式に引き継ぐだろうけどね」
「んん〜、そっかぁ……XOの時は気楽だったんだけどなぁ」
「仕方ないよ。もう三百歳超えてたし」
「そうだったの? 気付かなかったなぁ」
「あの新入りには気の毒かな」
「うん。一週間で教育係が変わるなんて」
「あれっ? でも、たしか、ほら」
「あっ、そっか。『鬼教官』がお世話してるんだったっけ……――」
工場はどこもXOの急逝の話題で沸騰していた。
合わせて、後任の上司の話題も、ルナシーと私の話題も。
XOが亡くなったことにまず気付いたのは1号だった。
脚が悪いと公言しているXOは自らが根を下ろした一角から動くことは殆どなく、定期的に開かれる上級天使たちの会合――人間界での重要な動きや、天界における天使の増減など、大きな変化を共有している――にも、私や1号などといった代理の天使を使いに寄越す具合であった。
そのXOについて、ここ最近は工場にすらまともに顔を出さなくなったことを気にかけた1号は、せめて新聞でも持っていって天界の近況を知らせてやろうと気を利かせたらしい。
1号は挿絵を除いてほぼ完成していた最新の新聞を先に持ち帰りたいと相談した。今回の挿絵の担当が彼女だったこともあってメンバーはそれを快諾した。
そうして1号は情報通たちの集会から一足先に工場へと戻ってきた。新聞は明日の朝には工場の幹に吊るすのだから、それより先にXOのところへ持って行き、その場でついでに挿絵を仕上げようとしたらしい。
1号が顔を出した時には既にXOは錆と化して消滅していた。それを目にした彼女は血相を変えて集会の場へと飛んで引き返し、三十分後には各工場に号外が吊るされることとなった。
飛び交う情報を繋ぎ合わせると、どうやらそういう流れらしい。
突然……背中に何かがぶつかってきて身体が少し前に傾いた。
「…………っ」
「おっと、悪い。でもこんなところでぼけっと突っ立ってるのも良くないぞ」
振り返ると、ルナシーより頭ひとつばかり背が高く、それでいて私よりはどれだけか小柄な天使が、現実をどこか離れたところから眺めていた私に向けて文句を投げかけていた。
「天界はだだっ広いんだからもっと邪魔にならないところで放心してな。私は引き継ぎで忙しいんだ。お前たちに懇ろしてやる余裕なんて当面はないと思え」
「となると、あなたがメトセラ?」
「上司の顔くらい覚えておけ。まぁ、本当にそうなるかはまだ分からんがな」
名前は知っていたが実際にメトセラを見たのはこれが初めてだった。
ルナシーほどではないがかなり小柄だ。聞くところによれば相当取っ付き難いというか、トゲのある上級天使だという話だったが……いや、しかしこれは想定外だった。まさか物理的にそうだとは。
上半身の見た目は普通の天使とそう変わらず、こじんまりとした体格からは小動物か何かのような愛らしい印象すら受けた。そのような愛らしさとは不釣り合いな、反り返った鋭い角が額から三本伸びているが、その物騒な特徴がかすんで見えるほどに、彼女の下半身はより一層おどろおどろしい様相をしていた。
メトセラの腰から下に肉体と呼べるものはなく、代わりにむき出しの脊髄を延長してぐちゃぐちゃにまとめたかのような塊がくっついている。
白く硬質なその球状の塊の両脇には、同様の材質で形作られた分厚い円盤が、赤色の管のようなものによって縦向きに結合されている。弾力を有した管はどくどくと脈打ち、液体が内部を循環する様子が窺える。彼女の全体はそれらの複合体によって、延々の大地から押し上げるように支えられていた。
メトセラの下半身を言い表すなら、骨と血管で作られた車椅子だ。その身体にも車体にも、ささくれのような突起が無数に生えている。先の追突で背中に怪我を負わなかったことが不思議に思えるほど、彼女の全身は凶器であった。
メトセラはその車椅子のスパイク付き車輪を手で回して移動しているらしい。背もたれの部分には何枚もの書類が無造作に挟まれていて、彼女が引き継ぎのために奔走しているということを端的に伝えていた。
