百年くらいは生きて行けますよ
「ふたつの嘘って言っていたけれど、もうひとつはどんな嘘ですか?」
ミワの表情は、不安と言うより、どんな嘘が出てくるのか期待しているみたいだった。
「もうひとつは、この木更津に来た理由だ。ミワには旅行だって言ったよね」
「ミワは最初から旅行だなんて信じていませんよ。だって、二月の木更津に旅行する人なんか居ませんし、まして、わざわざ雪国に旅行に行って、自分が寒い所が嫌いなのを思い出すなんて、あり得ませんよ」
ミワは私の行動を完全に否定した。行動自体に嘘はなかった私は、大いに傷付いていた。実際に、雪国に降り積もった雪に追い返された自分が情けなかった。穴が有ったら入りたいとは、今の心情を伝える為に有る言葉なのだろう。
「ミワ……。そうじゃ無いんだ。一週間前に旅行に出た事や、雪国の駅前で積もった雪に追い返された話は嘘じゃ無いんだ。嘘をついたと言うよりも、今回、私が出発した旅行の目的をミワに話していなかった事を謝りたいんだ」
ミワの目が、また不思議生物を見る目になっている。
「旅行の目的ですか? 旅行って言ったら、観光ですよね? あと、温泉に入るとか……。あとは、えっと、不倫旅行? 奥さんに隠れてエッチな事をしに行くやつ! 男の人なら、エッチなお店に行く為の旅行も有るんでしょう?」
どうも、私の深刻さがミワには伝わっていないようだ。完全に面白がっているとしか思えない。私が自殺を決意した理由など、まだ若いミワには理解されないだろう。
それでも全てを話さなくてはいけない時期に来ていると思う。
「ミワはまだ若いから、理解出来ないかも知れないけれど、ミワには話しておかないといけない気がするんだ。だから聞いて欲しい」
ミワはコクリと頷いて私を見つめている。
私はバッグの中から携帯電話を取り出して、外しておいたバッテリーを取り付けた。
「ハジメさん、携帯電話を持っていたの?」
「うん、でもそれは小さな嘘だ」
私はそう言いながら、送信済のメールを開いてミワに見せた。携帯電話のディスプレイには、
『白い優しさにつつまれて
赤い哀しみが凍りつく
停滞を受け入れることを避け
消え行く進化を求め
闇に溶けて行く』
そう表示されている。
「ミワはどんな意味だと思う?」
ミワは首を傾げている。きっと解らないだろうと思い、説明を始めようとした時だった。
「ハジメさんは自殺志願者だったんですね。本当に雪の中での凍死を選んだのですね。寒い所が嫌いなくせに……。その後は良くわかりませんが、ハジメさんって詩人ですね」
ミワはそう言って微笑んだ。
「驚いたな。良くわかったね。詩人にしては、若干盗作に近い表現が含まれているけれどね。後半は自殺の理由を述べているんだよ。私くらいの年齢になると、亡くなった親類や友達を見送る機会が多くなってね。もっとショックなのは、病院に入院して、いろいろなチューブやコードを取り付けられている人とか、認知症になってしまって、愛する妻、又は夫のことさえ忘れてしまう事なんだ。自分の感情を表現することも出来ずに生かされているとか、自分に迫った死すら認識できないでいる自分を想像するとたまらない気持になるんだ。私はそうなる前に自分で死を選択したい。そう言う意味を込めたつもりなんだ」
ミワは私の目をじっと見つめなから聞いていた。
「ハジメさんは、自分が年老いて行く事が怖いのですか? 年老いて病気になる事が……」
ミワの冷静な発言に驚いた。いつものミワならば、目に一杯の涙をためるだろうと想像していたからだ。
女性とは、いざと言う時に強さを発揮するものなのだろうか? 弱々しくて守ってあげたくなるのに、最終的に守ってもらうのは男の方なのかも知れない。
「怖いか……。そうかも知れないな」
ミワは微笑みを浮かべて言った。
「ミワは年老いたハジメさんの側で、お世話をするのも悪く無いと思っていますよ。ハジメさんが出来なくなった事は、みんなミワがやってあげるんです。人間、いいえ、人間に限らず、生きているものは全て年老いて行きます。犬だってネコだって、草や木だって年老いて行きます。ミワだって、あと何十年か後にはおばあちゃんに成っちゃいますよ。でも、それまでの間、楽しく過ごしたいじゃ有りませんか。おばあちゃんに成ったら成ったで、死ぬまで楽しみを見つけて行けば良いんじゃないですか? ハジメさんはミワと歳が離れているから、自分が死んじゃった後のミワを心配するかも知れませんけれど、ミワはハジメさんと一緒に居られたら、その思い出だけで百年くらいは生きて行けますよ」
ミワの言葉は私の心を揺さぶった。ミワの隣で年老いて行く自分を想像した。車いすに座り、表情も乏しくなった私を笑顔で見つめるミワ。
そんな幸せな光景を思い浮かべながら、私は別の光景も想像していた。
私は病室で点滴や酸素を供給するチューブと心電図等のコードでベッドに縛り付けられている。その隣に座って大きな瞳で私を見つめているミワ。ミワの事さえ認識出来なくなった私のオムツを取り替えているミワ。
私の中の自殺願望は、自殺を決めた時や友人にメールを送った時の数百倍の力で背中を押し始めた。だが、その力を押し返す力がミワの言葉と笑顔には有った。ミワの笑顔を見ていたい、温もりを感じていたいと思わせる力の方が勝っていた。
私が思案している間も、私を見つめ続けていたミワが私の身体を抱きしめて来た。
ミワの優しい体温を感じて、私の自殺願望は朝霧の様に消えていった。
私の耳元でミワが呟いた。
「ミワだって、嘘つきですよ」




