第50話 最終章 ―存在を賭けた戦い― 12
屋上に到着すると、十二月の深夜の冷たい空気がひなたの肺を凍り付かせた。体の芯から冷えるような寒さの中、ちらちらと舞い降りる粉雪の合間に小さく風が吹き、夜空の中に揺らめく蝋燭の炎のように赤い髪が舞った。
肩で息をしながら、両手に携えた日本刀を握り締める。コロシアムのように走り回れる広さを持った屋上展望台。その真ん中に、杏条さとりは立っていた。槍を後ろ手に立てて持って。
「やっと来たわね、ひなひな」
さとりの茶髪のミディアムヘアも風に揺れる。先ほどまでの凶暴さは感じられない、普段の温和で明るい少女の笑顔になっていた。
それでもひなたは警戒を解かずに、ゆっくりとさとりに歩み寄っていった。
さとりは、眼下の繁華街を見渡した。屋上からの景色は、どこまでも広がっているように思える、深夜の街を一望できた。
「私はこの街が好きだった。よく夕方とか一人でここに来て、街を眺めてたりした。ううん、街だけじゃない。本当はきっと、みんな好きだった」
「あたしの親友だった沙鳥みたいなこと言わないで。あなたと、あたしの思い出の中の沙鳥は別人なんだから」
「そう……。ひなひなも決別できたのね、過去と。私は、まだオリジナルと決別できていないみたい。もう覚えてもいないのに、オリジナルの言葉を無意識の内に言っていたんじゃ、決別できるのはまだまだね」
「かもね。沙鳥は似たような事を昔言ってたよ。『私、ひなたも海斗もだーいすき! みんなだーいすき!』ってね。小学校一年生の時だよ。あたしと沙鳥と、海斗君の三人で遊んでばっかりだった毎日。あたし、嬉しかったよ。沙鳥とずっと友達で居たいって思った。なのに、なんでこんな事になっちゃったんだろうね……」
さとりは俯いた。
「私は、クローン人間だから……。本物じゃないから」
「ちがう!」
ひなたは一喝した。
「クローン人間だってなんだって、あんたは杏条沙鳥なの! 杏条沙鳥の顔をして、記憶を持ってるんでしょ? なのに、なんで? あたしはずっと、さとりだけは絶対に裏切らないって誓ってた。なんで、さとりはそこまであたしを嫌うの? やたらモテるから? なりたくもないのに悲劇のヒロインになって、みんなに声を掛けてもらえて羨ましい?
あたし、さとりになにかした? 殺さなきゃいけなくなるような事、なにかした? したなら謝る。土下座でもなんだってする! でも、あたしは何もしてないよ! あたしに関する記憶はオリジナルから受け継いでなかったの? だから、あたしが友達だって事、忘れちゃってたの?」
「受け継いでたわ、しっかりとね。あいつの記憶の中では、ひなひなはやっぱり親友だったわ。生まれた時から、ひなひなが友達だっていう記憶を既に持っていた。『食べちゃいたいくらい好き』だなんていう歯の浮くような独り言を言った記憶すらあったわ。
だけど、私はオリジナルじゃない。クローン人間なの。ひなひなが親友だった記憶は持っていても、それは別人の記憶のように思えてた。本物よりちょっとだけ、不器用だったのかもしれないわね。最初は、毎日私に擦り寄ってくるひなひなを受け入れようとして努力した。だけど、クローンとして生まれた私には、人を信用する心が欠けちゃってたみたい。だってそうよね、生まれてすぐに外国に売りに出されて、人知れず実験動物のようにして処分されようとしてたんだし」
ひなたは悲しそうな表情で、聞き続ける。
「だから、あたしの事も信用できなかった?」
「そうかもしれない。けど私は今でも正直、心の奥底では迷っている部分をまだ持ってる。ひなひなと親友だった記憶はあるのに、私はオリジナルと違って親友にはなれないと思っているこの矛盾。ちょっと辛いわ。ひなひなと昔みたいにずっと親友でいればいいのに、私の頭の何処かがそれを邪魔して、暴走するの」
さとりの瞳から、何かがこぼれた。それは気のせいだったのかもしれない。だがひなたの目には確かに映った。暴走の果てに、自らの過ちを悔いたかのように流した少女の涙を。
――さとりが、正気に戻った……。
目付きが、元に戻っていた。遠い昔に見せてくれた、親友を見るあたたかな瞳だった。独りよがりな妄想の果てに、全てが終わってやっと気付いた思い違い。それにさとり自身が気付くのは遅すぎた。
「あたしは、さとりと親友でいたかった。ずっとずっと親友でいたかった。だけど、もう終わりだね……。もう、戻れない所まで来ちゃった」
ひなたは、左手の日本刀をさとりに向けた。戦おうという意思表示だった。だが、さとりは槍を足元に捨て去った。
「そうね、ごめんねひなひな。雪の冷たさで、ちょっと目が覚めたみたい。私は、薬が手に入らない以上死ぬ運命なの。どうせ苦しんで死ぬくらいなら、この場で討たれた方が楽かもしれないわ。
結局、全て失敗に終わったのだし。独りよがりな目的で犯行に及んだ孤独な女は、自身が陥れようとした人物に最期は討たれる。それで全て終わりよ」
ひなたは首を横に振った。
「ダメだよ、そんな一方的なのは。あたしはそんなのは許さない。さとりがあたしを否定した以上、あたしを全力で討ち取りに来て。あたしも、全力でさとりと戦う。これは、もう話し合いじゃ終わらないの。