「丁度、聞きたいことがあるんですけど」
「忙しいと言っただろう。手短に済ませろ」
「えっと、XOはその、何か言い残しませんでしたか。例えばこの子についてとか」
「……おい待て、誰だこいつは。初めて見る顔だぞ」
「ルナシーっていうんですけど。ルナシー・ウインドミル」
「知らんな。しかもなんだその名前、あいつのセンスか?」
「えぇ、まぁ」
私は今まで一度もメトセラに面と向かって出会ったことはないが、三百歳越えの大往生を果たしたXOをあいつ呼ばわりするあたり、彼女とXOの間にはそれなりに長い親交があったのだろう。
そのメトセラもルナシーのことは知らないと言うのだから、XOは誰にも、何も遺していかなかったのかもしれない。
「お前が世話してるのか」
「今のところはそうです。その任期についてXOに聞こうとしたんですけど……」
「いちいち聞かないと決められないのか」
「上司がいなければその時は独断に踏み切りますけども」
「今は私がお前らお気楽どもの上司候補だ、実に残念だよ。まぁ、こいつに関しては……好きにし
ろ」
メトセラはルナシーの顔をじっと見つめたかと思うと不愛想に続けた。
この工場の新入りに違いないのに、まるで頭数に加えていないかのような口ぶりだ。
「あいつは仕事自体は綺麗に済ませてたから、後はこの工場所属のリストの更新だけで済むが、それでも面倒なんだ。そいつについてお前が何を任されたかは知らんが、引継ぎの件をひと段落させて、その後だ」
「ルナシーも、ここに所属する天使に違いありませんが」
「……あぁ、そうだな。もう行っていいか。お前たちも上司を早く確定したいだろ」
そう言い残してメトセラはまた車椅子を転がしてどこかへ行ってしまった。車輪の骨が互いに擦れ合う音と共にその背中も小さくなっていく。
……どうにも苦手な性格だ。
XOにも取っ付き難さはあったが、生まれた時からの関係だったから気付かないうちに馴染むことができた。
あの全身と言動がトゲまみれの上司候補とも、いつか折り合いのつく日が訪れてくれるのだろうか。
ふとルナシーの方を見ると、今のぞんざいな扱いはどこ吹く風といった具合で、車椅子の車輪が残していった穴だらけの轍を弄って遊んでいる。
……まぁ、なんでもネガティブに受け止めるよりは、のんきな方が幾らかマシか。
ルナシーから見習うべきところを見出しつつ、私はもう少し詳細を探るべく、一番身近な情報通の元へ赴くことを決めた。
2
「……あっ、シェル・スターリング」
「元気ないように見えるけど」
「……そうだね。ちょっと、疲れちゃったかも」
工場の幹にもたれかかって遠くを眺めていた1号は、そう言って座ったまま大仰な背伸びをした。起きている彼女の、こうも静かな姿を見るのはひょっとすると初めてかもしれない。
「新聞の方はいいの」
「今は他のメンバーが頑張ってるよ。私は……少し休憩」
「休憩中に悪いけどさ、少し聞いてもいい?」
「いいよ」
顔を見かける度に1号の方からぺらぺらと話しかけてくるため、こうして私から何か切り出すようなことはあまりない。互いを結び付けるきっかけでもあるXOについて、このような形で真正面から取り上げて話題にすることに、どこか少し緊張した。
「XOの様子が、ちょっとおかしかったような気がしたんだ」
「あなたも? みんな気にしないから私だけかと思ってたよ」
「距離を置こうとしてるように私には見えたんだけど。なんとなくだけどね」
「実際そうだったんだよ。XOはそっと私たちから離れてたの」
1号は断言した。そこまで言い切れる自信を知りたくて、相槌は打たずに根拠を待った。
「XOは二年ほど前から他の上級天使との交流を絶ってたんだよ。いろいろな工場で取材をしてきたから、これには早いうちに気付いたんだ」
