第1話 『正解』の王子
ポラール王国王太子、クラロ・ポラールはたった一人で書類を片付けていた。書斎には時計の音と、ペンが滑る音だけが響く。
一定の速度で紙をめくり、確認し、署名し、次へ移る。迷いはない。視線の動きも、インクを含ませる間隔も、机上に置く手の角度すら寸分違わぬ規則性を保っていた。
机の端には、処理済みの書類が整然と積み上がっている。未処理の束は残り三つ。あと半刻もかからず終わる。クラロはそう見積もった。
上から二枚目の書類を確認する。ディーア王国訪問時の随行者候補一覧だった。
「老齢で移動速度に難あり」
「饒舌。不要な発言の危険あり」
「酒癖が悪い。論外だな」
クラロは目を走らせ、即座に三名を線で消した。残った名簿に印をつけ、次の書類へ移る。
ディーア王国とは、十年前の国際問題を経て、近頃あらためて和平を結び直した。表向きは友好の再確認と交易路の整備。実態は互いの腹を探る牽制の場である。今回の訪問は、そのための最初の儀礼だった。
歓迎の宴、王族同士の会談に、共同声明。視察や贈答品交換。すべて予定通りに進めば利益は大きい。予定通りに進まなければ失点となる。クラロは次の書類を開く。献上品候補一覧だった。
織物、工芸品、宝飾品、名馬と、一般的な贈答品が並ぶ。
名馬に印をつけかけ、止めた。ディーア王は脚を悪くしているという報告が先月入っている。乗馬を贈るのは配慮に欠ける。代わりに工芸品へ変更。判断に要した時間は瞬きの間だ。
さらに次、と晩餐会で想定される質問と模範回答集を確認する。彼は一ページめくるごとに赤線を引いた。
『この度の和平をどうお考えですか』
――両国の安寧に資する喜ばしい一歩です。
『ポラール王国は今後、軍備をどう――』
――安全保障に関する詳細は、両国の信頼関係を深めながら協議いたします。
問題はない。ページをめくっていると一枚の薄い報告書が滑り落ちた。クラロはそれを拾い上げる。諜報部からの簡易報告だった。
『シエロ公爵夫人、ノーチェ・シエロは近頃民衆や夜会の場に姿を現している』
異母姉の名を見て、クラロの視線がわずかに留まる。かつて離宮に閉じ込められていた姉。その名が、今は夜会の場にある。
時計が二度鳴った。次の書類へ伸びるはずの手は、まだ机上にあった。
感情は不要である。私情は判断を鈍らせる。家族とは王家を構成する部品にすぎない。そうあるべきだと、彼は疑ったことがない。
手が止まった理由が理解できない。彼は報告書を裏返し、他の書類の下へ差し込んだ。
そして何事もなかったように、次の文書を開く。だが、署名欄に記した自らの名は、わずかに一画だけ歪んでいた。
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