夜の納屋
夏休みのあいだ、私は祖父の家に預けられていた。
祖父のことは好きだった。朝は一緒に畑へ行くし、昼には冷えた麦茶を出してくれる。口数は少ないけれど、そばにいると安心できた。
ただ、家の裏にある納屋だけは、昔からあまり好きじゃなかった。
昼でも中が暗い。
一度だけ祖父のあとについて中を見せてもらったことがある。鍬や鎌、肥料の袋、木箱が置いてあるだけで、別に変なものは何もなかった。ここならかくれんぼで最後まで見つからなさそうだな、と思ったくらいだった。
今年も来た初日に、祖父は裏を歩きながら言った。
「夜は納屋、開けるなよ」
私はうなずいた。
理由は聞かなかった。
––
昼のあいだは、納屋のことなんて気にならない。
畑に行って、戻って、昼を食べて、川に行って、夕方になる。
ただ、日が傾いてくると、裏を通るときだけ足が少し速くなる。
納屋の前は、同じ場所なのに影が濃く見える。
田舎の夜は、音がする。
縁の下で何かが動いたり、屋根で小さく音がしたりする。最初は全部怖かったけれど、たいていは猫か、風か、そのくらいだと分かるようになっていた。
––
三日目の夜だった。
その日は昼寝をしすぎて、布団に入ってもなかなか眠れなかった。目が冴えていて、虫の声ばかりが大きく聞こえる。
その中に、別の音が混じった。
……ずる。
何かが引きずられるような、低い音だった。
一度だけではなかった。
少しして、また鳴る。
……ずる。
……かさ。
庭のどこかで鳴っているようで、でも、だんだん場所がはっきりしてくる。
納屋のほうだった。
動物の音とは違う。
もっとゆっくりで、同じところを動いている感じがする。
私は布団の中で固まった。
息をするのも浅くなる。
音は止まらなかった。
……ずる。
……かさ。
ときどき、……とん、と小さく鳴る。
布団を頭までかぶっても、音は消えない。
むしろ、布団の中のほうが近く聞こえた。
その夜は、ほとんど眠れなかった。
––
朝になると、納屋はいつも通りだった。
戸は閉まっていて、何も変わっていない。
私は裏を通るとき、納屋のほうを見ないようにした。
––
その夜も、同じ音がした。
……ずる。
……かさ。
昨日と同じだった。
耳をふさぎたくなったけれど、できなかった。
音が消えたら、それがどこかへ来る気がした。
––
次の日、私は祖父に言った。
「夜、納屋うるさい」
祖父は少しだけ納屋のほうを見てから、
「早く寝ないと大きくならないぞ」
と言った。
それだけだった。
その言い方で、前の夜だけじゃないんだと思った。
ずっと前から、同じ音がしていたのかもしれない。
私が寝ていたから、知らなかっただけで。
––
夕方、私は一人で裏へ回った。
行きたくはなかったが、昼のうちに確かめておけば、夜に少しはましになる気がした。
納屋は西日で縁だけが明るく、その中は暗いままだった。
途中で何度も足が止まった。
戻ろうかと思った。
でも、戻っても夜は来る。
私は息を整えて、ゆっくり近づいた。
戸の前に立つ。
すぐそこなのに、手が伸びない。
しばらくして、やっと指先で戸に触れた。
冷たかった。
少しだけ引く。
隙間ができる。
中は暗かった。
昼に見たときと同じで、農具や袋がぼんやり見えるだけだった。
それでも、奥のほうだけ、光が届いていないように暗かった。
何も見えないのに、そこだけ目が離せない。
私はすぐに戸を閉めた。
––
その夜、また音がした。
……ずる。
……かさ。
私は布団の中で目を閉じていた。
音が続く。
昨日より長く感じる。
私は布団から出て、縁側まで行った。
庭は暗く、納屋は黒い形のままだった。
音は止まらない。
私は納屋のほうへ近づいた。
足が震える。
戸の前に立つ。
すぐ向こうで、音が続いている。
私は目をつぶって、戸を引いた。
中は真っ暗だった。
昼とは違って、奥がはっきり見えた。
そこに、人がいた。
動いていなかった。
ただ、こちらを見ていた。
私はすぐに戸を閉めた。
その瞬間、音が止まった。
––
私は走って部屋に戻った。
布団にもぐって、頭までかぶる。
その夜も、ほとんど眠れなかった。
––
それから、納屋のほうを見ることはなくなった。
昼でも、目を向けないようにした。
祖父は何も言わない。
納屋も、昼はただそこにあるだけだった。
夏が終わって帰る日、私は裏を通った。
納屋の前を、いつもより少し早く歩いた。
最後まで、もう一度見ようとは思わなかった。
––
大人になった今でも、あの納屋のことを思い出すことがある。
どうしてあそこに人がいたのか、考えるたびに、あのときよりも嫌な感じがする。
あのとき見た人影は、見間違いではなかった。
あの納屋の中には、間違いなく、人がいた。




