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エピローグ





 2018年11月9日




「――……いいよ、その調子! 力は抜いて、真っ直ぐ上に!」

「こっ、こんな感じですか?!」

「そう! それでいい! いいね、バッチリだよ!」

「きょーかーん……つばさが、もどりませぇん……」

「押し込むんじゃなくて、翼の方から戻っていく様子をイメージしてみて。これから長い付き合いになるんだから、まずは自分の翼を信頼すること!」

「教官、短距離飛翔を計ってきました。十六秒と半分です」

「おぉ、リハビリは順調みたいだね。もうそろそろ中距離も視野に入れてもいいかもしれないなぁ」

「来週から参加する子を連れてきました~、教官~」

「ええっと、何人だっけ?」

「三人です~」

「了解! 今から挨拶に行くからちょっとだけ待ってて!」

「きょーかーん……やっぱり、つばさがもどりませぇん……」

「ひぇぇ、前言撤回! もう暫く待っててもらって……――」


 一帯は多くの天使で賑わっていた。

 その誰もが、飛翔に関する何かしらの事情があってここを訪れている。

 発芽の飛行場。

 かつて、単に飛行場とだけ呼ばれていた――というよりも、私が勝手にそう呼んでいた――この無風の広大な平野には、今やそのような名が付けられ、天界のランドマークのひとつとして正式に数えられている。

 発案者は私の上司であるメトセラだ。上級天使へと昇格する以前、飛翔教官として名を馳せ、多くの天使を空へと送り出した彼女の本懐……それは、いかなる天使も見捨てずに受け入れて、空を飛ぶための技術を教えることのできる場を用意することであった。




 ※




 発端は百年以上前へと遡る。

 昇格前のメトセラは、同じく昇格前のXOとたった二人で、この平野を開拓しようと計画していた。

 疎密や起伏がまだ散見される未開発の一帯を整備し、飛翔の練習における最高の状況を確保し、空を飛ぶための知識と技術を学ぶ青空教室を作ること。飛翔教官であるメトセラと、彼女よりも一回りは年上だが全く空を飛べずに未だ世話になっていたXOは、彼女たち自身の便の為にも、これから生まれてくる天使たちの為にも、飛行場のような存在が今後必要になると考えて行動に移していたのである。

 そこに不幸が降りかかった。

 延々の大地の厚みを均一に揃える作業の最中、その中でも特に薄く脆弱となっていた部分をXOが誤って踏み抜き、人間界へと落ちた。未だ飛翔ができずにいたXOは天界初の滑落死というものを覚悟し、この犠牲に挫けず飛行場を完成させてほしいという信号を遺したが……メトセラは危険を顧みずに自らも飛び込み、落下する親友の後を追いかけた。

 その結果がどうなったか、私は鷹の目から既に聞いている。

 メトセラはXOに辛うじて追いつきこそした。だが、人間界でのタンデムは言葉にする以上の困難を有していた。彼女たちは体勢を崩し、受け身も満足にとれぬまま、どこか名も知れぬ地の砂漠の上を水切りの石のように跳ねて、墜落した。

 二人はその事故によって脚を失うことになり……

 カミサマは予定よりも早く上級天使へ昇格させて仮初の足を用立てたが……

 彼女たちの心意気と決意までも戻すことは出来なかったとのことだ。

 だが、それでも二人の胸中から、かつての思いが完全に失せることはなかった。教官役に相応しい人材がいつか見つかり、誰も取りこぼすことのない場を作り上げる願望を、表には出さぬままひそりと持ち続けていたらしい。しかし、適任は見つからず、ようやく期待できそうな一人がXOの部下についても、残念なことに長続きしなかったという事実については、私が一番よく理解していたところだ。


