第42話 最終章 ―存在を賭けた戦い― 4
「なにがって、もう事件は終わりでしょう? リーダーの品川は死んでしまったわ。警官隊が突入して、爆弾を全て回収して、残りの犯人達を捕らえて、人質を解放して……」
「そんな事は聞いてない!」
ひなたは怒鳴った。
「確かに品川は死んだよ。ウサギが全部爆弾だった事もわかったよ。だけど、それでなにが終わったの? なんにも終わってないよ!」
「ふーん」
さとりの声色が変わった。十七歳とは思えない女の色香が感じられる艶やかな声。優しさの中に明確な悪意が見え隠れする声。
「なんでひなひなは、なーんにも終わってないって思うのかしら?」
首の後ろで何かを感じ取ったひなた。思い切りさとりを突き飛ばし、離れた。さとりは仰向けに倒れるも、すぐに起き上がり、立ち上がった。
「いったーい! 何するのよひなひな」
いつもの明るい調子の声に戻るさとり。そう。いつもの杏条さとりの声はこれだった。おちゃらけてとぼけた、周りを巻き込む明るい笑い声。今は、その時に発する声色だ。
「とぼけないで。今あたしに何をしようとしてたの?」
反射的にさとりは右手をブレザーのポケットに突っ込んであった。恐らく、そこに何か見られてはまずいものが隠し持たれているのだろう。
さとりはいつもの笑顔で笑い、左手を軽く振ってふざけていた。
「ただ触ろうとしてただけじゃないー。何怒ってんの、ひなひな」
「だったらその右手を見せて。何を隠し持ってるの?」
ひなたはずかずかと近寄り、さとりの右手をつかみ上げた。そこには何も持っていない。
「ほらほら、気のせいだってば。ね?」
場を取り繕うかのように、さとりは笑いかける。
「ひなひな、疲れてるんじゃない?」
「そうかもね」
ひなたは油断せず、さとりのブレザーの右ポケットに手を突っ込んだ。何かをつかみ、引っ張り上げる。
「あ……!」
さとりのブレザーから引き抜かれたひなたの左手には、一本の注射器が握られていた。中には怪しい赤い色をした薬品のような液体が詰められている。得体の知れないその液体はドロリとしており、粘性が高いものであった。
「なに、これ……」
ひなたは注射器を見て、全身に鳥肌が立っていた。背筋に悪寒が走り、顔が青くなる。
「どういうことよさとり! なんなの、この注射器は! この液体は!」
人質達の目からも、ひなたの左手に握られた注射器が見えていた。
毒々しい赤色をした液体。これが体内に注入されたらと考えると、全身を掻き毟りたくなるようなむず痒さが襲ってきそうだった。
さとりはニコニコとしたまま、口を開いた。
「それはね」
次の瞬間、表情を一変させた。声色はどす黒く変わり、悪女という表現が似合う艶やかな声になる。
「注射すると、身体が麻痺しちゃうクスリ。うーん、麻痺ってレベルじゃないわね。全身がビリビリに痺れて、呼吸が出来なくなって死んじゃうクスリだから。しかもそれ新開発でね、効果を発揮した後は跡形も無く体内で分解されて、死体からも検出されないクスリなのよ。すごいでしょ」
ひなたはおぞましくなり、注射器を壁に向かって投げ付けた。ガラスの割れるような音が響き、赤い液体がべっとりとコンクリートに張り付き、垂れ落ちた。
世良がショットガンを向けた。
「さとりさん……!」
「お久しぶりですわね、神崎世良さん。自分の役目は分かってますか? 恐らくここにのこのこ来たって事は、分かっているんでしょうね」
目付きが普段のさとりと変わっていた。病んでいるような闇を感じられる細長い目付きへと。
「品川の持ってた通信機も壊れちゃってるわね、あの黒焦げですもの。他のフロアの連中に応援を呼ぶ事も出来ないわね。思った以上にやるわね、神崎世良さん。まさかショットガンを奪って反撃に出るとは思わなかったわ。品川があのままひなひなを始末してくれるかと思ってたのに」
さとりは人質達の周りを腕を組んで歩き回る。足を少々引きずっていた。二日前に犯人に足を撃たれているのだ。ハンカチを患部に巻き付けている。本当なら激痛が走るはずだが、さとりは痛みなど関係無いといった強靭な足取りであった。意志の強さか、それとも強固たる我慢強さか。
「さとり、一体どうしてこんな事を……」
世良はショットガンの銃口をさとりから外さず、言った。
「抵抗しても無駄よ。外では警官隊が既に待機しているわ。頃合を見計らって突入する手はずになってる。もうあなたは包囲されてるのよ」
ひなたを無視して話し続ける。
「ま、ショットガンを構えてる以上、世良さんは私に従う気は無いんでしょうし、私は絶体絶命かもね。品川が死んでさえいなければ力ずくで言う事を聞かせる事も出来たでしょうけど。最後の抵抗でも試みてみようかしら?」
