第5話 第二章 ―迷走― 1
第二章 ―迷走―
しーさいど桜ヶ崎から出ると、凍るような北風がひなたを襲った。歯を食いしばってそれを耐え凌ぐ。ブレザー一枚では寒さが堪える。オマケに下はミニスカート。タイツも何も履いていない素足だ。
――これから、どうしよう。
時間をまず確認した。右手の袖ををまくると、時計の針は午後の一時を指していた。残された時間は今日の半日と残り二日。この時間で行ける範囲で、神崎世良の行方がつかめればいいのだが。もし行方がつかめても、行けない場所ではその時点でアウトだ。そうなったら、命を懸けて犯行グループと話し合わなければならなくなるだろう。
――一人ではやっぱり限界があるかも。警察がダメだとしたら、知り合いに協力してもらうしかない。
ひなたは胸ポケットの中に入れてあったケータイを取り出した。偶然にもバッグの中でなかったのが幸いした。通学用カバンはしーさいど桜ヶ崎の中に置いてきてしまった。今更取りに戻るわけにはいかない。慣れた手つきで赤い薄型のケータイを開いた。素早くアドレス帳を開く。友達の名前がズラズラと出てきた。中には、向こうから一方的にアドレスを押し付けてきて、こちらからは一度も連絡を取った事のない男なども多かった。正直、消していいのか始末に困っているような人のアドレスも多い。
――アケミならどうかな。
電話番号に早速ダイヤルしようとする。だがその時、何か頭上から聞こえてきた。聞こえてきたというよりも、すぐにうるさく耳元で響くような音で。しかもそれは、次第に断続的に爆音のような音を発してゆく。
「な、なに?」
ひなたは頭上を見上げる。するとしーさいどの巨大な建物の影からこちらにゆっくりと向かってくる、飛行物体があった。近づくに連れて、それが何の物体なのかが分かってくる。あの羽の生えた、鉄の塊。うるさい音を立てながらハエのように大空を飛んでいた。
ヘリコプターのローター音だった。きっとどこかのテレビ局のものだろう。どうやらこの騒ぎを聞きつけて早速、ライブ中継をしにきたらしい。
報道陣は、当事者に比べれば断然お気楽なものだ。自分の仕事のために相手の気持ちも考えずに、大変そうな顔をしながらズケズケと現場に入って取材すればそれでいい。その情報が他のテレビ局よりも早ければ早いほど、ネタが新鮮であればあるほど、そして重大な事件であればあるほど、視聴率も取れ、数字が稼げる。巻き込まれた当事者は、そんな報道陣なんか足元にも及ばないほどに大変な目に遭っているというのに。
ひなたはどこのテレビ局か気になった。そんな時、いい方法を思いつく。彼女のケータイには、ワンセグ放送(携帯電話向けのテレビ放送)を受信する機能が付いていた。それで見れば、恐らくどこかの局のヘリが、今まさにひなたを映そうとしている場面を見れるだろう。
「四チャンネルのひのまるテレビだね」
ひのまるテレビのヘリからの映像が、今まさにひなたのケータイの画面にも映し出されていた。声も聞こえてくる。ヘリは今まさに目の前までやってきて、縁の太いメガネをかけたスーツ姿のレポーターが、甲高い声で叫んでいた。
普段なら平日のこの時間のひのまるテレビでは、日に焼けたような浅黒く濃いキャラクターのベテラン司会者による、中年から高齢者向けのありがたい健康志向の番組を毎日やっているはずだった。だが今日はこの事件のために、番組の一部を変更しているようだ。その例の司会者が小さな右下の隔離された画面から、冷静な声でレポーターに向かって話していた。
「現場の豊田さん、詳しく状況を説明してください」
三十歳ほどに思える、豊田と呼ばれた男性レポーターは、現場の緊迫差を訴えるために少々大げさに喋っていた。
「はい。只今、現場のしーさいど桜ヶ崎上空へと来ています! ご覧下さい、普段は賑わっているはずの駅前の商業地区ですが、今は全く人が通る気配はありません!」
「しーさいど桜ヶ崎を占拠した犯行グループや人質の皆さんの状況は、どんなものだか分かりますか?」
「こちらにはまだほとんど情報が入ってきていない状況です。建物内部の電話線は全てが切られている模様であり、中と外との連絡は取れません! 引き続き我々は中継を行い、新たな情報が入り次第お伝えします! あっ――」
突然、レポーターは最後に何かを叫んだ。
「どうしました、豊田さん」
「あそこをご覧下さい!」
テレビカメラが眼下に向かった。斜め四十五度くらいにまでカメラを下げ、しーさいど入り口付近を映す。
「って、あたしが映ってる」
ひなたは自分のケータイの画面と、目の前に浮いているヘリを交互に見た。自分がテレビに映っている映像を、今手に持っているケータイで自分で見ている。何とも奇妙な気分だった。
「あそこに高校生でしょうか、赤い髪の、エンジ色の学生服を着た少女が一人見受けられます。あそこに居るという事は、犯人に何らかの指示をされたのではないでしょうか」
「テキトーな事言わないでよ。けっこう当たってるけど……」
ヘリはもう少し、もう少しという風に、地面ギリギリの高さにまで近づこうとしてくる。どうやらひなたの姿を良く撮影したいらしい。あのレポーターは、まだ他の局が取材に来ていない以上、今がチャンスとばかりに、これ見よがしにひなたに近づいてこようとしていた。どうせ視聴率稼ぎのためだろうが。
