御禊( 1 ) ——朱雀帝
同じ頃、遠く京では四月中頃に催される賀茂祭に先だち、斎院の御禊が行われていた。斎院御禊とは、斎院の御所から一条大路を通って、賀茂の河原へ御行する禊ぎの儀式のことだ。
萌黄や薄青——葵や卯花に重ねられた袿や、細長をのぞかせた女君が争うように出車をとめ、伺候する上達部の装いは清々しく、馬具の飾りも照り映えて匂いたつ。
賀茂祭は、後宮にすまう貴人や宮仕えの女房達はもちろん、市井の者や女童にいたるまで心をときめかせる祭事であり、斎院の御禊も例外ではなかった。
しかし大路に高く設えられた浅敷で、絢爛な行列の有り様を眺めるにつけても、朱雀帝の胸の内には、瘧で亡くなったニノ宮のことが思い浮かぶのだった。
朱雀帝と梅壺の女御の間には二人の皇女がいて、一人目の皇女、加具姫は既に斎宮として伊勢へおもむいている。ニノ宮は同時期、長く病をわずらい、数多の加持祈祷もむなしく亡くなった。
さらに数年前、先帝が崩御するきっかけとなった凄まじい落雷は、今も朱雀帝の心に重く暗い影を落としている。その年、京では干害が続いたため、雨乞いの是非についての会議が清涼殿で行われていたのだ。
そのさなか、北方の山に湧きあがった黒雲は、あっという間に京を覆いつくし、ひとつめの雷鳴がとどろいたかと思えば、清涼殿の主柱を雷が切り裂いた。
雷火は紫宸殿にも燃え移り、即死した者も数人、顔や体が焼けただれた公卿も続出した。
その却火によって、内裏は逃げ惑う人々でまさに阿鼻叫喚の騒ぎとなり、この世のものとは思えぬおぞましさだったのだ。