「どうしてそんなことを? 足腰が悪いのはずっと昔からだったと思うけど」
「それはわからないけど、他の上級天使たちが困ってたのは確かだよ。XOが顔を出さなくなったから、各工場の問題は自前で解決しなきゃならなかったみたい」
「面倒事を手広く引き受けてたからね」
「そう。特に飛べない子についてはかなり広く仲介していたみたい。あなたにも、覚えがあるでしょ」
「……まぁね。続けて」
話している内に1号は少しずつ饒舌さを取り戻してきたように思えた。あれこれ横槍を入れるよりもまずは彼女の見解に耳を傾けることに努めた。
「それに、殆どの仕事は別の天使に回してたみたいだね。どうしてもXOにしかできないことだけ引き受けて、それ以外は別の誰かにって感じ。これも、あなたは覚えがあるでしょ」
「そう、だね」
隣でじっとしているルナシーの後ろ髪に手をそっと添えた。
くすぐったかったのか、もぞもぞとした感触が返ってきて、翼を握られた初日のことを思い起こさせた。
「私が知ってるのはこれくらいかな。でも……XOが周りと距離を取ろうとしていたことは間違いないよ」
話し終えた1号は、そうしてまた静かになった。三角に畳んだ膝に額を乗せて、XOとのこれまでのことを振り返っているようで、その肩にひとつ、私の意見を伝えてやりたくなった。
「さっき、メトセラが言ってたよ。XOは抱えていた仕事は綺麗に済ませてたって」
「そうなの?」
「XOは……死期が近いって分かってたんじゃないかな」
訃報を目にしたときから、ずっとそんな考えが頭の片隅にあった。
私にルナシーを任せたのは、「『仕事を抱え込んだまま消え去らない』という仕事」を果たすためだったのではないのだろうか。1号の話を聞き進めるにつれてその考えは大きくなって、ついには動かせる余白すら占めた。
確証はない。そうであってほしいというただの願望でしかない。
だけど、それを仮留めできるような事実が幾つも散らばっているものだから、期待まで捨てる気にはどうしてもなれなかった。
「だから、急に全てが嫌になっただとか、そういうのじゃあないと思う」
「もし、そうなら……ちょっと気が楽かも」
そう言って、1号は少し微笑んだ。
3
XOの跡地は追悼の意を込めてしばらくそのままにされるらしい。
本来は後任が決まった時点で、その跡地は新たに担当する上級天使が使うことになる。その方が、上司が変わっても前と同じように天使たちが訪ねることができて都合が良いためだ。
しかし、今回はXOが今までに残した功績を称えるという目的のために、後任を収めるまでにしばらくの期間をあけることに決まった。メトセラもそれに賛同し、当面は工場からアクセスしやすい別の場所で仕事を進めるとのことであった。
1号からその話を聞いた私は、ルナシーと共にXOの跡地を訪れた。
起伏のない平坦な一帯の中心に、黒と茶の混じった錆のような何かの山があった。それは、見慣れたXOの樹皮と確かに同じ色合いだった。
その錆の山を囲うように延々の大地で作られた薄桃色の花が供えられている。大小や出来栄えを問わず様々な花が添えられた跡地からは、XOを慕う天使が少なくないことが容易に想像できた。
どうやら私たちは後発の類らしく、周辺に人影はなくどこまでも穏やかであった。無人の祭壇を前に、今は亡き上司の木陰が重なる。
「……………………」
「私たちも供えようか」
錆の山をじっと見つめていたルナシーを眺めていると、柄にもなくそんな提案が浮かんで私の口を動かした。
ルナシーの横に腰かけて、手近な大地を少しめくって手に取った。そして、人間界の観察の中で目に入った幾つかの花から適当にひとつ思い出して、その形を模した。
ガーベラという花だ。花言葉というものもあるらしいが忘れた。
出来は……良くはないが、嫌がらせで置いたと思われるほどあんまりでもないだろう。
ルナシーも何かを仕上げた。なんだろう。形容できないが……まぁ、花なんだろう。
