心配を掛けてごめんなさい
私は、ここから本当の本題に入ることにした。
「君も結婚してずいぶん経つよな。何年になる?」
「五年になります」
「家族とは上手くいっているのか?」
ずるい言い方だ!
ミワの事を知っていながら……。本間の表情が、困惑に変わった。
「妻とは上手くいっていますよ。ただ、娘とは……」
本間は私の目をまっすぐに見据えて、話を進めた。
「妻が他人には話さないで欲しいと言っているのですが、遠藤さんには話を聞いて欲しいと思うんです。自分にとって遠藤さんは兄みたいな人ですからね」
本間はそう前置きをしてから、視線を落として話し始めた。
「実は、娘の美和の事なんですが、美和は遠藤さんも知っての通り妻の連れ子です。その美和が高校を卒業した日に家出をしました。もう、四年に成りますが未だに行方がわかりません。当初は警察に捜索願を出し、探偵にも調査を頼みました。しかし、何の手がかりも有りません。もう、どうして良いのか分かりません」
本間は今にも泣き出しそうな顔をしていた。そんな本間の顔を見つめながら、私はミワの話しを切りだした。
「今日、こうして喫茶店に呼び出したのは、私の話だけでは無くて、その美和ちゃんの事でも有るからなんだ」
本間は私が何を言い出したのか解らない様で、怪訝な顔をした。
ミワの事は、本間が私に結婚の報告をしたとき、結婚相手には高校生の可愛い娘がいると言っただけだった。その時にはミワの名前さえ聞いていなかった。
私は仕事の都合が付かなかった為、本間の結婚式にも出席していない。結婚後の新居を訪ねる事も無かった。だから、私がミワの事を知っているはずが無いのだ。
そんな私がミワの話を始めようとしているのだから当然の反応だ。
「遠藤さん、美和の事を知っているんですか? そんなはず無いですよね」
「実は、ひょんなきっかけで知り合った女の子がいてね。その娘の話を聞いていたら、どうも君の事みたいだったから、写真を見せてもらったんだ。そうしたら、紛れも無く君だった」
本間の驚きは言うまでもない。テーブルを乗り越えて来そうな勢いで身を乗り出した。
「それで、美和ちゃんはどこに居るんですか? 教えて下さい!」
本間は興奮状態に陥っている様だった。ついさっきまで父親らしく『美和』と呼んでいたのに、『美和ちゃん』に変化している。興奮状態になった為、いつもの呼び方になってしまったのだろう。
「まあ、少し落ち着けよ! 美和ちゃんは今、千葉県の木更津に住んでいるよ」
「美和ちゃんは元気なんですか? ちゃんと生活出来ているんですか?」
「大丈夫だよ。元気にしている。それより、居場所がわかったらどうするつもりだ? 美和ちゃんを連れ戻すのか?」
「もちろんです」
「それは奥さんも同じ意見なのかな?」
「えっ? 当然そう思っているはずですよ。一緒に警察に捜索願を出しに行きましたし、探偵社に行って調査も依頼しましたから」
私の質問に答えた本間の顔には、不安の影が浮かんだ。たぶん、ミワを見付けた後のことまでは話し合ってはいないのだろう。
「奥さんが美和ちゃんの事を心配していて、居場所を知りたいと思うのは当然だと思うよ。実の娘なんだから。でも、美和ちゃんを連れ戻して、一緒に生活をしようと思っているかは別だと思うよ。美和ちゃんを連れ戻す事が、君達家族にとって良い事なのか? 一度奥さんと話し合った方が良いのではないかな?」
本間は黙り込んでいた。
興奮がさめた様なので、私は用意しておいたメールを本間の携帯に送った。ミワに内緒で作成したメールだ。
本間の携帯がなった。本間は携帯のディスプレイと私の顔を見比べた。目の前に居る私からメールが届くなんて考えてもいなかったのだろう。私はメールを読む様に目で示した。
〈本間君、このメールを最後まで冷静に読んで下さい。途中でメールの内容に触れる様な発言や、周囲を見回す様な行動も控えて下さい。この約束は必ず守って下さい。何故かと言うと、この喫茶店に美和が来ています。そして、このメールには、美和に聞かせたく無い事も書いて有るからです。
では先ず、美和の家出の原因ですが、本間君も理解していると思いますが、美和はずっと本間君の事を父親では無く、ひとりの男として愛していました。その男が自分の母親と結婚してしまった訳で、その二人と同居する事になるなんて、美和の心は穏やかで居られるはずが無いでしょう。
また、母親も娘が自分の夫に恋心を抱いている。その上、夫も娘に対して父娘以上の感情を持っている事を知っているのだから、こちらも穏やかで無い。
本間君はそれでも同居を望むのですか? それが美和の幸せに繋がるのでしょうか? もう一度夫婦で考えて欲しいと思います〉
本間は顔を上げて私を見た。なぜミワがこんな話を私にしたのか理解出来ないのだろう。メールの続きを読めば、それも理解出来るだろう。
〈本間君には再度、冷静にメールを読む事をお願いします。きっと本間君にとって、ショックで有り、私に対する怒りが沸き起こる事と思います。それでも、今は我慢して下さい。
私が失踪した日、理由が有って予定を少し変更しました。本来の予定を全うしていたなら、美和と私が出会う事は無かったでしょう。これも運命なのかも知れません。
たまたま立ち寄った木更津で夕食がてら、酒でも飲もうと思って地元のスナックに入ったのです。そうして、そこで働いていた美和と出会うことになったのです。
