教皇の場合
「ふむ、それなら私と手合わせでもして頂きましょうか」
「手合わせ………?」
おかしなことを言い始めた田舎小僧に本当の強さというものを見せてやろう。それぐらいのつもりで私はそう言った。
自分がどれだけ井の中の蛙だったかがわかれば彼も潔く身を引いてくれるだろう。馬鹿でも話は通じそうな小僧だからな。まあ賢者の小娘の方は少々ごねるだろうが、そこは無理矢理にでも連れていけば良い。
それぐらいの適当な気持ちだった。
今ではこんなことを言ってしまったことを後悔している。
「わかりました。それで考えていただけるのなら是非ともよろしくお願い致します」
「では、周りに迷惑がかからない様なところまで移動するとしましょう」
私は従者の大神官達を連れて家を出た。アイルと呼ばれていた青年に連れられて山の方へと歩いていく。
しばらくすると周りを木々に囲まれた広い空き地に出た。どうやらここでやり合うつもりらしい。
この時の私は『こんな隠れる場所が無いところで無詠唱で魔法を使うことが出来る私に勝とうなんてなんて馬鹿なのだろう』と思っていた。それは従者達も同じだっただろう。今思えば、私はなんて馬鹿だったのだろう。無詠唱で魔法が使える程度のことなんて彼だって余裕でこなせるものだったのに。
「それじゃあ、始めましょうか」
「ふふっ、何処からでもかかってきなさい」
くるりと此方を振り向いてそう言った彼に私は実に偉そうな態度で返した。恥ずかしい、なんでこんなに私は偉そうにしていたんだ。
周りで見ている賢者の小娘とその家族達が息を飲む。
青年の口元が、きゅっ、と引き締まった。
「それでは遠慮なく………………………はあっ!」
腕に魔力を集めた彼が人差し指をくいっと上に向けた
――――――ゴゴゴゴゴゴ………
その瞬間、
――――――ベキベキベキベキベキ!
「「うおおおおおおお!?(by私の従者達)」」
大地が、
――――――ビキビキビキビキビキィィィッ!
砕け散ったッッ!
「ぬぅぅぅぁあぁぁぁぁぁぁにぃぃぃぃぃぃ!?(by私)」
驚愕した。この時私は凄い顔をしていたと思う。
振動し、罅割れる大地。そして地面が盛り上がり、巨大な土の腕が何本も生えて私に向かって襲いかかってきた。
「はぁぁぁぁ………………ふん!」
―――――ドヒュッ!
彼が腕を動かすと、それと同じ動きで何本もある内の二本の腕が蚊でも潰すみたいに私を潰そうとしてくる。
景色がその瞬間スローになる。これまでどんな凶悪な魔物と戦ってきても感じることの無かった圧倒的な死のビジョン、私がこの腕に潰されてミンチと化し死亡する光景がハッキリと脳裏を過った。
何ということだ、速さ、精密さ、力強さ、その全てにおいて一級品。しかも無詠唱である。
私は、これまで生きてきて一度も感じたことの無い圧倒的な死の匂いに飲まれそうになる意識をなんとか引きずりあげた。
「ぬがぁぁぁっ!」
辛うじて発動させた瞬間移動の魔法で青年の後ろまで移動する。
攻撃は避けた、次の攻撃が飛んでくる前に一撃で沈めなければ。私は必死だった。
「私は、負けんッッ!」
気付いた時には私は自分に出来る最強火力の魔法を放っていた。失敗した。このまま行くと村まで魔法が行って村が消し飛んでしまう。
だがその失敗も、杞憂に終わった。
「ッッ!」
―――ぐりんっ!