互いに互いを否定しあった勝負は、ちゃんと戦ってどちらかが倒れないと終わらない。これは、互いの存在を賭けた戦いだよ。例えあなたが病気で死ぬ運命にあったとしても、これだけは白黒付けるべき決着なの」
さとりは目を瞑り、気持ちを落ち着けた後、ゆっくりと目を開いた。
「……そうね、そうなのかもしれないわ」
さとりの瞳が優しかった。これから最後の命のやり取りをする目付きではない。
「これが最終ラウンドだよ。最高のゲームにしよ」
さとりは、フッと笑った。
「ガンシューティングじゃなくて、生身の斬り合いだけどね。さてと、じゃあ始めましょうか。気持ちが萎えない内に」
槍を手に取る。距離を取り、構える。隙が無い。髪を掻き分け、本気の目付きになって眉を尖らせる。
ひなたも、両手の日本刀を構えた。心臓の鼓動が耳に聞こえるくらい、激しい。
「さぁ、行くわよ!」
しばらくの睨み合いの後、さとりは突進してきた。
槍を真っ直ぐに突き出す。ひなたは横にひらりと飛び、避けた。隙を突いて右手の日本刀を繰り出す。だが薙いだ槍に弾かれた。
上から斬りかかれば鍔迫り合いになり、横から襲い掛かれば刃が弾かれる。隙を見せれば槍が一直線に振り下ろされ、ひなたはスレスレを避け続けた。
一進一退、いつどちらかが致命傷を負ってもおかしくない命のやり取り。本気を出した二人の実力は、ほぼ互角だった。普段は運動神経の良いさとりも、本当の力を出してきたひなたをすぐに仕留める事は出来ない。
普段は大人しいが、磨けば光る運動センスをひなたは持ち合わせている。ただそれが開花していないだけ。
「参ったわねひなひな、随分とやるわ」
さとりが肩で息をし始めた。ひなたのスタミナはまだまだ切れていない。
「さとりはもう限界? まだまだこれからだよ!」
屋上の手すり付近に追い詰められ、槍を大きく振り回すさとり。ひなたは積もった足元の雪をつかむと、離れた所から投げた。
「いったい! やったわね」
小さな雪玉を肩に受けるさとり。槍を低い体勢で構え、突っ込む。「うっ!」
体を翻したひなたの制服の端を千切る槍。裾が短くなる。
「ほらほら、このままどんどん服でも切り刻んであげようかしら?」
「切り刻まれて裸になるのは、さとりの方だよ!」
ひなたが日本刀をクロスするように構えて走った。
一気に槍の懐に入ると、左の日本刀を体の外に向けて薙ぎ払う。お返しとばかりに制服を千切った。右の胸から下の服が千切れ、脇腹を露出した。病気で変色した痛々しい皮膚が見え隠れする。
「そっか、ひなひなは左利きだったわね。右利きの相手とは攻撃の方向が違うわけだ。ふむふむ」
降りしきる雪の中、二人の少女が飛んで、跳ねて、舞い踊る。それは二人一組のダンスのように。どちらが勝つとも負けるとも分からない、長い長い戦いだった。
槍がヒットするかと思えば避けられ、日本刀が切り裂こうと思えば薙ぎ払われる。二人の少女は肩で息をしながらも、最期の戦いを続けていた。
どちらかが死ななければ終わらない戦い。生きたままの話し合いなどでは、もはや修復不可能なほどの深い溝。戦う事でしか解決しない、悲しい関係。
だが、戦いはいずれ終わる。
「もう、疲れてるんじゃないの? さとり」
「そう言うひなひなこそ」
二人は互いに距離を取り、睨み合った。二人の仲を隔てるように、その間に一陣の風が通り過ぎる。二人の髪がなびいた。
風が止み、時が止まったかのように二人は少しの間、動かなかった。そして二人とも、息を合わせたかのように真正面から突っ込んだ。
槍を突き出すさとり、日本刀で斬りかかるひなた。さとりの突きを避け、首筋へと日本刀を伸ばす。剃刀のように研ぎ澄まされた一撃が、静脈を襲った。
「ぐうっ!」
さとりの首筋を日本刀が通った。だが皮一枚を切った程度にしか過ぎない。薄く血が滲み出る程度だった。
最期の一撃を決めたと思い込み、ひなたは油断した。一瞬怯んださとりはすぐに態勢を立て直し、蹴りをひなたの腹に叩き込んだ。
「あああ!」
悲鳴を上げて後ろへと吹き飛ばされる。足元の雪が尻餅を着いた後ひなたを滑らせ、彼女を壁際へと追い込んだ。
――早く、立ち上がらなきゃ!
痛みを堪えて手を地面に着き、膝を立てる。咄嗟に瞑った目を開けた。
ひなたの目の前に、止めを刺そうと突進してきたさとりがいた。両手には鋭い槍。ひなたの思考は止まった。足が動かない。
時間がゆっくりになったように思えた。スローモーションのようにさとりの槍が近づいてくる。実際には一秒くらいであったかもしれないが、ひなたの目には普段と違う時間の進みに見えていた。
右胸に、槍の穂先が突き立てられる。ひなたはゆっくりと目をやり、その槍を確認する。次に見たさとりの表情は、どこか悲しげだった。
「いやああああああああ!」
夜空に、ひなたの絶叫が響いた。両手の日本刀を力無く落とした。槍は、右胸を貫通して後ろの壁にまで刺さっている。ひなたは串刺しにされ、身動きが取れない。
口から生まれて初めて血を吐いた。恐らく、最初で最後の吐血。鮮やかな鮮血は自身の制服を真っ赤に汚し、もう学生生活では着て歩けないほどの染みになるだろうと思われた。
瞬間的に、ひなたは懐かしい感覚に襲われた。もしかしたらそれは幻覚だったのかもしれない。次に、見た事も無い場面が脳裏を過ぎった。




