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夢を結ぶ  作者: 今日子
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そして、何時かの夢

 妾腹の生まれ故に肩身の狭い郷里から逃げた先で出会った生涯の友人。その友人の命を賭した願い、それは彼の愛するものの命を守る事だった。

 決して楽な道ではないことは男にも、そして友人にも分かっていたはずだ。その命を守るために友人が命をかけて時間を稼いだところで女の足だ、男にとって重荷でないはずがない。まして、女の腹ははち切れんばかりに膨らみ、その腹には友人との赤子が宿っていたのだから。

 しかし男はその願いを聞き入れた。

 敵の追跡をかわしながらの厳しい旅。隣国、男の生国に入ってしまえば安全だろうが、それまでの道のりが長かった。

 妊婦の旅人は目立つ。

 すぐに追手には見つかり、至当の末に女を逃がしたまではよかったが。

 女は手酷い痛手をその身に負った。そしてそれから間もなくの出産。それまでの心労と相まってとても耐えられるものではなかった。

 女は自分の赤子を一目見るなりすとんと意識を落とし、そのまま目を覚ますことなくあっけなく友人のもとへと旅立っていった。

 亡命の途中に聞いた友人の訃報も女には堪えたのだろう。

 男はひどく不器用な手つきで赤子――女の環境を思うと不思議なくらいに元気な女子を抱えてその顔を覗き込んだ。

 目元が友人に似ている……口元は彼の妻である女に似たのだろうか。

 友人の訃報を聞いたときも、そしてその妻を看取ったときも表情ひとつ変わらなかったのに、何故だか今は涙が溢れて止まらない。

 自分は、この子供の成長をどこまで見ていられるだろうか。

 男は度重なる追手の襲撃に耐えてみせたが、その身には深い傷が刻まれた。男でなければすぐに死んでもおかしくはない深手だ。何とか命を繋いだが、今の自分はその後遺症だろう、ひどく脆弱になってしまっている。

 自分の身体のことは誰よりも分かっているつもりだ。この命はきっとそう長くはない。

 本来ならばすでに生国に入っているはずだったが、その行程が遅々として進まないのは男の体調が一進一退を繰り返しているからだ。今までならば男の武力によって力技で進む事もできたが、この調子なら赤子がある程度成長するまで身を隠した方が賢明かもしれない。

「強く、優しく育ちなさい。お前の両親のように」

 まだ言葉を理解しない赤子に語りかける。

 その言葉がみっともなく震えていることに気付かぬふりをしたまま。




「父様、これから何処に行くの?」

「私の生まれ故郷だ。……そして何度も言っているが、私はお前の父ではない」

「知ってる。何時も父様が言ってるもの」

「……お前もいい加減しつこい娘だな」

「父様の娘だからね」

 両親に似て華奢な身体はなかなか成長しないが、こうして口ばかり達者になった。

 国境を越え、懐かしい景色に男は普段の乏しい表情も緩めている。非常に分かり難い変化だが、共に育ってきた少女は男の機嫌の良さを敏感に感じ取り、どこか浮き足立っている。

「見て!!」

 少女は跳ねるような足取りを急停止させ、指差して男に示した。

「きれい!!」

 ぴょんぴょんと跳ねながら、その感動を男に伝えようとする。

 男はすっかり視力の落ちた目をすがめて少女が指し示す方向を注視し、この娘が何に興奮しているのか悟り、お転婆に育ってしまったが、やはり娘だなと妙なところで安心してしまった。

「私も着たいなぁ……」

 真白い衣装に身を包む若い娘、その衣装はこの小さな村に相応しい質素な作りだったが、その娘の弾けんばかりの笑顔で輝いていた。

「時が来たらお前のものを仕立ててやろう」

「本当!?」

「あぁ」

 本当は女親の役割だが、この少女の保護者は男しか居ない。どうにか男が仕立てるしかないだろう。

 ――それまで男の命が長らえたら、の話だが。

 しかし、そんな不安は娘に伝える必要はない。この娘には明るい未来の話が何よりも似合うだろうから。

「きっと綺麗だろう……」

 無意識に呟いた男の声は風に紛れ、少女の耳に届くことはなかった。

 きっと、この願いは叶わないだろう。

 だから男は幸せな未来だけを夢想する。

 鬱々とあらゆることから逃げ、故郷を去った男が、しかし、今は未来を夢想して穏やかな気持ちになる。これはこの娘との短くない時間の中で学んだことの一つだった。

 緊迫した情勢下で慌しく籍を入れた娘の両親は満足な式を行えなかった。ひどく生き急くように彼らはこの娘を授かり、もしかしたら自分達の行く末が分かっていたのかもしれないとも今になって思う。