私の動きは見えていなかったはず。だというのに彼は一瞬にして後ろを振り向いてその腕を向けてきた。あの首の動き、人間じゃねぇ。
そしてその手の向かう先には私の撃った最強の攻撃魔法『ホーリー・スフィア』が、
「覇ッッ!」
彼の放った拳大のただの魔力弾で、
――――ズドォォォォォォン……………
あっさりと、消し飛んだ。
私のプライドも同時に消し飛んだ。
私に出来る最強の魔法だったのに。
あんな雑な方法で、消し飛ばされた。私はがっくりと膝を付いた。
「まだまだ!次は樹木を―――」
「あの、」
「――――はい?何でしょうか」
「私の、負けです」
「…………………………はい?」
「私の…………………負けです……………………」
ポカンとした顔の彼に、私は情けない声で敗北宣言をした。
かえってあっさりしすぎて気持ちいいぐらいの完全敗北だった。
◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆
揺れる馬車の中、私はとても気分が悪かった。馬車の揺れで酔ったとかそういうわけではない。原因は主に今私の目の前に仲睦まじく並んで座っている賢者様とその婚約者だ。
本当に連れてきて良かったのか。ずっとそれだけが頭の中をぐるぐると回っていた。
そんな私に二人とも気付くこと無く楽しげに何やら話している。私は考えるのを少しやめて二人の会話に耳を傾けてみた。
「勇者様ってどんな人なんだろうね」
「んー?やっぱりアイルも気になるの?」
「うん、仲良くなれると良いなぁって」
私はそう話した彼の目を一瞬見て全身から血の気が引いていくのを感じた。
『どの口でそんなことほざいているんだ』と思わず言いたくなるが、そんなこと言ったら即死しそうなので言おうにも言えない。
今の彼は一見すると穏やかに見える。賢者様にもきっとそう見えていることだろう。だがあの目はヤバい。よく見ると目の奥が全く笑っていない。『仲良くなれると良いなぁって』の部分が『調子乗ってたら殺す』にしか聞こえなかった。
いったい勇者になんの恨みがあるというのだ。お願い致しますやめてください勇者が死んでしまいます。
と………いうか、例の勇者なのだがこれがとんでもない色ボケ小僧だったのだが………………。召喚されたその日に何をとち狂ったのか既に婚約者のいる第一王女様に手を出そうとした下半身小僧だったのだが。
やはり………もしやこれは賢者様はつれてこない方が良かったのでは?
賢者様は田舎の村に住んでいるとは思えないぐらいの美少女だったから、あの色ボケ小僧なら確実に手を出してくるだろう。賢者様に婚約者だったり恋人が居なければ何の問題も無かっただろう。もし婚約者や恋人が居たところでただの田舎小僧が相手なら権力を振りかざしてどうにでも出来た。適当に罪をでっち上げて晒し者にし、賢者様が勇者様に乗り換えたことを正当化することぐらい私にかかれば造作もないことだ。そもそも勇者には魔王を倒した褒美に第2王女との結婚が約束されているから王家の権力も使える。田舎のクソガキなど相手にならん。
しかし相手はこの私、教会のトップにして王国最強の魔法使いでもある教皇を片手で捻り潰せるような化け物である。もし私が彼に対してそんな事をしようものなら、いや勇者様が賢者様に手を出した時点で圧倒的な死が勇者様に襲いかかる事だろう。
クズとは言えど、勇者が死んでは魔王を倒す事など不可能になってしまう。…………………いや?まてよ?勇者が居なくてもこの化け物が居れば魔王を倒す事も可能なのでは?
そうすると今度は勇者を召喚したこと自体が不必要だったということになるのだが。いやいや、流石にそれは無い。勇者と聖剣の力が無ければ魔王を倒す事など不可能な筈だ。不可能な…………筈、だ……………。
思わず彼の顔をじっくりと眺めてしまった私に気付いて彼が不思議そうな顔を向けてきた。
「……?どうしました?」
「いや、何でもないよ。楽にしたまえ、道はまだまだ長いからね」
彼は賢者様と共に『聖戦士』として連れて行くことになっている。『勇者』『聖女』『賢者』『聖騎士』のようにお告げがあったわけではないが、『聖戦士』のお告げがあったと適当にでっち上げれば王も納得するだろう。
主には申し訳ないが下手をするとこの国の未来、下手しなくても私の命が掛かっているのだ、きっと主は許してくれるだろう。
私は無理矢理自分を納得させるとゆっくりと目を瞑るのだった。