役立たずの歩哨をちらと横目で見る。相手はさとりの目を見なかった。所詮は雇われだったのかもしれない。死んでもいいというのが条件で多額の契約料で雇われた実行犯も、面目が無かったようだ。
「おっと、みんなで私を取り押さえようとしても無駄よ」
人質の男達が飛びかかろうとしてタイミングを見計らっているのに気付く。ポケットからリモコンのようなものを取り出した。
「まさか、さとり。それ……」
ひなたは勘付いた。
「きっとひなひなが考えているのが正解よ。これが、しーさいど桜ヶ崎の至る所に仕掛けられてる本命の爆弾のスイッチ。これをポチッと押すだけであら不思議、脱出の時間も無いままみんなで仲良く爆死よ!」
さとりは振り返り、男達に向かって怒鳴った。
「だから、無駄な真似はやめな! お前達が飛びつく前に、私は爆弾のスイッチを入れてやる! お前達も一緒に、しーさいど桜ヶ崎ごと木っ端微塵だ!」
それは銃を向けていても同じだろう。撃たれると思った瞬間、さとりは躊躇い無くスイッチを押すに違いない。これだけの犯行を計画したのだ、命懸けで臨んでいるのだろう。
「さとり、なんであたしを殺そうとしたの? あたしは友達じゃなかったの?」
がっくりとうな垂れ、ひなたは残念そうな声で言った。さとりは陰のある笑いでひなたに向き直る。
「親友だったわ。ある時までは」
変な言い回しだった。何故数日前まで親友同然でいたのに、ある時まではなどと言い出すのか。
「……ある時までは?」
さとりは歩き回る。ショットガンを向けられているのも忘れたかのように。
「そう。聞きたい? ちょっと長い話になるわよ」
ひなたは、躊躇わずに頷いた。もしかしたら、それはひなたを傷付ける内容かもしれない。それでも、知らなければならなかった。そうしなければ、事件は解決にならない。
「そうね、それを話すにはまず全ての発端から話さなければならないわ」
壁に寄りかかり、さとりは続ける。
「ひなひなは、しーさいど桜ヶ崎がそもそも何でこの場所に建設される事になったのか、分かるかなー?」
まどろっこしい言い方に、ひなたは眉をひそめた。
「知らない」
「ですよねー」
いちいち人を小ばかにしたような言い方をする。
「元々ねー、この場所はしーさいど桜ヶ崎の建設予定地じゃなかったの。それを、ある理由でウチの会社が出資して、ムリヤリこの場所に移す事にしたのよ」
「ふーん……」
「一日目に調べたんでしょ? 小田原建設株式会社。あのボロ会社よ。ちょっと札束を積んだら軽くオーケーしてくれたわ。役所にも色々手回ししてね」
いちいち喋り方が色っぽい。こんな大人な色香をいつ身に着けたのかひなたは分からなかった。既に高校生のレベルではない。
「なにを隠したの? この場所に」
「……研究所」
人質達が皆「ハァ?」とでも言いたそうな顔をしていた。
世良が口を開けた。
「やっぱりそうだったのね。この場所があの」
「っそ。杏条ニューロン地下第三研究所。もんのすっごいヤバイ事やってた研究所よ。それが本当にヤバくなっちゃって、このままじゃ隠し切れないと思ったから、ウチの会社は研究所を破棄して、その上にしーさいど桜ヶ崎っていう巨大なフタをする事を考えちゃったのよ。だから、今もここの地下には当時破棄されたまんまの研究所が眠っているわ」
「一体なにをしてたの? クローンの研究?」
さとりは手を叩いた。
「だいせいかーい。良く当てたわねー、おめでとうひなひな。そこにいる神崎世良さんも勤めてた研究所よ。当てたご褒美に、特別に研究所のフタを開けてあげるわよ」
何やら不気味な笑みを造るさとり。まるでオペラ座の仮面のように、口元を歪ませた笑い。既にひなたの知っている女子高生の笑いではない。
「研究所のフタって……」
「試しに入ってみたら? 大丈夫、あなたが入った後で鍵を掛けるなんて野暮な事はしないわよ。何ならあなたが入っている間、ショットガンをそこで構えてる世良さんに鍵を預けておいてもいいわよ」
世良を指差すさとり。ひなたは口元を固く閉じ、世良に向き直った。世良は視線を逸らす。後ろめたい研究をしていた場所だ。あまり気乗りはしないのだろう。
「あなたの欲した真実が、あるかもしれないし、無いかもしれない。どう? 行ってみる気は……無い?」
ひなたは頷いた。
「……案内して」
さとりはニヤりと笑い、歩き出した。世良も付いてゆく。不気味に静まり返った深夜、足音以外は何も聞こえない館内で、全ての黒幕は堂々と歩く。
――あたしの欲した真実。なんだろ……。




