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第52話 第六章 ―過ぎ去りし思い出― Final episode

   第六章 ―過ぎ去りし思い出―



 今年はどうやら暖冬らしく、ミニスカートを穿いていてもしんと凍るような風に不快感を味わう事がまだ無かった。流行のスマートフォンで週間天気予報を確認しても、関東地方に雪のマークなどどこにも見当たらない。それでいいと思った。もう二度と雪なんか見たくなかったし。

 何処に行っても街には眩い電飾がこびり付き、点滅するMERRY CHRISTMASの文字が浮かんでいる。頭から追い出したいくらいにしつこいクリスマスの装飾は、目の前に建っている渋谷109の外壁にも張り付いていた。

 あぁ、そういえばここでバイトしてたんだっけ。今じゃ面倒くさいケバい化粧なんかして、芸能事務所からスカウト来ないかななんて下らない事考えながらレジ打ってた。そんな人の御眼鏡に適う事は無いまま辞めちゃったけど。でも本当にやりたい事は別にあるし、今じゃスカウトなんかされなくて良かったんだって考えて自分を納得させてる。

 沈み行く夕陽の中で木枯らしに吹かれながら、点滅する横断歩道の青信号が目に入った。我先にと皆が慌しく小走りで走り去ってゆく。アタシは人々の無数に行き交うスクランブル交差点を横目にしながら、待ち合わせに指定している小洒落たカフェの入り口へ辿り着いた。

「綺麗な店じゃん」

 木の取っ手を軽く押すと、まるで歓迎されたかのように力を入れずに扉は開け放たれた。一歩中に踏み出すと、人の背丈ほどのクリスマスツリーが一際光を放っていた。煌びやかに彩られたモールと、天辺に胡坐を掻いたレトロ調の星飾りが何処となく目に障り、すぐに視線を外した。

 全てが明るい木目で覆われたあたたかみのある店内は、ここが日本である事を一瞬忘れさせてしまうような錯覚を起こした。

「こっちこっち!」

 奥の席で手招きをする少女を発見し、アタシは他の客達を尻目に少女の座る禁煙席へと向かった。

「ごめん、迷った」

「いいよ。あたしも今、来たばかりだから」

 黒髪のロングヘアは、女のアタシから見ても美しいと思った。初めて会った時から、彼女の頭に浮かぶ天使の輪は憧れだった。紺の制服は黒髪に映える。

 腰を下ろすと、向かいに座る少女はいじっていたケータイをバッグに仕舞った。

「今日、友達のお墓参りに行ってきた」

「友達の?」

 アタシはこくりと頷くと、顎に肘をついた。

「丁度一年だから、さ」

「そっか」

 少女も窓の外を見ながら、行き交う人々の波をただ眺めていた。向かいの少女の口は重く、あまり話題は振ってこない。いや大抵、会話の切り出しはアタシからなんだけど。その方が合ってるみたいだから。

「今でも時々、アタシは夢に出るんだ。あの事件が」

 この少女と顔を合わせれば、嫌でも思い出してしまう。元々、あの事件が発端になってアタシ達は惹かれ合ったのだ。

 アタシ達は互いに被害者だ。事件を胸に秘め、消えない傷跡を舐め合う仲だ。だからこそ、辛い時はこうして学校ではなく、一緒にプライベートで会って話す事にしている。

 テーブルの隅で忘れられそうになっていて可哀相なメニューを拾い上げると、『見て見て!』といわんばかりにカラフルな写真でアピールしてくるのでアタシは広げてやった。中にはクリスマスの特別メニューが写真付きで載っている。

 なになに、『雪景色をイメージしたホワイトスノーパスタに、かぼちゃとトマトのスープ、そしてシーザーサラダの三点セット。クリスマスだけの限定パスタです!』と謳い文句で書かれている。

 あっそ。

「アタシ、何もいらない」

「うん。あたしも何も頼んでない」

 二人の妙なシンクロに、アタシはなぜか笑いがこぼれた。

「クリスマスなんか来なければいいのに」

 あの日以来、アタシはクリスマスというものに対して恐怖と憎悪しか感じられなくなった。十二月に入ると街は一層に飾りが激しくなり、店に入ればどこもかしこもクリスマスソングが流れている。

 もう沢山だ。吐き気すら覚えるし、考えるだけで頭痛がする。けれどもあの事件は人々の記憶から過ぎ去り、今日も変わらずに街はクリスマスを迎えようとしている。

 十二月二十三日。クリスマスイヴを控えた前日の今日は、どことなく人々の足取りも軽かった。

「あたしは来てほしいな。クリスマス。今年、初めてだから」

「そうだっけね。あんたは」

 見る物全てに目を輝かせる少女の存在が、アタシは羨ましかった。もう二度とこの身には訪れる事の無い感激が、彼女には感じられるのだ。小さな子が無邪気にはしゃぎ回るかのように。

「外の世界はどう」

 普通の人間にしてみれば意味の分からない質問だと思う。けれども今、日本中で恐らくこの目の前の少女だけにはこの質問は通じる。

「うん。楽しい」

 心の底から頷く様子に、思わずアタシも表情を綻ばせた。

「もう暗闇を見なくていいから。夜の暗さと暗闇は違うっていうのが分かったの」

 三年もの間、身も凍るような地下の牢獄に監禁され続けていた少女は、その違いを発見するだけでも嬉しいのだろうか。アタシには良く分からなかった。

 でも、アタシには彼女の事が理解できた。世間と少々ずれた感覚を持っているのは、特殊な環境で育ったから。それは仕方の無い事だった。それでも、彼女の生まれ持った容姿がそれを良い意味でカバーしている。