 その考えをメトセラが改めたのは十年前の一件だった。

 件の長続きしなかった天使は――つまり、私は――あの出来事を境に変わったらしい。

 機械的に仕事をこなす装置から、教え子の日々の躍進に胸躍らせることのできる天使へと、気付かぬ間に生まれ変わっていたらしい。

 メトセラは過去の全てを包み隠さず告白し、頓挫していた計画の再開を提案した。

 私は彼女の提案に賛成し、鷹の目と共に人手を集めて飛行場の再開発を指揮して、この一帯を真に安全なものとして整備した。

 天を衝く大樹の如き成育のきっかけとなる場所……そのような願いを込めて、私たちはこの一帯を「発芽の飛行場」と命名した。

 今の私には発芽の飛行場第一飛翔教官という肩書がついている。

 霧雨の大樹の鬼教官よりは……まぁ、悪くないかな。




 ※




「お疲れ、教官!」

「やぁ、鷹の目。私は本当にお疲れだよ」

「連日盛況で何よりだね」

「そっちこそ、例の新聞のネタは集まった?」

「そうそう、そのことについてだけど、ビッグニュースだよ!」


 本日の訓練が終わり、教え子たちが皆散開した頃合いに、鷹の目が私の隣へと降り立った。発芽の飛行場の広々とした平面にその元気な声が響く。もう夕刻ではあったが、年に一度の充電期間を先月終えたばかりの彼女の体内バッテリーは満タンそのものであり、今の時分もなんのそのといった様子だ。


「そう言って、いつも大したことじゃあないじゃない」

「いやいやいや、今回ばかりはホントに驚くよ」

「それじゃあ、聞こうか」

「天界初のクビが出たんだよ。上級天使の円卓会議でついさっき、決まったんだってさ」

「クビ、って言うと」

「んん、別の言葉で言い換えるなら……解雇とか、免職とか、そんな感じ」

「クビになると、どうなるのさ」

「さぁ……? 前例がないから、この後のことについては何とも」

「これはまた、中途半端に気になるところで取材を切り上げたもんだ」

「私だって本腰入れたかったけど、仕方なかったんだよ。今は別の記事に着手してるから、そっちを先に終わらせないと……」


 心底惜しそうに鷹の目は自身の境遇を振り返った。

 曰く、彼女が今手掛けているのは、この発芽の飛行場の卒業者たちへのインタビューとのことだ。情報通の連盟によるニュース部に属すると同時に、発芽の飛行場広報部として周囲に宣伝して回っている彼女の役割は大きい。

 この場所が広く知れ渡り、飛翔に関して手に負えないような不調を抱える天使たちを一人でも多く拾い上げて面倒を見ることができれば、霧雨の大樹の統括長として慌ただしく日々を過ごすメトセラと、今は亡きXOが望む、本望に違いない。

 そのことについて鷹の目も重々理解しているだろうから、発芽の飛行場に関する記事の制作にも誇りと熱心があるそうだが、そうは言っても彼女にだって個人的な興味というものはある。「天界初の」……なんてキーワードは鷹の目が好みそうな最たるものであった。


「それじゃあ、私が先に現場をのぞいてこようかな」

「ここの教官役はどうするの」

「明日は撃墜王の班が担当する番なんだよ。だから、私は運動がてらに休みを満喫させてもらおうかな」

「えぇっ、ズルい! くぅっ……でもこっちの締め切りが……」

「まぁまぁ、土産話でも期待しててよ。それで、場所はどこなの」

「夜露の大樹。正確な場所までは分からないけど、最寄りの大樹はそこだってさ」


 ……夜露の大樹、ね。


「了解。まぁ正確な場所なんて事前に分からなくても、迷ったら聞いて回るから平気だよ」

「そっか。随分とまぁ、積極的になったね」

「誰に似たんだろうね、私にはさっぱり」

「ねぇ、教官! ニュース部に入るつもりはない?」

「教官を辞める時が来たら、その時は考えてもいいかな」


 土産話待ってるよ、と残して発芽の飛行場から飛び去る鷹の目とは逆方向に私は向かい、両翼を全開にしながら夕暮れを仰いだ後、ひと息に舞い上がり、吹き抜けの渦の対岸を旅の目的地に定めた。




