第4話 第一章 ―日常崩壊― 4 Final episode
「くそっ……」
新宿に倒された男二人が起き上がろうとしていた。それと入れ替わるように、新宿先輩は目の前で息を引き取った。さとりは、まだ温かい新宿先輩の体にしがみ付き、すすり泣いたままずっと離れなかった。
「人殺し……」
自分でも気付いてなかったのだろう、ひなたは自然とその言葉を呟いていた。
「何だと」
品川が怒り、今度はひなたに向かってショットガンを向けた。
「ひっ……」
ざわめく人質達。パニックを起こしている。ひなたは銃口を向けられ、恐怖で泣きそうになった。
「静まれ!」
品川が野太い声で一喝する。男二人がアサルトライフルを威嚇のように壁に向かって連射した。銃撃の激しい音が壁を抉り、ガラスを割り、更に恐怖を煽る。
ひなたは腰が抜け、床に伏した。彼女の心には恐怖と混乱しかない。
「キャアッ!」
さとりの声が響いた。左足に流れ弾が当たったらしい。新宿の遺体のすぐ側に、悲鳴を上げて倒れるさとり。血が流れ出ていた。
「止めろ!」
品川は男の頭を殴った。ようやく銃撃は止まった。
「何で殺したの……?」
さとりは痛みをこらえ、暗い声で犯行グループに背を向けながら言った。
「先輩を何で殺したの……? なんで先輩が殺されなきゃいけないの? 答えてよ!」
さとりは泣きじゃくっていた。それは誰もが、本気の涙だと分かるほど、嗚咽をこぼして。
「好きだった。死ぬほど好きだったのに……」
ケータイの待ち受け画像も新宿だった。それを周りに自慢して歩いていた。それほど、彼女は新宿を愛していた。その彼は、目の前でショットガンの凶弾に撃たれて亡くなってしまった。ついさっきまで、元気におもちゃ屋にいたのに。
品川はさとりの質問に答えなかった。反撃されたから反撃し返した。品川にとってはただそれだけの事だったのだろう。人を殺した罪悪感に苛まれるどころか、新宿に反撃された事で憤慨した品川は顎で部下に命令していた。
「おいお前、こいつらに一発目に物見せてやれ」
アサルトライフルを持った男は、下品な笑いを浮かべた。
「いいんですかい品川さん。へっへっへ、大事な人質ですぜ」
「構わねえよ、数え切れねぇほど居るんだ。その中の十何人か居なくなった所で何も変わらねえ。クソガキが、抵抗するなんざナメた真似してくれやがる」
「それじゃ、やりますぜい」
――何をするつもり?
ひなたの目が男の手元を追った。部下の男の内ポケットから出てきたものは、何かのリモコンのようなコントローラーのような小さな機械だった。
――なに? あれ。
「これで、プールで泳いでいた奴らは一分後に一人残らず木っ端微塵ってわけか。ひゃっはっはっはっは」
男が口の端から涎を垂らしながら、リモコンのスイッチを押した。
――木っ端微塵? どういうこと? まさか……。
「あと四十秒」
抵抗しないよう、銃を突きつけて男は病んだ笑いをこぼしていた。
ひなたの頭に最悪な結果が過ぎる。止めなければ。だが足が震えて動かない。動いたら、喋ったら殺される。そんな場面を想像して。
「二十秒」
冷たい汗が流れる。真冬だというのに。
「十、九、八……」
ひなたは堪え切れなくなり、地面に這いつくりばりながら叫んだ。
「お願いやめて! やめてください!」
悲痛な叫びに銃口を向ける男。青ざめるひなた。それ以上声は出なかった。
「二、一……」
ゼロ。一瞬、館内が静寂に包まれたかと思った。次の瞬間、巨大な地震のような振動と、耳をつんざくような爆音が襲ってきた。天井から剥がれた塗装の破片や、コンクリート片が雨のように降り注いでくる。人質みんなで仲良くそれを浴びる。ひなたのすぐ近くに座っている人質の目と鼻の先に、天井からシャンデリアが落下した。ガラスが勢い良く叩きつけられるような割れる音に、心までもが破裂しそうになる。何も聞こえなくなった時、その場に居た皆は言葉どころか生きている心地すらもしていないかのように目を点にしていた。
ひなたは頭を両手で庇いながら、地面のタイルを一点見つめ続けていた。今、確かに何かが起きた。そんなに離れていない所で、人が死んだ。その耳で小さく聞いた。死ぬ間際の人間の悲鳴を。
