第1部(3) 第3話:黎明の秤と至高の理
巨塔の最頂部——そこは、
天を衝く巨大な二つの皿
【至高の天秤】が直接鎮座する、
果てしない虚空の領域だった。
虹色の光を纏い、
階段を駆け上がってきた
カイ、ミーナ、レノの三人。
その眼前に立ち塞がるのは、
眼窩の結晶を不吉な漆黒へと
変色させた皇帝アウグストだった。
「おののくがいい、
蠢く虫ケラどもめ……!」
アウグストの叫びとともに、
巨塔の床が鳴動する。
左の皿に溜め込まれた世界中の
「怨念と不浄の黒泥」と、
右の皿に満ちていた
「一切を消し去る無色の虚無」が
混ざり合い、
天秤の中心で一つの
【崩壊の特異点】を形成し始めていた。
「世界の二元は極まった!
輝きが増せば増すほど、
反作用の影も巨大となる!
この【至高の天秤】が完全に傾いた時、
世界はお前たちの愚かな『感情』ごと、
無へと還るのだ!」
特異点から放たれた衝撃波が、
天頂の空間を裂く。
不浄の黒と無色の影が合体した
「虚無の嵐」が、凄まじい勢いで
カイたちへと襲いかかった。
触れただけで存在そのものを抹消する、
完全なる終末の奔流。
「カイ! ここは俺に任せろ!」
レノが叫び、全エーテルを注ぎ込んだ
鋼鉄の義手を床へ突き立てた。
「技師の最後の仕事だ……!
命を削ってでも、この天秤の
駆動ギアを砕いてやる!」
義手から弾け飛んだ過酷な
過負荷の光が、
天秤の巨大な歯車へと噛み付き、
暴走する機械の動きを
間一髪で押し止める。
「レノさん……!」
「行けカイ!
お前さんのその『生の光』を、
あいつのイカれた理に叩き込んでやれ!」
「ミーナ、ここで待っていて!」
「うん!
お兄ちゃん、いってらっしゃい!」
ミーナが両手で胸元の鈴を握り締め、
心からの祈りを捧げる。
その祈りが、
カイの背中を押す目に見えぬ翼となった。
カイはむき出しの【原初輝石】を握り締め、
虚無の嵐の渦中へと飛び込んだ。
「無駄だ!
個人の一滴の善など、
世界の『絶対』の前には虚妄に過ぎん!」
アウグストが両手を振ると、
漆黒の刃と無色の波動が、
幾重にも重なって
カイの身体を切り刻もうと迫る。
だが、カイの歩みは止まらない。
皮膚が裂け、血が吹き飛ぼうとも、
胸の中に灯る「絆の温かみ」が瞬時に
その傷を癒やし、
光をいっそう強く輝かせる。
(父さん……サティ様……
精霊たち……そして、ミーナ。
俺に生きる意味を
教えてくれたみんな……!)
カイは目を逸らさず、
まっすぐにアウグストの胸元を見つめた。
「アウグスト!
お前は『善』と『悪』を切り離し、
打ち消そうとした!
だけど違うんだ!」
カイの一歩ごとに、
虹色の光の領域が虚無を塗り潰していく。
「人は弱い!
間違えるし、傷つけあう!
だけど……その泥の中から
『善くありたい』と願う心こそが、
生きている証なんだ!
完璧な無の世界に、誰も救われやしない!!」
「黙れえええっ!!」
アウグストが自らの生命を削り、
巨大な虚無の概念剣を振り下ろす。
カイは短剣を捨て、
右手に握り締めた【原初輝石】を
そのままアウグストの胸の
「無色の結晶」へと突き出した。
「我が心は正しき道を往く——
【黎明の閃光】っ!!!」
ドドォォォォォォンッ!!!!
世界の中心が吹き飛んだかのような、
絶対的な光と影の衝突。
アウグストの無色の結晶に、
カイの輝石が放つ虹色の生命光が
直接打ち込まれた。
あらゆる感情を拒絶してきた結晶の表面に、
ピキ……と小さなヒビが入る。
「な……心が……生命の情動が……
私の中に流れ込んで……くる……!?」
アウグストの感情のない顔に、
初めて「恐怖」と「困惑」、
そして生々しい
「人間としての苦痛」が浮かび上がった。
輝石の光は、
アウグストの虚無を破壊したのではない。
一切の感情を捨て去っていた男の心に、
世界中の「生の色彩」を力ずくで注ぎ込み、
人間へと連れ戻したのだ。
「温かい……?
いや……苦しい……これが……
『心』というものか……!?」
アウグストの胸の結晶が、
眩い光とともに内側から弾け飛んだ。
同時に、
天頂に聳えていた【至高の天秤】の
巨大な構造体が、
ガラガラと音を立てて崩壊を始める。
溜め込まれていた
「不浄」と「無」のエネルギーは、
カイの放つ黎明の光に包み込まれ、
清らかな霊素の風となって
世界の空へと散っていった。
「見事だ……アシャニアの……子よ……」
アウグストの身体が、
人間としての静かな満足の笑みを
浮かべながら、
崩れ去る光の粒子となって
消滅していった。
ゴオオオオオン……
巨塔の頂部が崩壊し、
天を覆っていた暗雲が、
中央から円状に
劇的に切り開かれていく。
そこから降り注いだのは、
何年もの間、
ソーレム帝国が遮り続けていた
本物の「黄金の太陽の光」だった。
光は【ソーレム・プリムス】の
街並みを照らし出し、
感情を取り戻した市民たちの涙を
優しく包み込む。
さらに風に乗って【灰塵の荒野】を
吹き抜け、ヴァルナの樹海へ、
アシャニアの故郷の廃墟へと、
世界中に
「再生の道標」として広がっていった。
「やった……終わったんだ……」
カイは膝をつき、天を見上げた。
右手の【原初輝石】は、
役目を終えたかのように、
穏やかな温もりを宿した
一粒の綺麗な琥珀色へと落ち着いている。
「お兄ちゃん!」
ミーナが駆け寄り、
カイの背中に抱きついた。
「ハハ……無茶やりやがるぜ、まったく」
義手をボロボロにしながら、
レノも笑いながら歩み寄ってくる。
壊れかけた巨塔の果てに、
広大な世界が広がっていた。
ソーレム帝国の絶対の法は崩れ去り、
世界は再び
「未完成で、けれど愛おしい混迷の時代」
へと戻るだろう。
これから先の道にも、
苦難や対立はつきまとわないとは限らない。
けれど、カイの手の中には、
そして世界中の人々の胸の中には、
決して消えることのない
「善き道標」が灯っていた。
カイはミーナの手をしっかりと握り直し、
差し込む太陽の光に向かって、
力強く立ち上がった。
「行こう、ミーナ、レノさん。
……新しい世界を、見に」
光と影を超えた先に、
新しい黎明の物語が、
今ここから始まろうとしていた。
読んでくださりました方々に篤くお礼申し上げます。
ありがとうございました。
9/12、8:10 に、第2部 第1話を投稿します。