「もっと楽しい発見してみたら? 新しい事始めてみるとかさ」

「じゃあ、かなでちゃんみたいに音楽やってみようかな。で、一緒にユニットとか組むの」

「アタシと? うーん、組むとしたらボーカルが必要なんだけどねぇ。アタシはキーボード専門だし」

 確かに、練習してばっかりで面白くないのは事実だった。一応、高校では音楽部に所属してるけど、ボーカル専門の組む相手は居ない。

「あたし、ボーカルなんか出来るかなぁ。恥ずかしいかも。あ、でも出来そうな人なら一人知ってるよ」

「誰よ」

 少女は、はきはきと答える。

「あたしのお姉ちゃん。すっごい唄上手いんだよ。高校の歌姫コンテストで優勝した事あるんだから」

「なんだ、伝説の女子高生の事か」

 アタシ達高校生の間で、彼女の姉は言わずと知れた生きた英雄となっていた。今やテレビにも引っ張りだこで、スカウトされた女優業は順調だ。ドラマやCMにも数多く出演し、今年の恋人にしたい有名人ランキングでも堂々の一位を獲得して、その実力が話題性だけではないのを日本中にアピールした。

 液晶テレビに映る伝説の女子高生の姿は、見る女全てに嫉妬心を植え付けるほどに輝きを増していた。丁度、春のデビュー時とは比べ物にならないくらいに。

 その伝説の女子高生に命を救われたアタシは、頭が上がるはずがない。この時から一生超えられない壁となる予感がしていた。

「へぇ。テレビにはいっぱい出てるけど唄の話は聞いた事無かった。ひなひなってそんなに上手いんだ」

 思えば、まだ一度も生で伝説の女子高生と会った事は無い。ただ一つ知っているのは、伝説の女子高生とこの目の前の少女は双子の姉妹だという事。つまり、これと全く同じ顔がこの世にもう一つある。

 姉妹で全く性格が違う。何だか可笑しく思えた。

「今度、話してみるね」

「ありがと。アタシ、伝説の女子高生と組んでみたい」

 利用するわけではないが、もし例の彼女と組める事になれば話題性は出るに違いない。プロデビューするチャンスも増える事だろう。狭き門を突破するためには、何でもやらねばならない。

 目の前の少女も、くすりと笑っていた。どうやら彼女達姉妹は本当に仲が良いようで、何かと彼女は姉の話を出した。

 逆に言うと、彼女は人生のブランクが祟って自分の話題が少ないのが弱点だった。そこを何とかカバーするために、記憶の中に残っている姉の思い出を引っ張り出してくる。彼女は可哀相な人間だ。いや、やめよう。他人をこんな風に見るのは人として最低な気がしてきた。

「叶詩、これからまだ時間ある?」

 頷く。

「今日はお母さんも仕事が遅くなるし、まだ大丈夫だよ」

「っそ。ならちょっと付き合ってほしいんだけど」

 最初からアタシの分まで用意してあった水を、飲み干す。叶詩は気が利く。後から来るアタシの分まで取っておくんだから。

「そろそろ、克服しなきゃって思ってさ」

「どこに行くの?」

 アタシは意地悪に笑ってみせた。

「決まってんじゃん。あそこ」

 バッグを手に取り、何も注文しないまま腰を上げる。

「しーさいど桜ヶ崎」



 新宿駅から私鉄に乗り換えて辿り着く。新しく建設されたしーさいど臨海公園駅は、冷たいタイル張りで温度を感じさせなかった。

 駅から一歩踏み出すと、冬の夜らしく吐息は白く濁り、深い藍色に吸い込まれて消えていった。いくらあたたかい冬でも、確かに季節は巡っているらしい。

 一年ぶりに訪れた惨劇の舞台は、恋人達で溢れ返っていた。あの事件の記憶など全て拭い去ったかのように、十二月二十三日の夜は更けていった。

 買いもしない服やブーツをちらちらと物色しながら、アタシ達は傷跡の残っていないショッピングセンターを闊歩した。

 店内は街中と同じように煌びやかな装飾に包まれ、英詞の『サンタが町にやってくる』が弥が上にも耳に入ってくる。聞きたくはなくとも。

「しーさいど桜ヶ崎って、こんな綺麗なとこだったんだね。あたしもあれ以来初めて来たんだ」

 叶詩は感激している。自分が一年前まで囚われていた場所だという事も踏まえた上で。確かに、綺麗だった。涙腺も緩むほどに。

 けれども、堪えた。泣いてはいけない。いなくなってしまった人達を思い出し、強くならなければならないと誓った。

「ずるい……」

 巨大なクリスマスツリーが、吹き抜けの天井から月光を受けて輝きを増していた。アタシの心は、いつの間にか悲しみの涙とは違う何かあたたかいものに包まれ、すっと軽くなっていた。

 心の傷は癒えない。けれども、忘れる事は出来る。アタシは前に進む。過去に向かう暗い炎は、消さなければならない。

 そう、アタシは過去を清算し、未来に向かわなきゃならない。後ろを向いている暇は無い。だって、決めたんだから。



 もう、二度と泣かないって。



   了

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