「いい目をしてるな、お前ら。どうだ、逆らうとこうなるという事が五感で伝わってきただろう。分かったら無駄な抵抗はしない事だ」
品川はカウントがゼロに近づく瞬間、叫びを上げたひなたに視線を向けた。どうやら目を付けたようだった。
「ガハハ、いい事を思いついた」
品川はショットガンを右手だけで持ち、改めてひなたに向けた。
「お前が連れて来い」
「え?」
突然の事に、ひなたは訳が分からなかった。
「それと、そこで泣いてるお前もだ」
さとりにも銃が向けられる。
「なんで、私を……」
品川は有無を言わさず、続けた。
「お前らには、ある人物を連れて来てもらおう。嫌とは言わせない」
それは銃を突きつけられている事から、ノーとは言えないのは分かりきっていた。
「無理よ、さとりは足に怪我してるわよ!」
友達のエリカが叫んだ。最もだ。銃弾を受けた足で、三日間も歩き回れる訳がない。
「じゃあ、こいつらの代わりに俺が行くよとでも言う勇気のある奴は、ここにいるか? いねぇよなぁ、こんな散弾銃一丁見せびらかしただけで腰の抜けちまう腑抜けどもだ」
ショットガンを振りかざし、挑発するように人質に向かって雑言を浴びせかける。腑抜けではない。人としてその殺人兵器に恐怖を抱いているのだ。銃口を向け、あの引き金をちょいと引くだけで人の命は簡単に終わってしまうのだから。
ひなたは、この目の前の人物に対して怒りを覚えたようだった。何の目的かは分からないが、無茶苦茶すぎた。人の命を何だと思っているのかと思った事だろう。簡単に殺しておいて、今度はお前が要求を果たせという。ふざけているとしか言いようが無い。
皆の視線は、ひなたに注がれていた。犯行グループに最初に指名された人間。誰もその代わりなど務めたくない。その代わりとなった時、自分に課せられる責任は計り知れないのだ。
ひなたは、知らず知らずの内に追い詰められていた。最初に指名されたのだからお前が行けばいい、ここに居る限りは、反抗さえしなければ撃たれはしない。だからお前が働けばいい。皆がそう言っているように思えた。痛いくらいに感じる背中の無言の視線が、そう語っている。彼女は、追い詰められていた。やるしかないんだと思った。
「いいよ、あたしが行く! さとりを連れては行けないよ!」
「ひなひな……」
新宿を目の前で殺されたのと、怪我を負ったので、さとりは心身共にボロボロなはずだ。そんな友達を連れてはいけない。苦しむのが分かっているなら、せめて自分ひとりで。そんな気持ちだったのだろう。ひなたには自分でも気付いていないが、生まれもっての優しさと自己犠牲の精神が根強くあるようだった。短い間しか一緒に居られなかった、親から受け継いだ心だ。
「私は大丈夫……」
強がってさとりは立ち上がろうとする。だが激痛が襲ったらしく、歯を食いしばり、足を押さえて倒れ込んだ。
「あたしが一人で行きます。だから、どうかみんなを傷付けないで下さい……」
ひなたは土下座して頭を下げた。下げる価値も無い外道な連中に。
品川は口の端を吊り上げ、言った。
「面白いやってみろ。メスガキが、どこまでやれるか見物だぜ」
メスガキ。その言葉に対して頭に上るものがあった。だが気持ちを抑え、ひなたは頭を下げ続けた。
品川は皆に対して言った。
「お前らも先ほどの爆発でご存知の通り、このしーさいど桜ヶ崎の中に、大量のプラスティック爆弾を仕掛けた。もしこのガキが、十二月二十五日が終わるまでに要求を満たせなかった場合は、爆弾はその時点で全て爆破する。みんなまとめて仲良くお陀仏だ。それと、こいつが警察に頼ったりしてもダメだ。爆弾はドカーンだ。
いいか? 今この瞬間、このガキの肩に千人の命が預けられる事になった。もう後戻りは出来ないぞ」
それは、犯人である連中も死ぬ覚悟をもって犯行に及んでいるという事。命がけの犯行、それだけの価値がある人物を探し出せという事だった。きっと生半可な事ではない。
――千人の命……。
ひなたは心の中で呟く。想像が付かなかった。たった十六歳の女子高生の肩に背負うには、重すぎる荷物だった。それがどれだけ責任を伴う結果になるのか、一人でこの難題に挑む覚悟をしたひなたには痛いほど感じられた。
――あたしの行動一つで、千人の命が吹っ飛ぶ……。
