チャーチル・ノート/021 砂漠の狐ロンメル2/2
エルアラメイン会戦に登場するドイツ側、英国側双方の戦車・砲門の主なものには、次のものがあった。
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まずドイツ側だ。
二から四号戦車と、二十ミリ高射砲の名が挙げられる。二号戦車は偵察用に使われていた旧式の戦車だ。軽快な機動力があり、堡塁に籠る機関銃手に対して効果的だ。あとで述べる三号戦車はエルアラメイン会戦におけるドイツの主力戦車だった。四号戦車は次期主力戦車で、北アフリカに投入された数は少ない。
このうち、三号戦車は全長六・四メートル、整地走行・時速四十キロ、不整地走行時速十七キロ。戦車砲と対人用である機関銃を装備し、車長、射手、装填手、操縦手、通信手の五人が搭乗員となる。
また戦車並みに活躍する8.8 cm FlaK 41高射砲は、全長五・八メートルで一分間に十五発を発射する能力がある。本来は航空機用の機関砲だが、対戦車用としても効力を発揮した。
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対する英国側は、M3とM4戦車が主力だ。
M3中戦車グラントは、イギリスのものをアメリカでライセンス生産したもの。全長六メートル、整地・時速三十九キロ。戦車砲と機関銃を装備。六、あ七名の搭乗員を要する。
M4中戦車・シャーマンは、アメリカ製で、全長四・八メートル、整地・時速三十九キロ、不整地・時速十九キロ。戦車砲と機関銃を装備。五名の搭乗員を要する。
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ロンメルはアフリカばかりではなく欧州でも活躍している。どこの戦線でも、陣頭指揮をとり、敵兵を皆殺しにするよりも、攪乱して捕獲する戦術を好んだ。
また、ナチス党員ではなく、ユダヤ人狩りや捕虜虐殺命令がでても握りつぶしてしまう。撤退時に連れてゆくことができない負傷した捕虜は、毛布で丁寧に包み、自国軍勢に発見しやすいようにしてやったくらいだ。
ロンメルが、こんな具合だから相手をする英軍側も触発され、国際法を順守し、捕虜を丁寧に取り扱い、敵兵負傷者までも介護した。
ロンメルの名声は、敵国である英国ですら高まった。
チャーチル首相が、
「ロンメル! ロンメル! ロンメル! 奴を倒すこと以上に大事なものなどこの世に存在しない!」
とわめきながら、カーペットが敷かれた重厚な下院の廊下を歩いてゆき、演壇に立つと敵将を評して、
「天才的な能力を持った男だ」
とスピーチの一節につけ加えた。
国家の命運と国民の生命を背負うチャーチルの宰相としての立場は、騎士道の敵将を讃える一兵士と異なる。ロンメルはやはり排除すべき危険な存在で、諜報機関が暗殺計画をだすと、即座にサインした。しかしけっきょくミッションは失敗。だがそのことはかえってチャーチルの名声を傷つけずにすむ結果になった。
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八月三十一日。
このときの、ロンメル麾下のドイツ装甲軍団は、ドイツ戦車九十両、イタリア戦車百三十両。鹵獲戦車が正規戦車と変らないくらいに多くなってきた。最大の懸案は燃料が底を尽きかけているという状況だ。
英軍第七機甲師団の前衛にロンメルは猛攻を加えたが、奥行きのある広範囲の地雷原に阻まれ、足踏みしているところに、北から英軍総司令官モントゴメリー将軍麾下・第八機甲師団の一部が、東から主力・第七機甲師団が迫ってきた。
ロンメルは、麾下の第二十一装甲師団を防御にしつつ、なけなしの燃料をもっていた第十五装甲師団をもって、英国本陣を衝こうとしたが、第二十二戦車旅団が阻んだ。同師団は、やむなく敗走する。
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敗走してゆくドイツ戦車部隊を、英国軍指揮戦車のハッチを開けて、双眼鏡で観測していたのがモントゴメリー将軍だった。
車内から砲塔のある上を見上げている参謀がいう。
「将軍、早速、反転攻勢をかけますか?」
「宰相閣下好みの将軍は速攻戦ができる奴だ。しかし自分は無視することにする」
「解任されますよ」
「そのときはそのときだ。制海権・制空権は友軍が握っている。アフリカにくるドイツ・イタリアの輸送船はことごとく海に沈めているとのことだ。諜報員の報告によれば、補給を受けていないロンメルの虎の子・戦車軍団の燃料は底を尽きかけている。ガソリンのない戦車など鉄屑も同然だ。もう少し、焦らして、ガソリンを無駄に消費させてやる」
モントゴメリー将軍は、チャーチルが電話で、やいやい、がなりたてるのを無視して、補給物資と人員が十分になるまで動かないでいた。臆病なのではない。
英軍側は、後方エジプト・アレクサンドリア港に接岸した輸送船から降ろされた戦車が、潤沢な物資とともに、とめどなく前線に送られ、二倍三倍と兵力差がついてきた。それでもモントゴメリーはまだ動かない。
反攻作戦は北から攻め込む計画だ。しかし南から攻めこむようにみせかた。偽補給品集積所、パイプラインや水道、それを守備する戦車・砲門まで張りぼてをつくって、ドイツが飛ばす偵察機の目をくらませた。
十月下旬の英・独の火力比は、英国側が砲門二千門強、戦車一千両強。対するドイツ側は砲門一千門強でしかも大半が旧式という状況で、戦車は壊滅状態だった。
ドイツ側にとってさらなる不運は、ロンメルが持病で、本国に帰還したことだ。英国側は、ドイツの暗号変更後に、再解読に成功したころで、そのあたりの事情を知っていたのか、十月二十三日夜、満を持して、モントゴメリー麾下の英軍が奇襲作戦・ライトフットを発動。とどめを刺すように、月が改まった十一月一日、英国軍は掃討作戦・スーパーチャージを開始する。
十日間に及ぶ戦闘で、ドイツの代理指揮官シュトゥンメ将軍が担い戦死した。このとき、本来は対航空機に用いる88mm高射砲を対戦車用に転用して効果を上げているのだが、英国側の波状攻撃のため、航空機に乗って引き返してきたロンメルが到着したときには、もはや戦力という状況ではなく、高射砲が二十四門が残るのみだった。
四日、奮闘したロンメルがついに、リビアに撤退命令をだす。




