そんなことですか?知っていましたよ
翌朝目覚めると、隣で寝ていたミワの姿がない。その代わりに、キッチンから料理を作る音が聞こえている。
私はベッドを脱け出してキッチンへ向かった。ミワが料理をしているところを見るのは、初めてだった。
「おはよう。良い匂いがしていると思ったら……。ミワが料理をしているなんて珍しいね」
「おはようございます。私だってたまには料理くらいしますよ。もうすぐ出来ますから、そこに座って待っていて下さい」
そう言いながら、ミワは私の前にコーヒーを置いた。私はダイニングの椅子に座って、コーヒーを飲みながらミワの後ろ姿を眺めていた。
「またエッチな目でミワのこと見ているんですか?」
突然振り返ったミワが、イタズラっぽい目でそう言った。
料理をしているミワはトレーナーを着ていたが、その裾から出ている素足は、そのほとんどを露出している。状況から察すれば、トレーナーの下には何も付けていない可能性が大だ。
そんな考察をしていた私は危うく挙動不審になりかけたが、なんとか平静を装う事に成功した。
「そんなにエッチな目でミワのことを見ているかなぁ? そんな目で見ているつもりは無いのだけれど……」
サラダとベーコンエッグとトーストをテーブルに並べながらミワが微笑んだ。
「ミワはハジメさんに、もっとエッチな目で見て欲しいです。たまに娘を見る父親みたいな目で見られるから……。そんな時はちょっと悲しいです」
確かにミワの事を女として見ているのか、それとも娘として見ているのか解らなくなる事が有る。
ベッドでのミワは確実に女だが、食事をしている時や街を並んで歩く時など、娘と一緒にいる様な気になる事が有る。
しかし、食事の後片付けや今の様に料理をしているミワを見ていると、後ろから抱きしめたくなるのは女として認識しているからだろう。
「そうかなぁ? 気を付けるよ」
自分でも何を言っているのか解らない発言だ。
ミワの作った朝食を食べ終わり、コーヒーを持ってリビングに移動した。ミワは食事の後片付けを始めていた。
トレーナーの袖をまくって食器を洗っている。その水音に混じって、ミワが鼻をすする様な音が聞こえてきた。
不審に思った私はキッチンへ向かい、ミワを後ろからそっと抱きしめた。やはりミワは泣いていた。
「どうしたの?」
「ごめんなさい。ミワが勝手に想像して、勝手に悲しんでいるだけだから……。大丈夫です」
「ミワ、何で泣いているのか理由を聞かせてよ」
ミワは振り返って抱き付いてきた。私はミワの華奢な身体を強く抱きしめた。
「ハジメさんとミワが出会ってから、一週間になりますよね。ハジメさんと、いつまでも……、ずっと一緒に居たいんです。だけれど、ハジメさんには、奥さんが居るから、いつかは帰らなくちゃいけないですよね? ずっと……、ずっとミワと一緒に居る事は出来ないですよね?」
「ミワ……」
私はミワの涙の理由がそこに有った事を知った。本来ならば、もっと早く気付いていなくてはならない事だろう。いや、本当は気付いていながら、気付かないふりをしていたのかもしれない。私には、ミワにかける言葉が見付からなかった。
「昨日、思い出したの。ハジメさんと初めて会った次の日に、ミワがいつまで木更津に居られるのかって聞いたら、一週間くらいってハジメさんが言った事を……。いいえ、嘘です。本当はそれを聞いた時から、ずっと気になっていたの。そして、一週間が経ってしまった……」
ミワは私の胸に顔を埋めながらそう言った。私はこれから先の事は、まだ何も決めていなかった。一週間という期限も思いつきで言っただけで、何の根拠も無かったのだ。
ミワの事も妻の事も、そして自分の事も……。なんといいかげんな男なんだ!
「ミワ……、悲しませてごめん。私はまだ何も決めていないんだ。それに、ミワに謝らなければならない事が有るんだ。ミワに話さなくてはならない事が有るんだ」
ミワの涙を見ていると、嘘をつき続けている自分が嫌になって来た。そろそろ全てを話す時が来たのではないだろうか?
私はミワに全てを話すことにした。
ミワをリビングのソファーに座らせてから話を始めた。
「ミワ、私の話を聞いてほしいんだ。私はミワに、ふたつの重大な嘘をついていた。そのひとつは名前だ。私は青山一なんていう名前じゃないんだ。スナックCPで初めて会った時、思いつきで使った偽名なんだよ。その場かぎりの付き合いなら、真実は必要無いと思った。根本的なところで嘘をつくのなら、いっその事全て嘘にしてしまいたかった。でも、ミワと今の様な付き合いになって……、後悔している。なんで偽名なんか使ったんだろうって……」
ミワは私の目をじっと見つめていた。その黒く大きな瞳に見つめられた私の罪悪感は、ボンベからガスを注入された縁日の風船の様に膨らんで行った。
しかし、ミワの反応は、私の予期する様なものでは無かった。
「そんなことですか? 知っていましたよ」
ミワはサラリと言ってのけたのだ!『嘘つき!』とか『なんでそんな嘘をついたの!』とか言ってなじられる覚悟をしていただけに、私はミワの言葉の意味が理解出来ずにいた。
「だって、ミワがバス停で『青山さん』って声をかけた時、『青山って誰だ?』って言ったじゃないですか。自分の名前を忘れちゃう人なんていませんよ。ミワの名前はちゃんと覚えていたのに……」
私の嘘に気付いた経緯は理解したが、嘘だと気付きながらそれを受け入れているミワの気持ちが理解出来なかった。
人は、特に女性の場合、自分の嘘は正当化しても、他人の嘘に対しては決して許さないものでは無いのか? 私はその様に認識していたが、私の認識は間違っていたのか? それともミワが特殊なのか?
「なぜ、嘘だと気付いていながら何も言わなかったの? 普通はそんな嘘つきと付き合ったりしないだろう?」
ミワは小首を傾げて、不思議な生き物を見る様に、私を見つめていた。
「だって、ハジメさんの本当の名前がどんな名前でも、ハジメさんはハジメさんでしょう?それに、お互いに言いたく無い事は言わなくて良いってルールに決めたじゃないですか。だから本当の名前なんかどうでも良かったんです。呼び方だけの問題ですから」
そんなものなのだろうか? 私には理解出来なかったけれど、ミワの中では大した事では無かったと言う事なのだろう。




