抜擢
国内で業界最大手のメーカーに私は勤務している。
歴史ある大企業である。
だが、業界最大手と言っても、大企業にありがちな話で、現代社会の時代の大きな流れの変化に柔軟に対応しきれず、振興の同業種に押され気味の、ジリ貧状態である。
ジリ貧とは言え、まだまだ体力のある現状の中で、危機感を抱いた我が社の経営者層は、今年、内部組織の刷新、大変革を大きく掲げた。
それは『未来プログレスプロジェクト』と命名までされた。
会社の内外に、変化と向上をアピールするためである。
このスローガンの命名に取締役会が2週間をかけて、ああでもない、こうでもないと考え抜いたというのだから、従業員や下請けの取引先の一同がこのスローガンを無下にできなさそうなことくらいは予想ができるだろう。
「言い響きですね。」こういった感じの褒め言葉の一つや二つは用意しておかないといけないのである。
その流れの中で、人事にも大きな変革がなされ、今までなら考えられなかったような異動が行われることになった。
その的外れとも見えかねない、変革の人事異動の代表例を、私が体現することになってしまったのだから、いい迷惑である。
入社から製造畑でずっと働いてきた私が、なぜか、エリア営業部長に抜擢されることになってしまったのである。
「エリア営業部長・・・」辞令は突然、発令された。
子供が3月の春休みに入ったと思っていた矢先に、4月1日からの辞令がくだされたのである。
確かに、今ままで課長と同階級の工場長として、3年経過していた。生産管理に精力を注入し、納期の遅れはなく、不良品率も極めて低く、部下達の改善提案などの提出率もよいと、勤務に対してはよい評価を受けてきたことは自覚していた。
だが、それは、入社当時から製造現場で働いてきたからこそ、現場のことをよく理解している上での、活躍なのである。
まして、人には器というものがある。
自分は工場長レベルの一工場、パートも入れて総勢数十名くらいの管理が、人間としての限界である。それ以上は無理ということは自分が一番よくわかっているし、常々、製造部長にも出世は考えていないと繰り返し明言してきた。
それがなぜなんだ。
しかも、営業部長。
だが、愚痴を言っても仕方がない。組織の人間として、辞令が下った以上は、それに従うか、会社を辞めるか、どちらしかなく、私には、会社を辞める勇気など持ち合わせていないのである。
だから、おとなしく辞令に従うしかないのだ。
異動前、最後の工場への出勤日、サプライズがあった。
工場事務の社員全員がお金を出し合い、花束と時計をプレゼントしてくれた。
いつも、事務でしっかりと仕事をしてくれていた女性の部下が、代表で私に花束を渡してくれた。
みんな拍手で私を見送ってくれ、若い従業員は男子も女子も、「工場長、この会社に嵐を起こしてください。工場長ならきっとできます。」と励ましてくれた。
女子の中には私との別れを悲しんで、泣いてくれている子さえいた。
私が行こうとしている部署には、何があるのか、まだ分からない。
だけど、私が今までいた部署には、私を信じてくれている人がいる。
それだけは、どうやら確かなようだ。
その信頼を背中に感じ、前に進むことにしよう。
前は、まだ真っ暗闇だけど。