向きの戻し方
夏休みになると、私は毎年のように祖母の家へ預けられた。
山のふもとにある、小さな集落のはずれの家だった。線路も商店も遠く、夕方になると、音の少ない土地だということがよく分かる。家の前には小さな庭があって、草の間に平たい石がいくつも埋まっている。飛び石というほど整ってはいないが、縁側から門のほうへゆるく続いていて、雨のあとでもそこを踏んでいけば足が汚れないようになっていた。
その石について、祖母は昔から同じことを言った。
「夕方からは、あんまり触らないでね」
それだけなら、子どもに庭で遊ばせたくないのだと思う。けれど祖母は、ときどき言葉を足した。
「動かすと、あとで自分にくるから」
何が来るの、と聞いたことがある。
そのとき祖母は味噌汁をよそいながら、「なんとなく具合が悪くなるようなもんだよ」と曖昧に言った。熱が出るのか、お腹が痛くなるのか、そういうこともはっきりしなかった。ただ、悪いのは石のほうではなく、自分のほうに来るのだという言い方だけが妙に残った。
十歳になったその夏も、私は同じ家に来ていた。
祖母は元気だったが、足腰が弱っていて、庭の草取りを一人でやるのは大変そうだった。だから昼間は、言われるままに鎌を持って草を刈った。
刈ってみると、石は思っていたよりもたくさんあった。草に埋もれて見えなかっただけで、縁側の近くにも、柿の木の下にも、半分土に沈んだものがいくつもある。どれも丸や四角ではなく、少しいびつで、表面はざらついていた。
昼すぎ、ひとつの石に足を引っかけた。
ぐらりと傾き、土がぱらりとこぼれる。私はしゃがみ込んで、両手で押し戻した。
そのとき、少し変な感じがした。
石は石なのだから、どちらを前にしても同じはずなのに、ある向きに回したときだけ、すっと下に落ち着く。逆に回すと、見た目には分かりにくいのに、手のひらの下でわずかに浮く。
おもしろくなって、私は何度か回してみた。右へ、左へ、少し戻して、また回す。すると毎回、同じ角度あたりでだけ、石が土に馴染むように沈んだ。
私はそこに合わせて置き直した。
ぴたりと収まると、石のまわりの草まで静かになったように見えた。
––
夕方、風呂の前に縁側で麦茶を飲んでいたとき、庭の影が長く伸びているのが見えた。山が近いから日が落ちるのが早い。昼のうちは白く乾いていた石も、夕方になると色が沈み、影だけがくっきり見える。
その中で、ひとつだけ影の向きが合っていない石があった。
昼に私が触った石だった。
ほかの石の影は、どれも同じ方へ細長く倒れているのに、その石だけが少し横を向いている。位置が変わったわけではない。けれど、そこだけ並びから外れて見えた。石一つの向きくらいで、庭全体の見え方が変わるはずはないのに、見ていると目がそこへ引っ張られる。
私は縁側を降りた。
石の前にしゃがんで、そっと手を置く。
昼間より冷たかった。
日が落ちかけているせいだと思いながら、ゆっくり回す。少し動かすたびに影の向きが変わる。そして、ほかの石の影ときれいに揃う角度へ来たとき、手の下でまた、すっと沈む感じがした。
それで違和感が消えた。
さっきまで、その石だけ庭の中で浮いていたのに、向きを戻したとたん見失ってしまいそうになる。私はしばらくそのまましゃがんでいた。
顔を上げると、縁側に座った祖母がこちらを見ていた。
何も言わなかったが、私の手元を見たあと、視線を庭全体に流した。少しして、「もう上がりな」とだけ言った。
––
それから私は、夕方になると庭の石を眺めるようになった。
昼間はただの飛び石にしか見えないのに、日が傾くと、どれにもなんとなく向きがある気がしてくる。細長いものはもちろん、丸いものまで、どちらかへ顔を向けているように見える。
次の日、また一本草を抜いた拍子に別の石を少し動かした。
今度はすぐには戻さず、少し離れて見てみた。すると、最初は分からなかったずれが、夕方になるにつれてはっきりしてくる。石そのものの形よりも、影の落ち方や、隣の石との間の空き方が変わるのだ。
私は黙って石の前へ行き、何度か回した。ある向きでだけ、ほかの石と揃う。そこへ置くと、目の奥のつかえのようなものが取れる。
その日の夕食のとき、私は祖母に聞いた。
「石って、向きあるの」
祖母は箸を止めずに、「あるように見えるなら、あるんじゃない」と言った。
「ずれたままだと、気持ち悪いし」
「気持ち悪いだけ?」
