第21話 「最も重要な仕事」
ミーティングルームを出て、エレベーターに乗って二人になった時、秋葉は三鷹に声をかけた。
「お見事でした」
「ん?」
「出資の話です。私のシナリオにはありませんでした」
「あぁ、のぞみ銀行とは長い付き合いになりそうだし、桜庭はエリートだし、桜庭に恩を売るぐらいはしておきたいだろ」
三鷹は1Fボタンを押しながら答えた。秋葉は「自分のシナリオにはなかった」と言ったが、実のところのぞみ銀行に出資させることは考えていた。考えていたにも関わらず、秋葉は三鷹に提案しなかった。
これからサニーズとの合併や新会社の設立を行うことになる。業績は右肩下がりと言っても、サニーズの社長がそこに出資を申し出てくることは容易に想定できた。さらに一誠や二晴のことも考えなくてはいけない。そこへのぞみ銀行の出資――となると三鷹が拒否するだろうと考えたのだった。
しかし、三鷹は独断で出資を言い出した。今回の件で、三鷹は経営者として確実に成長した――と秋葉は思った。
一階に降りると、先回りした冬川が二人を待っていた。彼女は、三鷹と秋葉をビルの外まで見送った。彼女には、どうしても秋葉と話したいことがあったのだ。
――この一連の流れを描いたのは、きっと彼だ。彼女はそう確信していた。そして、その手腕には、感動に近い思いすら抱いていた。このまま何も言わず別れてしまえば、きっと二度と会えない。そんな予感が、彼女の足を自然と秋葉のもとへ向かわせていた。
「ありがとうございました」
冬川は三鷹と秋葉に深々と頭を下げた。
そして意を決して秋葉に向かって声を発した。
「あの、秋葉さん。思い切ってお願いがあるのですが…」
「はい。なんでしょう?」
秋葉はにこやかに答えた。冬川は一呼吸おいて言った。
「秋葉さん、私を雇って頂けないでしょうか。きっと、お役に立てると思います」
秋葉は、冬川の目をじっと見た後、彼女に応えた。
「私のところは数人のチームの、小さなコンサル事務所ですよ。大手銀行のエリートである冬川さんが来るようなところではありません。それに、今回の案件は桜庭さんの指示のもと、実際の実務は冬川さんが行うようになるでしょう。それは冬川さんの実績となり、確実に将来の幹部候補になります」
冬川もそれは感じていた。
実は、今回の融資に失敗した後、彼女は桜庭に自分は左遷されるのではないかと率直に訊いていた。桜庭の返答は「それはない」だった。もともと桜庭は冬川のことを高く評価していた。それは冬川が入行した直後からである。当時、冬川の噂を聞いた桜庭は、自分が所属していた内部監査部に是非とも来て欲しいと思ったそうだ。しかし当時の桜庭には、彼女を引っ張って来れる程の権限はなかった。
その数年後、桜庭が内部監査で冬川がいた支店に行った時、冬川の状況を知ったのである。桜庭は、冬川は本店勤務であるべきだと思っていた。それが実際には支店業務が長く続いていた。監査の際に、支店業務でもしっかりと実績を上げている冬川を見て、人事の不自然さを疑問に思っていた。そして冬川が戦略企画室を立ち上げた時、冬川の異動を人事部へ強く要望したのだった。
桜庭は冬川にその経緯を説明してくれた後、
「優秀な人材をせっかく引っ張ってきたのに、それをみすみす失うようなことはしない」
と言ってくれたのだ。しかし冬川は辞職を決意した。秋葉の仕事が、彼女の眼にあまりにも魅力的に映った。それだけでなく、実績をいくら上げても長く支店業務にとどめ置かれたことや、桜庭の言葉に嬉しさを感じつつも、一部の幹部によって左右される人事に嫌気がしていたことも影響していた。
秋葉は、冬川の目に、揺るぎそうにない意思が宿っていることを見て、彼女に言った。
「よく考えてみてください。そしてどうしてもということであれば、いつでも連絡してください。お待ちしてます」
彼女は深々と頭を下げ、ビルの中に戻って行った。
三鷹は冬川の後ろ姿を見ながら秋葉に言った。
「そうして秋葉は優秀な人材を得るのであった―――か。会社乗っ取りは撃退した。相続問題も、相続税もとりあえずは無くなった。サニーズを助け、YUZUNOKIは成長し、上場する。のぞみ銀行は多額の融資を取り付け、おまけに上場益まで手にし、桜庭は出世する。これで万事、解決かな?」
「いいえ、まだ終わりではありません。早急にやらないといけない、最も重要な仕事が、まだ一つ残ってます」
秋葉は三鷹の言葉に即座に、しかしゆっくりとそう答えて、にやにや笑っている。
「他に、まだ何か残っていたかな…?」
三鷹は首をかしげながら手を顎に当てて考えた。
秋葉はにこやかに言った。
「モンブランを買わなくては……さ、行きましょう」
そうだったそうだった。忘れて帰ったら命に係わるところだった――そう言って、三鷹と秋葉は笑い合い、車に乗り込んだ。




