岬の供え
港に面したその町では、岬へ上がる石段の途中に、小さな祠があった。
鳥居もない。社殿らしい形もない。潮と風に削られたような岩のくぼみに、平たい石が一枚はめ込まれているだけで、知らなければ祠だとは思わない。けれど町の者はみな、そこを通るたび、飴か、干菓子か、ほんの少しの酒か、とにかく何かひとつを置いていった。
理由を聞いても、年寄りは曖昧に笑うだけだった。
「昔からだから」
「供えとかないと、持っていかれるぞ」
「誰にって、そんなの知らんでいい」
子どものころから、そうしろと言われて育った。岬へ上がる日は何かひとつ持っていく。飴でもいいし、家にある菓子でもいい。何もなければ、缶コーヒーの蓋に少しだけ茶を注いで置けばいい。私にとってそれは、信心というより生活の癖みたいなものだった。戸締まりを確かめるとか、出かける前に鍵を持ったか触るとか、その程度のことだった。意味はよく知らないし、正直、考えたこともない。ただ、その石の前を手ぶらで通るのが、何となく落ち着かない。それだけで続けていた。
「置かんと、あれが寂しがるから」
母はそう言っていたが、その“あれ”が何なのかは、とうとう教えなかった。
観光地としては、さほど大きな町ではない。海が見える古い坂道と、白い灯台と、夕日のきれいな岬が、写真好きの人間に少しだけ知られている程度だ。春から秋にかけては、休日になると、県外ナンバーの車や、カメラをぶら下げた若い連中が増える。
その年の六月も、梅雨の晴れ間に合わせたように観光客が来ていた。
––
その日は、朝から妙に蒸していた。雲は薄いのに、海が重たく見え、風も生ぬるい。私は午前中で仕事を上がり、帰りに岬の売店へ寄った。店先の自販機の横で、見慣れない二人組が地図アプリを見ながら立ち止まっているのが見えた。若い男女で、どちらも街着のまま、観光で来たらしい軽い雰囲気だった。
「灯台ってこの上ですか」
男のほうが私に尋ねた。
「ええ、石段を上がって、左に曲がればすぐです」
そう答えると、女のほうが笑って礼を言った。明るい声だった。手には、売店で買ったらしいソフトクリームがあった。
二人はそのまま石段へ向かった。私は何となくその後ろ姿を見ていて、それから、あ、と思った。
石段の途中の祠の前を、そのまま通り過ぎたのだ。
まあ、観光客だし、知らなくて当然だった。町の外の人間にまで、いちいち説明する決まりでもない。実際、知らないまま素通りしていく人もいる。ただ、多くは地元の誰かが近くにいれば、「そこ、何かひとつ置いていってください」と声をかける。軽く会釈でもしてもらえば、それで済むこともある。
その時の私は、少し迷った。わざわざ呼び止めるのも変だと思ったし、若い観光客に土地の因習めいた話をするのが、妙に気恥ずかしかった。
結局、声はかけなかった。
私自身はポケットに入れていた塩飴をひとつ、いつものように石の前へ置いた。透明の包みが、湿った光を返した。それで十分だと思った。自分がいつも通りにしていれば、それで済むような気がしていた。
岬の上は、人が多かった。灯台の白壁を背景に写真を撮る者、海を見下ろして声を上げる者、ベンチで飲み物を飲む者。あの二人組も、手すりの近くにいた。女がスマホをかざし、男が少し離れたところから海を撮っていた。
それきり、私は家へ帰った。
––
異変に気づいたのは、その夜だった。
日が落ちてから、町内の消防団の連絡網が回ってきた。岬の上で、観光客の片方がいなくなったという。崖から落ちたかもしれない、という話だったが、物音を聞いた者はいない。目撃も曖昧だった。いたはずの二人のうち、一人だけが急に見えなくなった、としか言いようがないらしい。
私は胸のあたりが冷たくなった。
どちらがいなくなったのか聞くと、女のほうだという。男は半狂乱になっていて、話が要領を得ないらしい。さっきまで隣にいた、写真を見せようとして振り向いたらいなかった、ふざけて隠れたのかと思った、でもどこにもいない、と繰り返しているという。
翌朝、町は妙に静かだった。
捜索の手伝いに出る前、私は祠の前に立った。昨日自分が置いた飴の包み紙だけが、濡れて石に張りついていた。中身はなかった。蟻も、鳥も、こんなところまで来ない。潮風のせいで転がったにしては、包みだけが残るのも変だった。
しゃがんでそれを見ていると、背後から母の声がした。
「昨日、よそ者が通ったろ」
振り向くと、買い物帰りらしい母が立っていた。私が何も言わないうちに、母は祠を見て、ひどく嫌そうな顔をした。
「何もせんかったのか」
「私は置いたよ」
「お前じゃない」
その言い方に、ぞくりとした。
母は祠の前に小さな羊羹を置き、手を合わせるでもなく、ただ数秒じっと石を見た。それから低い声で言った。
「見つからんかもしれんね」
「そんなこと言うなよ」