 だから、男が精々立派な式を執り行ってやるのだ。

 彼らが歯噛みして悔しがる程、美しく成長した娘の隣に自分が立って。

 その想像は男をひどく楽しくさせた。

 ――あぁ、楽しみだ。

 未来はこんなに輝いていると、今ならきっと信じられるだろう。




「……リサ?」

 穏やかな声に覚醒を促され、意識が徐々に浮上してくる。

「このまま寝ていたの?疲れないかい?」

 式から続く披露宴にすっかり疲れ果てた私は、真白い衣装を脱がぬまま椅子に腰掛けて眠り込んでいたらしい。

 私は着替えるべく立ち上がり、その拍子に自身の全身が映った鏡が視界に入った。

――きっと綺麗だろう……。

 そう思ったのは誰だったのだろうか。

 ふと過ぎった声に首を傾げ、衣装を着替えようと自分の部屋に向かおうとしたところで、視界の端に見慣れる小さな肖像画を見つけ、足を止めた。

 小さな黒髪黒目の少女と、その少女と比べると余りに大きな男。

 蜂蜜色の目と髪を持ったその男は私の父と面影が似ていたが、この男の方がずっと怜悧だ。

「あぁ、それか……」

 私の視線に気付いたアリステアが得心したように頷き、近づいてきた。

「この少女は私の母だ。私の母の肖像画は余り残っていなくてね」

 この部屋はアリステアに宛がわれた部屋だ。徐々に彼の荷物が運びこまれ、この肖像画もその一部らしい。

「そして、この男性がえっと……私の曾祖父の末の弟らしい。私の祖父より若いくらいだけれど、高祖父の愛妾が産んだから曾祖父と親子ほど年が離れていたとか。祖父にとってみれば年下の叔父になるね。その複雑な生まれのためか単身隣国に渡ってなかなか帰ってこなかったそうだ。そして久しぶりに帰ってみれば、一人の少女を連れていたらしい。それが私の母だよ」

 私は改めてその肖像画を注視した。

「彼は多くを語らなかったらしい。しかしこの母の実の両親が生きていないことは明言していた。まぁ、母の年齢を考えれば自ずと分かるものだよね。母が生まれた頃は丁度隣国の内紛が活発化していた。きっとその頃に何らかの事情で預かったのだろうね」

 アリステアの目に複雑な色が浮かんだ。

「母は実の両親の顔を知らずに育ったそうだ。だから、この人は母にとって育ての親で、母は随分と懐いていたらしい。将来の夫のもとに自分をエスコートするのは彼しかいないと言っていたとか。……けれどそれは叶わなかった」

「……ご病気で?」

「どうやら内紛で生死を彷徨う深手を負っていたらしい。それが遠因だったと聞いている。だから彼は、母がこの衣装を着た姿を見ることはできなかったんだ。……今まで大事に保管されていて表に飾られることのなかった絵だけれど……君がその衣装を着ると聞いてから急に思い出して、ね」

 新居に持って行くにはどうかと思ったけれど、せめて今日だけは、と思ったとアリステアは語る。

「……気を悪くしたかい?」

 私は無言で首を振った。

――貴方の願いはこうして叶った、そうでしょう?

 私はその肖像画の男に心中で語りかけた。

 すると、胸の奥、自分でさえ気付かない様な奥深くで、応えの声を聞いた気がした。

 きっと、それは何時かの、少し遠い夢で聞いた声に違いない。





























結末は決まっていましたが、なかなか最後が進まず長らく放置していてすみませんでした。


この話はこれにて終了です。ありがとうございました。


今日子

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