もしかしたら、とんでもない決断をしてしまったのかもしれない。だが、もう後戻りは出来なかった。ひたすら前に進むしかないのだ。賽は投げられたのだ。
「誰を、連れてくればいいの?」
品川は懐から一枚の写真を出した。まさか、写真だけを手がかりに探せとでも言うんじゃないだろうか。
「こいつだ」
差し出した写真には、驚愕の人物が写っていた。
「お、お母さん」
「なんだ、やっぱりお前の母親だったのか? 奇遇だな。道理で最初見た時から写真の女と良く似てると思ったぜ。お前だけじゃなく、母ちゃんも美人だったんだな。親子揃ってレイプしてやりたいくらいだ」
最後の一言にカチンと来て品川を睨み付けた。殺してやりたいとでもいうような殺意の宿った目付きで。本人すらも気付いていないだろう、普段の気弱な彼女からでは想像も付かないような目付きだ。
写真に写っていたのは、紛れも無く神崎陽詩の実の母親。十三年前に失踪した、『神崎 世良』だった。だいぶ若い写真だ。ひなたが知っている母よりも若い。
写真の中の世良は、黒髪のミディアムヘアをしていて、私服のクリーム色の涼しそうなブラウス姿であった。誰か写真を撮った人物を見ているのだろう、正面に向かって優しく微笑んでいる。その笑顔は、母の笑顔ではなく一人の女性としての笑顔である。きっと、ひなたが生まれる前の写真なのだろう。恐らく後ろの景色はどこかの公園だろうと思える。若草色のベンチに座っている別の親子連れと、青々と茂った木が目立つ写真だった。恐らく季節は夏だろう。
神崎世良の最大の特徴は何と言っても、その顔付きだった。何しろ、娘のひなたと良く似ているのだ。アイドル顔とでも表現すれば分かりやすいのだろうか。純粋な日本人であるにも関わらず、東洋と西洋の血が絶妙に混じったハーフのような顔付きの美女だ。
ひなたは懐かしい人物の写真を食い入るように見つめていた。
「なんで、お母さんを必要とするの?」
「お前に話す必要は無いな」
品川は頑なだった。
「お母さんは……十三年前に蒸発したんだよ。警察だって必死になって探してくれた、だけど全く手がかりもつかめなかった。それを、たった三日であたしに探してこいっていうの? 警察の手をも借りずに? 一体どうやって。そんなの、出来るわけない!」
「出来なきゃ、俺達は千人の人質と一緒に心中するだけだ」
「そんな……」
さとりもエリカもリョウコも、顔も名前も知らない大勢の人達が、明後日の日付が変わる瞬間にしーさいど桜ヶ崎と共に吹っ飛んでしまう。しかも一番頼りになりそうな、警察には接触するなと、とことん無茶を言う。
ひなたは軽く絶望した。土下座のまま頭を抱え、目を震わせた。
「さて」
品川が、仲間の一人からある物を受け取った。
「どっちを付けたい?」
ひなたに聞いてくる。彼女は頭を上げて、その手を見た。品川の右手には男性物の黒いネクタイ。左手には女性物の黄色いカチューシャ。
「……カチューシャ」
ひなたは迷わず答えた。
「なら、これを付けろ。これには小型カメラと盗聴器が内蔵されている。お前を監視するためのな。もし警察に頼ろうとでもしたら、一発で終わるぞ。コイツを外しても、その時点で放棄したとみなして爆弾は爆破する」
こんな物を用意していたという事は最初から誰かにこういう役目を与えるつもりでいたという事だろう。たまたま、それがひなたに当たってしまったという不運さ。
「それって、」
ひなたは顔を青くした。
「お風呂とかトイレも、見られるって事……?」
「当たり前だ」
品川は冷徹に言った。ひなたは青くなる。プライバシーもへったくれもない。十六歳の女子高生にはこれ以上無い屈辱となるだろう。
「それ、付ける前に一回トイレ行かせて……?」
品川は無言で頷くと、仲間の一人に銃を突きつけさせ、トイレに向かわせた。
「逃げるなよ」
と言いつける男に、改めて恐怖を感じた――。
ピカピカに光るタイル張りのトイレの個室に篭り、ひなたは写真を見て思い出していた。母の記憶を。
――あたしは、お母さんに捨てられたんだよ。
