番外編その1「好きと苦手の話」
■番外編その1「好きと苦手の話」
「マジか……ラビお前、そんなのよく飲めるな」
午後の四時、日課のトレーニングを終えてシャワーを浴びた兎乃と月華は、二階の事務室へと戻っていた。
通信室にこもっている波瑠を除いた、三班の三名が事務室にいる。
月華が言う『そんなの』とは、兎乃が持っているマグカップの中身を指している。
げんなりしながらソファーからこちらを眺めている月華に、兎乃は首をかしげて見せる。
「そんなのって、ただのカフェオレだけど?」
「いやいやただのじゃねえよ。お前今それに何入れた?」
兎乃は自分のマグカップを目の高さに持ち上げて確かめてみる。
もちろんそれは普通のマグカップであり、中も外もおかしいところは何もない。
「ミルクとお砂糖」
当たり前のように答える兎乃に、月華はソファーから身を乗り出しそうになる。
「いやお前、角砂糖三個も入れただろ。どんだけ甘くすれば気が済むんだ」
「あー」と兎乃は何かを考えるように視線を斜め上に泳がせる。
「トレーニング分のカロリーが台無しになるかな」
「いやそうじゃねえって!」
月華が頭をかきながら大仰に頭を逸らした。
「量! それもうほとんど砂糖じゃねえかって話だよ」
月華の大げさな反応にも兎乃は動じない。
「でも美味しいよ。ユエも飲む?」
「要らねえ要らねえ。見てるだけで口の中が甘くなりそうだ」
舌を出して否定しそうな勢いの月華を見て、兎乃は不思議そうにしながらカフェオレを飲んだ。
ミルクでまろやかになり、砂糖で優しい甘さがたっぷりになっている。
コーヒーの芳醇な香りもしっかりするし、やっぱりこれが一番美味しい。
そもそも、甘さにケチをつけるなら、兎乃にだって言いたいことがある。
「そういうユエだって、朝ごはんにパンケーキ食べるじゃん。しかもバターとメープルシロップまでかけてさ。あれじゃご飯じゃなくてお菓子だよ」
前からなんとなく思っていたことを、どうせならこの機会にと兎乃は言い返した。
大げさに頭を逸らしていた月華はそれを聞いて、驚いたような顔で兎乃を見つめる。
「バッカお前、モーニングのパンケーキは美味えだろうがよ」
「美味しいけど、朝ごはんにはおかしいんじゃないのって話だよ」
「何がおかしいんだ?」
分からないという表情を一向に崩さない月華に、今度は兎乃が地団駄を踏みそうになる。
それから馬鹿らしくなり肩の力が抜け、次第に何故か面白くなって兎乃は笑ってしまった。
「……ふふっ、おもしろ」
「なに笑ってんだ。意味分かんねえ」
月華はなおも理解できないとソファーにふんぞり返った。
兎乃も自身のデスクに着席し、もう一口カフェオレを飲んで、マグカップを机に置く。
ふと部屋奥のデスクで黙々と仕事をしている、守屋のことを思い出した。
「そういえば、守屋さんもコーヒーはブラックですよね」
自分の仕事に集中していた守屋は、突然話を振られて驚いて顔を上げてから頷いた。
「ああ、うん。昔の話だけど、仕事柄ブラックを飲む機会が多くてね。いつ頃からか、気付いたらそれが普通になってたかな」
自身の経験を語ってから、「ところで」と守屋が話の矛先を月華に向けた。
「僕が知ってる限り、月華はブラックもカフェオレもあんまり飲まないけど、どっちが好きなの?」
「確かに、私もユエがコーヒー飲んでるのほとんど見たことないかも」
二人の視線を受け、月華がきょとんとした顔をする。
それから、当然だというような口振りで言った。
「どっちも飲まねえよ。苦えし」
「はー? それで私に砂糖入れすぎだのなんだの言ってたってこと?」
まさかの回答に、兎乃はぷりぷりと怒り、守屋は呆れ顔で頬杖を突いた。
「あたしが好きじゃねえのと、ラビが砂糖入れすぎなのは別の話だろ」
これは話が平行線になると危惧した守屋は、助け舟という訳ではないが、話しの舵を切ることにした。
「そういえば月華はあんまり何か飲んでるところを見ないね。何か好きな飲み物ある?」
「コーラとスプライト」
「またド直球だね……」
あまりにもイメージ通りの返答に、守屋はむしろ感心すらしそうであった。
一方の兎乃は、まだ納得がいっていないらしく、腕を振り回しだしそうな勢いで抗議を続けた。
「ちょっと待ってよ。コーラだって甘々じゃん。むしろコーラの方が砂糖沢山入ってるよ。絶対そう」
守屋はもう好きにしてくれというような様子で、再びキーボードを操作しだした。
月華は月華で持論を曲げるつもりはなさそうだった。
「元々甘いモンはいいだろうが。元々甘くないモンを甘くするから分かんねえって言ってるだけで」
「分かってないなあユエは。これはコーヒーであってコーヒーでないのです。別の飲み物だよ。だからこれはこれでいいの」
「はあ、別の飲み物ねえ。そんなもんか」
いい加減諦めたのか納得したのか、釈然としない顔をしながらも月華は曖昧に兎乃の言を受け入れた。
ジャケットの胸ポケットからタバコを取り出すと、オイルライターで火を付け、深く一口目を吸う。
「ユエは好き嫌いも多いし、感覚が独特なんだよね」
なぜか満足げに頷く兎乃。
「ちなみに、ユエが一番苦手なものってなに?」
月華はゆっくりと煙を吐き出してから、気だるげに返答した。
「んー、スクラップル」
聞いたことのない食べ物に、兎乃がきょとんとする。
「スクラップル? なにそれ?」
「知らねえ? つってもあたしも中身まで完璧に知ってるわけじゃねえけど。あれだよ、コーンミールと豚肉と内臓をマッシュして固めたやつ」
「へえ。聞いたことないなあ」
ソーセージかミートローフみたいなものだろうか、と兎乃がぼんやりと想像する。
月華はスクラップルの話を続ける気はないらしく、別にものを思い出したかのように言った。
「あとアレは食えそうにないよな。ゾンビの肉」
思わず兎乃が甘々のカフェオレを吹き出しそうになる。
「それは……そもそも食べ物じゃないんじゃ……」
「たまにゲームとかであるじゃん?」
「うん、まあ、ゲームだからね……」
「それに、肉は肉だろ」
「ああ、うん。そうだね……」
どうにもピントがずれる月華の回答に、兎乃は月華に抱いていた印象と実態の違いを感じていた。
「月華は、時々こういうところがあるんだよね」
もう何度か経験しているのか、守屋は自分の仕事を淡々とこなしながら、ぼそりとつぶやいた。
兎乃が、よく分かりましたとでも言いたげな顔で、カフェオレを飲んで心の安寧を得ている。
一人、当の月華だけが、ピンと来ていない顔でタバコを吹かしていた。
本話は、1章と2章の間の、インターバルストーリーです。
本編とは関係のない、ある日の日常を描いた回になります。
予定を変更して、本日は12:00と20:30で計2本を投稿させて頂きます。