ひなたはヘリが近づくにつれて、ローターの回転から生まれる風が強くなり、顔と手を覆った。
――あんまり近づかないでよ、前が見えないよ。
連中は言っていた。警察に頼るな。じゃあ報道機関はいいのか。危険ではないのか。ひなたは強い風をけながら、ふとしーさいど桜ヶ崎の屋上に視線を向けた。誰か居る。何か巨大な棒のようなものを持っている。
「あれは……?」
屋上と言っても、あまり離れた場所ではない。直線距離に直せばせいぜい二、三十メートル。その人間の持っているものは、視力のいいひなたには、楽にどんな物だか見る事が出来た。棒が肩に担がれた。重そうに。ひなたの頭の中に、その棒に対する嫌悪感が生まれた。冷や汗が背中に垂れた。ヤバイ物だというのが直感で分かる。
こんな状況だが、ひなたは変な事を思い出していた。少し前に見たテレビを。今は終わってしまったらしいが、深夜のバラエティー番組で、『ロリビアの海』という番組があった。名前の通り、そういう趣味を持った男の人が泣いて喜びそうな、中学生のような見た目の少女が沢山出ている番組であった。偶然チャンネルを回している最中、ひなたは他に面白い番組が見つからずに、あまり好きになれない内容だったがつい見てしまったのだった。その日の放送内容で、『日本刀とロケットランチャー、戦ったらどっちが勝つ?』という、色んな意味で危ない特集をやっていた。結果はロケットランチャーの圧勝であったが。彼女は物騒ねぇと思いながら、軽くスルーしていた。
そこで出てきたロケットランチャーが、今目の前で屋上で構えられている棒とソックリだった。いやあれはロケットランチャーそのものだった。しかも、矛先はヘリコプターに向かっているではないか。
「逃げて!」
ひなたは思わず叫んでいた。ヘリに向かって。もし撃ち込まれたら、間違いなくヘリコプターなど木っ端微塵だ。
「お願い、あたしの言う事聞いて! 早く逃げて!」
身振りをしながら全力で叫ぶも、ヘリは動かない。ケータイに映ったテレビからは間抜けな声が聞こえる。
「あ、少女が何か叫んでいます! 何を伝えようとしているのでしょうか」
「いいから逃げてよ!」
直後、ひなたの叫びも虚しく、屋上のロケットランチャーが火を噴いた。文字通りロケットのような瞬間的に、轟音を上げてミサイルがヘリに直撃した。
「ぎゃあああああああ!」
手に持ったケータイのテレビから、そんな断末魔が聞こえた。同時に、巨大な爆風が地上のひなたに襲い掛かり、強烈な突風で遥か後方に吹き飛ばされていた。
「きゃあっ!」
建物の柱に背中からぶつかり、ようやくひなたは動きを止めた。
ヘリのローターが勢い良く剃刀のように跳んだ。地上の噴水の石に直撃して抉る。噛み合っていない歯車のように、耳障りな音を立ててローターは転がった。
ヘリの本体が空中で炎に包まれ、爆発する。ボロボロになった機体はゆっくりと落下し始め、近くに位置したしーさいど臨海公園駅の真上から直撃した。駅に停止していた電車が、落ちてきたヘリの爆発に巻き込まれ、同じく爆音を上げて炎上した。駅自体が竜のような炎に包まれていた。乗客達の存命は、この現状を見る限りでは絶望的だろう。
「いったーい……」
ひなたは痛む背中をさすり、四つん這いになった。地面に落ちたケータイを拾う。コレがなければ誰にも協力を求められない。大事な所持品だ。
「ヒドイ。なんで、こんな事に……」
ヘリが墜落して炎上した駅を呆然と眺め、ひなたは自分の無力さを痛感した。逃げろって言ったのに、逃げないとこうなるのが分かってたのに。彼らはひなたの叫びを聞き取れなかった。
「豊田さん、何があったんですか! 豊田さん!」
ケータイのテレビからは、ベテラン司会者の声だけが響いていた。二度と応答する事はないレポーターに向かって。
「ん、新たな情報が入ってきました! 犯人からの犯行声明文です!」
ひなたは、はっとして画面に食い入った。どうやら犯行グループから送られてきた映像らしかった。
目出し帽を被った犯人の一味と思われる男が、変声機で声を変えて喋っていた。
「しーさいど桜ヶ崎は我々が占拠した。警察、報道機関はもとより、何人たりともこの建物の半径三百メートル以内に近づく事は許さない。近づくのを許すのは、要求の女と、それを連れてくる使命を帯びた少女のみである。もし警察の介入があったなら、即人質もろとも爆弾は爆破すると覚えておけ。
我々には武器がある。ひのまるテレビのヘリコプターを撃ち落したのは、我々の同志が放ったロケットランチャーだ。無駄な抵抗は考えない方がいい。近づけば、我々は容赦なくロケットランチャーを撃ち込むだろう。
十二月二十五日の二十四時までに要求が達成されない場合、我々は人質と一緒に命尽きる予定だ。それまで、余計な邪魔が入らない事を願っている」
映像は終わった。内容からして、どうやら犯人の一人が生でテレビ局に向けて喋った言葉らしい。ベテラン司会者は冷静に続けた。
「この、要求の女性というのは一体どなたの事なのでしょうか。恐らく、連れてくる使命を帯びた少女というのは先ほどの」
ひなたはテレビを見るのを止めた。もうこれ以上は見続けても無駄だろう。
「早く、お母さんを探さなきゃ……」