「昔からそうだよ。取られたもんは、道から外れる」
道から外れる。
その言葉だけが、妙に耳に残った。
––
捜索は三日続いた。崖下も、遊歩道の脇の藪も、海沿いの岩場も見た。だが、女は見つからなかった。靴も、バッグも、スマホも、何ひとつ落ちていない。男の証言だけが頼りだったが、それも時間が経つほど曖昧になっていった。
「少し先を歩いていた」
「いや、隣にいた」
「写真を撮っていた」
「何か見ていた気がする」
四日目には、県警も顔つきが変わっていた。事故にしては痕跡がなさすぎる。自分で降りたのなら不自然すぎる。事件性を疑うにも、証拠がない。
その頃から、町の者の口数が減った。
誰も表立っては言わない。けれど、店先でも、漁港でも、みな視線だけで同じことを確かめ合っていた。供えなかったからだ、と。
私はそれがいやだった。そんな馬鹿な話があるかと思いたかった。けれど、あの石段を思い出すたびに、自分が声をかけなかったことが喉につかえた。
一週間後、男のほうが宿を引き払うことになった。憔悴しきって、ろくに眠れていない顔をしていたという。駅まで送るタクシーを待つあいだ、宿の女将が熱い茶を出したが、ほとんど手をつけなかったらしい。
それでも帰る前に、男はもう一度だけ岬へ行きたいと言った。
やめたほうがいいと誰もが思ったはずだ。だが、止められなかった。最後にいなくなった場所を見たい、その気持ちはわからなくもなかったからだ。
––
昼過ぎ、私は仕事を抜けて、遠巻きに岬の下を見に行った。妙な胸騒ぎがしていた。
男は一人で石段を上がっていた。足取りはふらついているのに、止まる気配がない。祠の前まで来た時、ようやく立ち止まった。けれど、何も置かない。ただ、そこにしゃがみこんで、石のくぼみを覗き込んだ。
その時だった。
男が、誰かに呼ばれたように顔を上げた。
石段の上のほうを見たのだ。灯台へ続く曲がり角の先、こちらからは見えない場所を。
次の瞬間、男は立ち上がり、夢中で駆け出した。
「おい」
思わず声が出たが、届かなかった。男はまっすぐ石段を上がっていく。何かが見えているような、ひどく明るい顔だった。追いかけたが、蒸し暑さで足が重く、すぐに距離が開いた。
曲がり角を曲がったところで、男の姿は消えた。
本当に、消えたのだ。
走って追いついた私の前にあったのは、濡れた石畳と、風に鳴る草だけだった。左右は低い柵に囲まれ、その先はすぐ斜面だ。隠れる場所などない。灯台の下まで見通せるのに、男の影すらなかった。
ただ、少し先の地面に、宿の部屋の鍵が落ちていた。
まだ温かかった。
私はそれを拾い上げたまま、しばらく動けなかった。耳の奥で、波の音と、誰かが何かを噛むような小さな音が重なっていた。気のせいだと思いたかったが、その音は、石段の下の祠のほうから来ているように思えた。
––
結局、その男も見つからなかった。
町の外では、失踪事件として少しだけ騒がれた。観光地の管理体制がどうだの、防犯カメラが少ないだの、そういう話も出た。けれど、映像には不自然なところがなかった。男が石段を上がる姿までは映っていて、その先が死角になっている、それだけだった。
女のほうも、男のほうも、どこへ行ったのか、誰にもわからなかった。
その年の夏は、観光客が少し減った。
町の者は何も言わなかったが、祠への供え物だけは、前より明らかに増えた。朝には団子、昼には缶茶、夕方には饅頭、夜には小皿に盛った米まで置かれるようになった。誰かが忘れても、別の誰かが補う。石の前が空になる時間を、町ぐるみで避けるようになった。
私も毎日、欠かさず何かを置くようになった。
以前は、ただの習慣だった。母に言われたから、町の者だから、それだけで続けていた。岬へ行くなら供える。そうしないと落ち着かない。せいぜいその程度のものだった。けれど今は違う。
名前も知らない。何に供えているのかも知らない。知りたいとも思わない。
ただ、あの二人が、本当にどこへ行ってしまったのかを考えるたびに、石のくぼみを空にしてはいけないのだと、はっきりわかる。
ときどき、朝早く供えに行くと、石の前がまだ湿っていることがある。夜のうちに誰かが新しい水を置いたのかもしれないし、潮が飛んだだけかもしれない。けれど、その濡れ方はいつも、誰かが口をつけたあとみたいに、石の縁から細く垂れている。
私はもう、そこを覗き込まない。
飴をひとつ置いて、目をそらして、すぐに石段を下りる。
下りながら、背中に気配を感じることがある。食べ終えたものが、まだ足りないと言いたげに、こちらを見ているような気配だ。
だから私は、前よりも少しだけ多く供えるようになった。
二度と、ああいうふうに、町の外から来た人間が道から外れないように。
そして何より、次に足りないぶんとして数えられるのが、自分でないように。




