第13話 楽しいから、選ぶ
クラロは呼吸ができずうずくまる。視界はほとんど真っ白だ。指が震える。その時だった。
「……クラロ?」
たまたま通りかかったイルシオンが駆け寄ってくる。
「……イル……シオン……?」
……温かい。力が抜けていく。瞼が落ちていく。
「……大変! みんな、来て! クラロが、クラロが!」
声が遠くなる。クラロの意識は、そのまま落ちた。
◇
クラロは意識をふっ、と浮上させた。ぼやけた視界の隅で、ピンクが揺れる。
「……イル……シオン?」
「うん、イルだよ」
「……どこだ」
「ここよ」
手が握られる。……体が、重い。だが、少しずつ頭のもやが晴れていく。
「……すまない、ここは、どこだ?」
「クラロの部屋だよ」
彼は首を動かす。自分の部屋であること、イルシオンだけでなく侍女もいることを確認し、ゆっくり息を吐いた。
「……何が、あったんだ……」
「お医者さんは、過呼吸じゃないかって」
「……過呼吸」
「うん。心因性、だって言ってた」
「……心の……問題か」
クラロはゆっくりと息を吐く。
「……心の?」
「……ああ。……パニックに……なっていた、のか」
体がベッドに沈み込む。……誰も、何も言わない。
「……怪物、なのに……怖い……のか……」
「……かいぶつ? こう、がおー、って?」
イルシオンは手で鉤爪を作る。脳内にもふもふの可愛いかいぶつが現れる。それを見たクラロはふっ、と息をこぼした。
「……そんな、可愛いものなら……よかったの……だがな……」
「……じゃあ、どんな怪物?」
クラロは視線を逸らす。しばらく言葉が出なかった。
「……肉親でも……切り捨てる。……簡単に。……そんな、怪物だ」
「……誰が?」
「……私……だ」
イルシオンは目を丸くする。
「……イルシオン……今なら……まだ、離れられる」
「なんで?」
「……聞いて……なかったのか……?」
「聞いてたよ。血の繋がりがある人でも、切り捨てちゃう怪物、なんでしょ」
「……だったら」
「イルを舐めないで」
彼女の瞳が輝く。
「イルはクラロがいいの」
「……なぜ」
「楽しいから」
「……それが……理由か……?」
「うん。イルはクラロと一緒にいたいの」
父の姿がよぎる。「ルナリアはもう『使えん』な」と言った、父の姿が。
「……イルシオンを……、妃を……子供すら。道具としてしか……見ない。そんな日が……くるかも、しれないんだぞ……」
「じゃあその時は、イルが楽しいの雨を降らせるね」
「……どういう……意味だ……?」
「クラロ、楽しくないでしょ」
「……私……が……?」
「うん」
「……私が……楽しく……ない……?」
「でしょ? クラロ、ちゃんと咲いてるよ」
脳内に現れるのは、クラロの形をした花畑。雨が降っている。彼は少し笑って、言葉を紡いだ。
「……せいぜい、ステップ気候だな」
「ステップ気候?」
「……砂漠ではない、乾燥帯の草原だ。……そこに咲く花は、背丈が低い」
彼は思い出す。ステップ気候の写し絵を。低い花でも、群れれば地面が見えなくなるほどになる。
「そっか。どんな花が咲いてるの?」
「……多肉植物だ」
「あのぷくぷくして可愛いやつ?」
「……意外と、綺麗な花が咲くぞ」
「そうなんだ。見てみたいな」
「……図鑑が、あったはずだ。……あとで見よう」
クラロの瞼が重くなる。
「……すまん、眠い……」
「おやすみ、クラロ」
軽やかな声。クラロは「……おや……すみ」と辛うじて返し、そのまま瞼を閉じた。
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