写真の中でカメラに向かって微笑んでいる母が憎らしく思えていた事だろう。彼女の母は、ひなたが四歳の誕生日を迎えた日を最後に、行方不明になった。十三年前の十二月二十五日は、東京ユニバーサルランドに母と最後に二人で遊びに行った日。ひなたは、母が元々家を出て行くつもりで、最後に罪滅ぼしのために遊びに連れて行ってくれたのだと解釈していた。それが、愛する娘の誕生日だというのが何とも皮肉だった。お陰で彼女は、母が自分を元々愛していなかったのだ、邪魔だったのだと思う事となってしまった。あえて誕生日にいなくなる事で、お前は邪魔だったんだ、要らない子だったんだという風に思わせて苦しめてやりたかったんじゃないのかと、そう歪んで捉え、一生心から消えない深いトラウマとなっていた。
どうやらその日東京ユニバーサルランドから帰った後、世良は深夜に家を出たらしかった。父は翌日ひなたに言っていた。一緒の布団に入ったが、朝には既にもぬけの殻であったという。
父は、家族を愛していた。決して収入の多い仕事をしていたわけではなかった父。本当の所は、母の世良の杏条ニューロンでの働きによって、家計は支えられていたと言っても過言ではなかった。父は、世良が家を出て戻ってこない事を大いに嘆いた。収入は二の次にして、父は本当に世良を愛していたのだから。それでも父は、残った一人娘を育てるために懸命に働いた。母がいつか家に戻ってくる事を信じて。だが少ない収入のお陰で、家計は常に火の車だった。ひなたは、父を支えるために家事をするようになっていった。
それでも、ひなたは父が居てくれて幸せだった。父は、母の面影を残すひなたを一生懸命愛し、働いた。だがそんな幸せも、続かなかった。
ひなたが十歳の秋、父は亡くなった。家も財産も全て失った。たった一夜で。酒を飲み、泥酔状態で運転されていた大型トラックが、深夜にひなたの家に突っ込んできたのだった。トラックはブレーキを全くかけなかったらしく、一階部分を全て破壊するほどの凄まじいスピードで悪魔のように神崎家に襲い掛かってきた。一階で就寝していた父は、トラックに潰されて即死し、瓦礫に埋まった。直後にトラックのガソリンが引火。家に燃え移り、全焼した。二階の自室で寝ていたひなたは奇跡的にも無傷で、駆けつけた消防隊員に救助された。
その際、母に東京ユニバーサルランドで買ってもらったミッケキャットのぬいぐるみだけは、彼女は必死で燃えさかる家から持ち出していたという。
神崎陽詩という少女は、母の失踪を期に常に転落の人生を歩んできた。自分の力ではどうしようもない、周りに巻き込まれただけ。何の力も無い少女には、ただ不幸を受け入れるしか道は無かった。そしてその不幸の悪魔は、再び彼女の前に現れた。
――お母さん、なんであたしの前から消えたの……?
浮気しているような素振りは全く無かったという。失踪直前まで、いつもと変わらない朝を迎え、そして変わらない笑顔を見せていた。何故失踪したのか、理由が分からない。不慮の事故にでも巻き込まれたのだろうか。だったら誰か目撃者だって居てもいいはずだ。
――気になる。あたしも、お母さんの行方を知りたい。
犯人の要求だけではない。ひなたにだって、母の行方を知る権利があった。
ひなたは決意して用を足すと、トイレから再び緊張の場へと戻っていった。早速、銃が突きつけられる。
「準備、出来ました」
ひなたは犯行グループ一味からカチューシャを受け取る。珍しくふてぶてしいまでの挑戦的な態度を犯行グループに示すように、美しいストレートヘアを優雅に揺らしながら、見せ付けるようにして髪の毛に通していった。人質の男性の喉が鳴る音がした気がした。すごく見られているようだった。色んな人から。
彼女は人質の皆に向き直る。神妙な面持ちで。まるでこれから宗教めいた演説でもしようかというような雰囲気だ。
「ひなひな……」
さとりが声をかけてきた。不安そうだった。
「お願いします。あたしに、みんなの命を三日間だけ預けてください。どこまでやれるかは分かりません。だけど、絶対に皆さんを助けます。だからお願いです、ちょっとだけでいいから、あたしを信じてください」
皆の表情は強張った者もいれば、強く頷いてくれる人も居た。後は、自分でどこまでやれるかを試すしかない。失敗してもリテイクはない。これは現実なんだと、ひなたは自分に言い聞かせた。
「さぁ、そろそろ行け」
品川に頭を小突かれる。ひなたは最後にさとりの不安そうな視線を見つめ、外の出口に向かって振り返った――。




