アルコール依存症考〜第一話
幼少期に初めて口にしたお酒の味から、複雑な家庭環境の中で酒と深く関わっていくことになった記憶を辿るエッセイです。半百を過ぎて診断を受けるに至ったわたしの生々しい実体験ですが、少しでも気軽にお付き合いいただければ幸いです。
自慢ではない。断じて自慢でも何でもない。何がだ、って?
それは……。わたし自身に起きた実在する出来事の記憶である。
昭和世代の方に多いような気がするが、悪いことをしたのを自慢するひとがいる。
ツッパリとか不良とか言われて、制服の乱れだとか凶器を持つことだとかお勉強をしないことが、そのままある種のステータスになっていたあの時代ね。
わたしはそういうのにはまったく興味はなく、遠巻きに怖いなあと静かに思っていただけではあったのだが。
そんなわたしが、半百と呼ばれる年齢を過ぎた頃だ。いや、正確には中学生の頃からなのだが……。アルコール依存症との診断名をつけられたのが半百過ぎた頃なのである。
そうなった原因は当然ながら、お酒の飲み過ぎなのである。
さきほども少し触れたが、わたしが始めてお酒の味に触れたのは、小学六年生の頃であった。旅行先でいきなり 両親から飲むように促されたのである。
母親の目は、父親と呼ばれるその新しい男の方にしか向いていなかった。
「あんたはお嬢様育ちなんだからお酒ぐらいは強くなってみなさい」
それがその時の母親の言葉である。
……お嬢様 育ちって……。あんたが育ててるのだろうに!
それは当時の私の頭の中に浮かんだ言葉である。わたしは、いつでも新しい父親が怖すぎて何も返せないのだった。
差し出されたのは、熱い日本酒入りのお猪口であった。
言われた悔しさもあり、新しい父親への反感もあり、わたしはそれを一気に呑み干した。身体中が瞬時に燃え上がったが、わたしは正直なな感想を口にした。
「甘い!」
すると、両親が笑い出し、こいつはとんだ酒豪になるぞ、とか飲兵衛確定ねだのとか言われたのである。わたしはそれを 褒め言葉だと受け取ったのだが。
それから月日が経ち、わたしは中学生になったが、わたしはすっかりお酒を呑むことを楽しみにするような餓鬼になってしまっていた。
その時には母親もアルコール中毒患者に成り下がっており(ただし 病院にも行かず 何の治療もしていなかったが)我が家の食卓の奥は、アルコール貯蔵庫みたいになっており、今でも憶えているサントリーオールドや、ボストンクラブ、ワイルドターキー、そしてジムビームやら純だのスミノフなどの飲みかけ瓶が散乱していた。
わたしはその頃からまさに酒豪になる運命を辿っていたのである。そう、その散乱した呑み掛けを親の目を盗みながら、あるいは目の前で堂々と呑んでいたからだ。
【後半に続く】
最後までお読みいただきありがとうございます。
幼少期の記憶というのは、どれだけ時が経っても鮮明に覚えているものですね。甘いお猪口の味から始まったお酒との付き合いが、これからどう展開していくのか……。
次回は「後編」として、その後の日々や半百を過ぎてからの出来事をお届けする予定です。
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