その二輪の花をルナシーに預けて、好きなところに供えてくるようにと伝えた。
錆の山の周りをぐるぐると回るルナシーを目で追っていると、にわかに一週間前の光景が頭をよぎった。
あの時、ここでXOからの提案を受けなければ、今こうしてルナシーと共に立っていることはなかった。その方が良かったのかどうかは分からない。少なくとも羽を引っこ抜いて悶絶するような苦行はせずに済んだだろう。
ただ、あの提案を受けたことで、かつての自分を振り返る機会を得たことは確かだ。
そして、退屈ではない毎日がそう悪いものでもないということに気付くことができた。
一人だけで過ごしていれば、そんな心境の変化は決して訪れなかったことだろう。
「……あっ、ちょっ! ルナシー!?」
「……………………」
献花を終えたルナシーはいつの間にか花束の聖域の内側にまで踏み込んでいた。
急いでその背後に駆け寄って止めようとするも、時既に遅く……ルナシーの両腕はXOの亡骸の山に肘まで突っ込まれて手先を隠している有様であった。
「あぁ……ちょっと、もう……」
「……………………」
「誰もいなくて助かったけどさ。メトセラにでも見られてたら本気で天界追放ものだよ」
「……………………」
「ほら、早く手を出して。汚れるよ」
「……………………」
「いや、別にXOが汚いと言ってるわけではないんだけど……んっ?」
案の定、引きずりだされたルナシーの腕は真っ黒の錆で肘まで染まっていたが、それ以上に注目を奪ったのは彼女の両腕に掴まれた一枚の板だった。ルナシーからその板を受け取って表面の錆を振るい落とすと、下には見覚えのある模様が浮かんだ。
それはXOの樹皮の一部だった。他は全て錆の粒子となっているが、この一片だけはもとの形状を残したまま埋まっていたらしい。
何気なく裏返すとその一面もまた錆に覆われていた。樹皮側とは異なり、裏面には模様がなく、滑らかな質感だ。
その場に座り、指で適当に線を引くと、拭き取られた下から鮮やかな銀の金属光沢が現れた。そして、よく見るとこの面には何か削り込んだ跡がある。
裏面の錆を全て落とすと白銀に輝く一枚の金属板となり、そこにはこう書かれていた。
――……シェル・スターリング
――……ルナシー・ウインドミルが立派な天使になるまでの教育係として任命する。
――……XO
「……自分もXOってサインしてるじゃん」
「…………」
「それに、結局期日もいまいちよくわかんないし」
「…………」
「最期の最期に黙って委任状を残すなんてさ」
「…………」
「本当に、ひねくれもの、だったな……」
「…………」
ひとつの山を登り終えた気がした。
気付けばその山のふもとまで降りていて、振り返ると頂上は随分遠くに見えた。
「……遺言なら、仕方ないな」
「…………」
「私が一緒にいても、いいかな? ルナシー」
ルナシーは大きく一度頷いて、私の手を握った。
「ありがとう。私が教えるんだから飛翔の練習はビシバシいくよ」
「…………」
「せっかく苦労して羽を抜いたんだから字の練習もしなきゃ。これも毎日少しずつね」
「…………」
「眼も時々使って視力をどうにか鍛えないと。やることは沢山あるなぁ」
「…………」
「……でも、今日はちょっとだけ、こうしていてもいい?」
ルナシーの右肩に頬を寄せると、錆まみれの小さな手の片方が私を撫でた。
いつからか言葉にしなくなったけれど、頭を撫でられるのが一番好きだった。
毎度のように錆が擦れて髪を汚しても、なんだか不思議と許す気になった。
だから、最後の一回も、仕方ないから許してあげよう。
遠くから静かな風がやってきて献花を揺らした。微風に遺灰の頂点が運ばれて宙を舞い、目に見えぬほど小さな集まりへと成る端から、錆びの粒子は昇華して完全にその姿を元来の無へと移り逝かせる。
……ありがとう。
風に乗り、還っていくXOに、そう別れを告げた。