 2018年11月10日




「お昼寝中、ごめんね。ちょっといいかな」

「……んんぅ……なぁに……?」

「天界初のクビになったっていう天使の噂を聞いたんだけど、この辺りで見かけたことはあるかな」

「あなたも……野次馬の、一人……?」

「うん、まぁ、そんなところ」

「最近は、本当に……いろいろあって……忙しないねぇ……」

「ってことは、噂は本当の事ってことでいいのかな」

「……あっち~……」


 ……あの口調と桃色の寝癖頭、前にも会ったような気がするな。


 とは言え記憶があやふやだったため、私はただ礼だけを述べるに留めた。延々の大地に潜っていた小柄な天使は適当な方角を指さした後、二度寝とも不貞寝ともとれる様子で再び眠りについたため、その安眠を妨げたくなかったことも要因であったが。

 彼女が示した先にもまた覚えがあった。人間界から吹き上げた粉塵が混ざることで彩度の低い黒に染まり、金属さながらの強度と成り、円錐状に変形した延々の大地の一帯……釣鐘の洞窟の群が広がっていた。

 先の桃色頭の天使は「あなたも」と言ったが、周囲は閑散としており、他の誰かの姿はない。もうそろそろ正午を迎えるため、天使たちは工場の木陰へと軒並み引っ込んでいるのかもしれない。

 それはそれで都合が良いと言えた。鷹の目の要望通りに土産話を持ち帰るにあたり、如何な事情にしてこの牢に放り込まれることになったのか、当人の迷惑にならない程度に聞き出して、新聞の話題の足しにでもなれば万々歳であった。その取材に際して人の気は少ないに越したことはない。

 私は一番手前に生えた洞窟を覗き込んだ。誰もいない。

 二つ目の洞窟にも顔を出した。ここにも誰もいない。

 わざわざひとつずつ確認せずとも、透視すれば簡単に済むことではあったが、謹慎処分中の天使を訪ねるという勝手に際して、せめて直接顔を合わせて挨拶をしたいという礼節のような考えがあったため、私は地道にひとつ、またひとつと、釣鐘の洞窟に顔を出してまわった。

 そして、五つ目。


 そこには天使が座っていた。


 背丈は百四十ほどだろうか。その全身は下手をすれば折れてしまいそうなまでに華奢で、儚い。しかしながら、彼女の腰まで伸びた長い一様の銀は自らが発光しているかの如く、薄暗い洞窟内でも力強く輝いている。


 川のせせらぎのように真っ直ぐにこぼれ、流れるその髪は……


 背中には両翼が出しっ放しにされ、彼女の頭と共に項垂れて下を向いている。

 左の翼の隙間からは彼女が日頃用いているのであろう、羽ペンの一本が先端をのぞかせている。


 彼女の翼の羽よりも不釣り合いに大きいその羽は……


 眠っているのか、目を閉じているだけなのか、彼女はその場に腰を下ろした形でしんと鎮まり、膝を抱えた両腕に額を付けて、動かなかった。

「……あの、こんにちは」

「…………」

 出入口の手前から呼びかけると、その天使はゆっくりと面を上げて私を正面に捉えた。


 その丸く、口よりもよく語る真っ黒な瞳は……


「……どちらサマ、でしょうか」

「私は遠くの大樹から来た、えぇっと……そう、新聞記者」

「新聞記者……?」

「うん。正確には、その使いっパシリみたいな感じの……いや、まぁ、ただの野次馬の一人だよ」

「そう、ですか」

「もしよければ、少しお話聞かせてもらってもいいかな?」

「……どうぞ」

 その天使は少し横にずれて座り直した。高さも奥行きも横幅も、彼女の体躯を収容してなお余りある空間であったため、たとえ彼女が詰めずとも、私は難なくその隣に腰を下ろすことができたであろう。

「私はシェル・スターリング。あなたの名前を聞かせてもらっても?」

「エミエル・ストロベリーフィールド、です」

「へぇ、良い名前だね。だけど、どうして苺畑なんだろうね」

「生まれた時、どういうわけか私の翼の隙間に苺のヘタが挟まっていたらしいです。それで、マザーが……私を迎えた上級天使が、そう名付けてくれたんです。ずっと先を見渡して、笑って過ごせるように、と……」