私は自殺をしようとしていた訳ですから、通常の精神状態では無かったのでしょう。いつもの様な歯止めが効かずに飲み過ぎてしまいました。
美和は本間君も知っての通り優しい娘ですから、酔いつぶれた私を介抱してくれました。もちろん、その時は本間君の娘で有ることは知りませんでした。美和は可愛くて優しい娘ですから、美和の気持ち次第で男と女の関係に成ってしまうのは想像に難くないでしょう。
私と美和はその様に成ってしまいました。後で美和が本間君の娘だと知った時には、君に申し訳ないと思いました。ですが、良く考えてみて下さい。美和は、たった数時間話しただけの男とその様な事になる娘では無いはずです。それは君が良く解っているはずですよね。
それなのに、何故そうなったか? それは、美和が本間君の事から、まだ抜け切っていない為なのだろうと思います。その証拠には、知り合ってすぐに、私の事を『ハジメさん』と呼び始めた事でも解るでしょう。
ハジメとは、私が青山一という偽名を使ったからですが……。いきなり苗字の青山ではなく、名前に『さん』付けの『ハジメさん』と呼びたがったのは、本間君の事を『タダシさん』と呼んでいたからでしょう。美和の中では、私は本間君の代りだったのでしょうね。
私としては、若干の悲しみと嫉妬を感じますが、美和は君への愛を未だに引きずっているわけです。そして、私と今の様な事に成ったのも、その影響が有ったからでしょう。
本間君の怒りも落胆も理解した上で、お願いが有ります。今日のところは、理解有る父親を演じて下さい。そして、奥さんと話し合った後に、会う機会を作って下さい。
今度は奥さんも一緒に会えるように手配して下さい。それまでの間、美和を私に預けて下さい。お願いします〉
本間はメールを読み終わり、携帯を閉じた。本間の目には涙が光っていた。
メールを読んでいる間の沈黙が気になったのか、本間の後ろの席から立ち上がったミワが、こちらの様子を窺っていた。私は手招きをして、ミワを私の隣に呼び寄せた。
「お久し振りです。心配を掛けてごめんなさい」
ミワは私の隣に座りながらそう言って笑顔を見せた。
「美和ちゃん、元気そうで安心したよ。お母さんも心配しているよ。今は木更津に住んでいるんだって?」
「そうです。シュウイチさんと一緒に……」
ミワは申し訳なさそうに言葉を詰まらせた。本間は何と言って良いのか困っているようだ。それは当然のことだと思う。
家出をしている娘と久し振りに会ったとたんに、自分より年上の男と同棲していると聞かされたら、怒りだすのが当然だろう。しかし、私が送ったメールを読んでいる本間には、怒る事さえ許されないのだ。
娘の家出も、自分より年上の男との関係も、全て自分に原因があると言われてしまったのだから。
「タダシさんとシュウイチさんは先輩後輩の仲なんですよね? シュウイチさんが、とても優しくて良い人だっていうことを知っていますよね?」
「うん、遠藤さんは職場の先輩だからね。いろいろとお世話になったし、相談にものってもらった。とても頼りになる先輩だよ。美和ちゃんが好意を持つ気持ちもわかるよ」
本間はやっと言葉を見つけたようだ。
「美和ちゃんが家を出た後のお母さんの悲しみは、見て居られない程だったよ。せめて連絡くらいして欲しかったな」
「ごめんなさい。美和は、ママもタダシさんも大好きだから……、連絡をしたら家出を……続けられなくなりそうで……。けれど、美和が家に戻ったらみんなの幸せが壊れちゃう気がしたんです。だから……」
ミワは大きな目に今にもこぼれそうな程の涙を溜めながら、テーブルの下で私の手をしっかりと握っていた。私もミワの手を握り返した。
「美和ちゃん、ごめんね。美和ちゃんにもつらい思いをさせちゃったね。美和ちゃんとお母さんを苦しめてしまった」
「いいえ、美和が……、美和がいけないんです。美和がタダシさんのことを、パパと思えなかったからいけないんです。でも、そんな美和を……、シュウイチさんが救ってくれました。だから今日、タダシさんに会いに来る事が出来ました。全てシュウイチさんのお陰です」
本間とミワが同時に私を見た。本間の目には、ミワとの再会の機会を作ってくれた感謝が込められている様だ。ミワの目には、愛と尊敬の気持ちが込められているのだろう。
しかし私はそんな風に思われる様な人間じゃ無い。妻に離婚届を突き付けられる様な人間だ。今日も本間の中に在る罪悪感を増大させて、ミワの事や、ミワと私の事の責任を全て本間に押し付けた。
そんなクズみたいな人間なのだ。
「遠藤さんには本当にお世話になりっぱなしですね。そんな遠藤さんと離婚をしたがる奥さんの気持ちが解りませんよ」
「そうですよ! 奥さんがシュウイチさんの全てが嫌になったって言った時には、ミワ、飛び出して行って文句を言ってやりたくなっちゃいました」
「我慢してもらって助かったよ。危なく悲惨な修羅場になるところだった。本間君なら理解出来ると思うけど、夫婦間には外からは見えない何かが有るからね」
「ミワとシュウイチさんにも、その何かが有るかな?」
「どうだろう? それはまだ解らないだろうね」
本間が複雑な表情でミワと私を見ていた。
本間に奥さんと話し合う事と、奥さんを含めた四人で会う機会を作ってもらう事を確認してから、喫茶店をあとにした。




