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もう一度妻をおとすレシピ 第5冊  作者: 奄美剣星(旧・狼皮のスイーツマン)
チャーチル・ノート
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チャーチル・ノート/023 イタリア戦線1943-45 2/2

 会談では戦後のフランスをどうするかという問題にも触れられていた。

 フランスがドイツに降伏したあと、本国南部にペダン将軍を首班としたビシー政権が樹立されたが、敗色が濃くなくなると、ドイツ側はビシー政府の支配地である南部をも直接支配し、政府を傀儡化させた。 

 ビシー政府閣僚の一人だったダルラン大将は、連合国軍の動きに合わせて、北アフリカのアルジェリアで叛旗を翻し政権をつくったのだが、突如暗殺された。跡を継いだジロー大将が代表となり、自分こそがフランスの代表だと主張するド・ゴール准将と対立した。

 ルーズベルトは、激しい性格のド・ゴールを嫌い、ジロー大将を支持。盟友ド・ゴールを推すチャーチルと対立した。

 ド・ゴールは、ナチスに占領された欧州各国同様に、英国にフランス亡命政府をつくった上で、本国にむけてレジスタンス闘争を呼びかけ、植民地各国から傭兵を募り、亡命した正規軍とともに、英国軍に歩調を合わせて戦ってきた。兵員は雪だるま式に増えて数十万となり、大戦末には百万を数えるようになる。

 会談そのものは課題を残すものだったが、イタリア上陸作戦の道筋はつけた。

 カサブランカ会談が終わると、チャーチルは、モロッコ中央部でアトラス山脈の丘陵地帯・テンシフト川の南岸にあるマラケシュに立ち寄った。「南の真珠」と呼ばれている古都だ。

十二世紀のムラービト朝以来諸王朝によるモスク、宮殿群、陵墓群、庭園など、きわめて空の青に映えて幻想的な風景をかもしだし、訪れたチャーチルは感銘を受けた。激務の合間のいい骨休めになった。

 イタリア戦線は、同年七月九日、連合国によるシチリア島上陸作戦で幕が開ける。

 二十五日、国王と会談したムッソリーニが首相を罷免された上で逮捕され、バドリオが首相職を継いだ。

 同日午後十時四十五分にその旨について、国王がラジオで声明をだすと、国民は狂気してファシスト党員や憲兵を襲撃。ファシスト党員たちは党員証と黒服を川や路地に投げ捨てた。

 しかしここで、アメリカ大統領ルーズベルトが強行に主張する「枢軸国無条件降伏」という、相手に屈辱を強いる姿勢が、脚を引っ張ることになる。

 少しは敗者をたてる「休戦」ではなくあまりにも惨めな「降伏」を突きつけられたイタリア王国内部での内部調整はもたついた。具体的に、八月三十一日から九月三日にかけてイタリア側特使と連合国のアイゼンハワー将軍との間で折衝がなされたのが、その間の通信内容は、ドイツ側に筒抜けになっていた。

 ドイツ側ではヒトラー総統が、北アフリカ戦線消滅直前にギリシャに転属させていたロンメル元帥をベルリンに呼び戻し、対応を協議した。

 ロンメルは、イタリア降伏後に、ただちに占領すると民心を損なうといって反対したが、ヒトラーは実行した。

 九月八日、イタリア王国の降伏「バドリオ声明」があった同日、ヒトラーは「アシェ作戦」の発動を命令。ドイツ軍が得意とする電撃作戦でイタリア諸都市を落としてゆく。

 各都市駐留軍が混乱したまま降伏・武装解除されてゆく最中、国王と王族はローマを脱出した。

 十二日、「グラン・サッソ襲撃事件」が起り、シュトゥデント少佐率いる特殊部隊が、監禁中のムッソリーニを救出することに成功。

 イタリアに雪崩れ込んだドイツ軍は、北部はロンメル元帥が、南部はケッセルリンク元帥が指揮をとり同月下旬には半島のほぼ全域を占領。その上で、ムッソリーニを首班とした傀儡政権「イタリア社会共和国」に祭り上げ、強固な防衛線を幾重にも施してしまった。

 結果、イタリア王国が連合国側に加わったものの、支配地域は南部にとどまり、チャーチルが構想していた、「連合軍が半島を北上して、ドイツ中枢部を突く」という策略は頓挫し、同戦線は、ドイツが降伏する四五年五月まで維持されてしまった。

     *

 閑話余談。

 ルーズベルトの対枢軸国「無条件降伏」論にしぶしぶ同意したチャーチルには、一男三女がいた。

 このうち二女のサラは女優になり、コメディアンのビク・オリバーと結婚。やがて渡米する。一九五一年のアメリカ映画『恋愛準決勝戦』に出演し、三年後である五八年、テレビドラマ『マルコポーロの秘密』の主演女優となった。このときサラは、リハーサルをさぼって、カリフォルニア州の自宅で、二時間に渡って迷惑電話をかけたことから、電話会社の通報を受け、駆け付けた保安官の車にラム酒の瓶をもったまま、酩酊し、意味不明の悪態をかましながら乗り込んだという。幸福ではなかったとされる。

 チャーチルはこの娘婿が気に食わず疎遠になっていた。

 さて。

 膠着したイタリア戦線は戦略上、もうどうでもいい地域になっており、宰相の頭はフランス・ノルマンジーにシフトしていた。

 そうはいっても、大戦も大詰めになるころになるとイタリア半島を、物量に物をいわせた連合軍が、じわじわ戦線を北に押し上げていたのも事実だ。

 戦局が悪化し、ドイツ軍と一緒に、北部へ追い詰められてゆくイタリア傀儡政権首班ムッソリーニ。その娘婿に、チアーノ伯爵という人物がいた。ムッソリーニが王国宰相をやっていた時代には閣僚だったのだが、連合国に降伏する際、舅を降ろすのに一役買った。しかし電撃戦でやってきたドイツ軍に捕えられてしまい、四四年一月、舅に反逆罪のかどで告発され銃殺刑に処せられた。

 ナチスが崩壊し、ドイツ軍と一緒に逃げるムッソリーニが捕えられ、民衆によってリンチ殺害される少し前、伯爵処刑の報告をきいたチャーチルは、感慨深くいった。

「手も足も出なくなったムッソリーニだが、少なくともともまだ娘婿をブチ殺すお楽しみが残っていたというわけか」

 自由主義陣営の宰相も、気に入らぬ娘婿に対する感情については、ファシズムの独裁者との共通点をみいだすことができた。

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