「どこかで聞いたことがあるよ。苺の花言葉は、そう、」

 先見の明だと。

 私は何がどのようになってこのような状況になったのか、エミエルに尋ねた。

 彼女はぽつり、ぽつりと身の上話を語った。




 ※




 エミエルはこの天界において最後に生まれた複合天使だとのことだ。

 人間から取り出した「行き場を失った寿命」を核として、そこに無を掛け合わせることで生まれた、人間と天使の中間となる存在。そして、彼女は最後に生まれた複合天使であると同時に、この天界における最後の複合天使に、つい先日なったと言う。


 齢を今年で十と数えるエミエルは、マザーとの呼び名で知られる上級天使の提案の下、人間界へと長期の出張に赴いたらしい。自らの手によって寿命の供給を止めたその対象者……桜庭ヒカルと共に過ごし、人間というものに対する理解を深めること。それが目的だったとのことだ。

 エミエルはヒカルに恋をした。ヒカルもまたエミエルに恋をした。

 その道筋は彼女の前世から繋がっていた。エミエルの前世、即ち、転生する前から、二人は近い間柄にあった。幼馴染である二人は死別したが――実際には、彼女の転生による不意の別れであるが――、その十年後、天使と人間という状況の差こそあれ、再会することになった。

 エミエルと出会うことで、生きる希望を見出したヒカルに再び寿命を供給するよう彼女は奔走したようだが、既に遅過ぎており、もはや工場から再び流れ出した寿命を受け取る前に、ヒカルの余命は尽きる段階にあった。

 だから、彼女は奥の手を使った。

 自らの核を成す「行き場を失った寿命」をヒカルへと明け渡し……工場から流れる寿命が彼へと届くまでの時間を確保した後……エミエルは消滅したという。


 にもかかわらず、彼女は天界で今も生きている。何故か。


 要は、同じことを施されたのだ。

 彼女の直属の上司であり、それまでは天界で唯一の複合天使であったマザーが、エミエルがヒカルへと渡したように、マザーからエミエルへと、自身の「行き場を失った寿命」を渡したのである。

 その結果、マザーは消滅し、エミエルは生き残った。そして、彼女の対象者であったヒカルもまた、再び寿命を受け取り始めたことで生き長らえているとのことである。

 だが、天界で多大なる功績を残したマザーが、元来の寿命よりも早く消滅したことは事実であり、その原因でもあるエミエルは責任を取るべく、こうして釣鐘の洞窟で座り込んでいる。そういう内容であった。




 ※




「……マザーは、私を庇って消滅したんです。天使にも、人間にも満たない、私のために」

「そっ、か」

「工場の管理者であるギデオンは、私が出張を決めたその時点で、私自身の寿命が残り僅かだったと言っていました。だから、マザーは私の寿命を延ばす口実のためにも、私がヒカルに生きる目標をもたらすためにも、今回の長期出張を提案したんだと……思います」

「そういうこと、ね」


 この子の寿命が十年しか持たないことは必定であり、如何なる手段を以ても覆らない。

 複合天使であるソルエルが、彼女の核を成す「行き場を失った寿命」を与えるという道を除いて。

 そのような方法を実行するにあたり、この子を出張に向かわせたことは、まさに最適解だったと言える。

 エミエルにヒカルを担当させ……

 彼女の判断によってヒカルの寿命を停止させて出張の理由を作り……

 生前の彼女とヒカルとの間に隔たった、共にいられる時間の不足を解消し……

 鬱屈としていたヒカルという人間に生きる希望を持たせて寿命定着率を向上させ……

 最後はエミエルに自らの寿命を渡して……

 十年しか持たないと判明していた彼女の生を延命する……


 ……あなたは一体どこからどこまでを計画していたんですかね。


「ありがとうございます」

 えっ、と私が返すと、そのように口にした当人であるエミエルもまた驚いた表情をもって、無意識に動いたであろう自らの口元を両手で覆った。彼女は不思議そうに喉の調子を確かめ、適当に発声したりしていたものの、出所不明の一言が飛び出すことは二度となかった。