「そういうの、長く見てるとよくないよ」
それ以上は続かなかった。
何がよくないのかは、やっぱり分からなかった。
ただ、祖母は私が石を見ていたことを知っていて、叱りもしない代わりに、はっきり安心させることもしなかった。
––
三日目の昼、私は柿の木の下の石を動かした。
根元に伸びた草が邪魔で、少し横へずらしただけだった。元に戻すつもりだったが、近所の同い年の子に呼ばれて川まで遊びに行き、そのまま忘れた。
家に戻るころには、もう西日が庭に入っていた。
縁側へ上がる前に庭を見ると、すぐにその石が分かった。ひとつだけ、そこだけ、庭の奥行きから外れている。影の向きも違うし、ほかの石との間隔も妙に開いて見える。昼間に自分で動かしたのだから当然なのに、見ていると、ただずれているというより、そこにあるべき形から少し外へはみ出しているようだった。
戻そうと思った。
けれど、もう夕方だった。祖母に言われたことが頭をよぎる。動かすと、あとで自分にくる。
何が来るのか分からないまま、その言葉だけが妙に嫌だった。
私は石に近づいたが、結局触らず、家に入った。
––
夜、布団に入ってからも、庭の石のことが頭から離れなかった。
障子の向こうでは虫が鳴いている。ときどき、遠くの田んぼのほうで水の流れる音がする。家の中は静かで、祖母の部屋から団扇のかすかな音だけが聞こえた。
そのうち、庭のほうで、カサ、と短い音がした。
草を踏んだ音ではない。乾いた、何か硬いものの触れ合う音だった。
私は目を開けたまま、耳を澄ました。
少し間を置いて、また音がした。
今度はもっとはっきりしていて、重いものが土の上でわずかに擦れる音だった。引きずるほど長くはない。ほんの少し、向きを直すような、短い音。
布団の中で起き上がろうとして、やめた。
障子を開けて庭を見れば済むことなのに、そう思うほど体が動かなかった。外を見てしまうと、その音の主が見える気がしたし、見えないままでも何かがはっきりしてしまう気がした。
音は三度目には続かなかった。
そのまま、虫の声だけが戻ってきた。
––
翌朝、起きてすぐ庭へ出た。
柿の木の下の石は、元の並びに戻っていた。
正確には、私が覚えていた場所より少しだけ内側だった。けれど、ほかの石との間隔は自然で、昨日見た不格好さは消えている。しゃがんで石の縁を触ると、表面にまだ湿り気があった。朝露にしては、石の片側だけが濡れている。
土を見ると、細い擦れ跡が残っていた。
石の縁に沿って、半月みたいな線がいくつか重なっている。誰かが持ち上げたのではなく、その場で少しずつ回したような跡だった。
私はその跡を指でなぞった。
土はやわらかいのに、跡だけが不自然にはっきりしていた。
朝ごはんのとき、私は祖母に、「夜、石の音がした」と言った。
祖母は味噌汁をよそいながら、「見に行かなかったなら、それでいいよ」とだけ答えた。
「石は、揃ってた?」
私はうなずいた。
祖母もそれ以上は聞かなかった。
––
その日から、私は石を動かさないようにした。
昼間でも、なるべく足をかけない。どうしても草取りで触れたときは、日が高いうちに向きを戻す。夕方を過ぎてからは、近づいても触らない。
それでも気になって、縁側からよく庭を見た。
風のない日、石の影はどれも同じ方向を向く。曇りの日は向きが分かりにくいが、夕方になると、やはりどの石も同じほうへ揃いたがっているように見えた。
丸い石だけは、どちらが前か分からない。けれど、夕方に見ると、その丸い石にさえ、なんとなく正しい面がある気がした。
帰る前の日、門の近くの丸い石が少しだけ浮いているのを見つけた。
誰も触っていないはずなのに、そこだけわずかに傾いている。私は石の前でしゃがみ込んだ。回そうと思えば回せる。けれど、丸すぎて、どこが元の向きなのか分からない。
迷っているうちに日が傾きはじめた。
私は手を引っ込め、そのまま家に上がった。
夕方、縁側から庭を見る。
石の影はみんな同じ方向へ伸びていた。門の近くの丸い石だけ、さっきまで少し傾いて見えたのに、いつの間にかほかと同じように収まっていた。
祖母は隣で黙って団扇を使っていた。
私はその石のことを言わなかった。祖母も、庭を見ていたのに、何も言わなかった。
あの庭の石が、誰に向きを揃えられているのか、今でも分からない。
ただ、あの夏のあいだ、夕方にずれた石だけは、朝になるといつも、少しだけ冷えて戻っていた