 ……こちらこそどうも、ソルエル。この子を助けてくれて。


「これからはどうなるんだろうね」

「円卓会議では人間を見守るには相応しくない、と結論付けられましたが……翼も眼も、まだここにあります」

「と言うことは、何か別の仕事を割り当てられるのかもしれないね」

「かも、しれません。カミサマからお話があるらしくて、後でその内容を聞きにいくつもりです」

「そっか、なるほどね。それじゃあ……知りたかったことを聞くことができたし、私はそろそろ帰るよ」

「そういえば、どちらから来られたのですか」

「霧雨の大樹ってところ。吹き抜けの渦の対岸の、もっと向こうかな。そこで飛翔教官を勤めてる」

「そんなに遠くから、ですか」

「うん。だから、ここらでお暇しないと明日に間に合わないかもしれないってわけ」

「そうですか。あの……お話しできて、楽しかったです」


 ……確かに、お話しをしたのはこれが初めてかもね。


「あぁ、そうだ。さっき、自分の事を天使未満だって言ってたけど、そんなことは絶対にないよ」

「人間界に降りたことで、私はヒカルの寿命定着率を延ばすことには貢献したかもしれませんが、彼の友人については逆に働いてしまいました」

「そうなの」

「はい。私のわがままのせいで、りゅーちゃんは……白鞘竜姫は怪我をしたんです」

「それで、その人の寿命定着率が下がった、と」

「そうです。結果としては軽傷でしたけど……彼女の最終的な寿命をどれだけか短くしてしまったことに違いはありません」

「そんなのとは比べ物にならないくらいに、あなたは白鞘竜姫を助けているよ」

「お気遣いは嬉しいですけど……」

「あの時、あなたがいたから彼女は予定を変えて、上り線に乗らずに済んだんだからね」

「えっ、と……?」

「そのおかげであの時私の受け持っていた八人の内、最初の一人だったはずの彼女は、今じゃあ最後の一人の予定になってるんだからさ」

「その、何の話ですか」


 ……分からなくて当然だ、記憶は一切残っていないのだから。


「彼女の代わりにあの時の礼を言っておくよ。ありがとうね」

「……?」

「それじゃあ、今度こそ行くね。会えてよかったよ」

「あっ、あの、シェル・スターリング! 前にどこかで会ったことが……ありますか?」

「いいや。私とあなたは初対面だよ」


 釣鐘の洞窟から外に出て両翼を広げると、ばさりと音を立てながら背中に重みが生まれ、大気の状態が鋭敏に感じられる。

 気温は上々、時折の微風に、真っ青に明るい空。

 絶好のコンディションだ。大気も、心も。

 浮かび上がる直前、最後に肩越しに背後を一瞥した。翼の奥にエミエルの様子がうかがえた。私の翼を見つめ、次いで自らの左の翼へと手を伸ばしている。まじまじと比較される前にここを離れることにしようか。

 思い切り地を蹴り、初速を与えると、遅れて得られた推進力はその勢いに乗算され、ジェット機さながらの威勢で身体が舞い上がる。

 髪を乱し、頬を撫でる向かい風が心地好い。

 遥か下方に釣鐘の洞窟から顔を出したエミエルの姿があったが、瞬く間に小さくなり、やがて風景と同化した。


 ……あの子はもう、いない。

 ……あの子の中に、私もいない。

 ……だけど。


 だけど、私の生き方の中に、あの子がいたこと、それだけは確かだ。

 その輝きに恥じぬよう、その輝きを誰かに与えられるよう、私も輝こう。

 翼は軽やかに、それでいて力強く羽ばたき、私を更に高みへと押し上げる。

 遠くに見えた吹き抜けの渦からのぞく群青は、胸の奥の思い出の青さとよく似ていた。




 完

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