のんびり放浪記2
その後の言葉は継げなかった。
さしもの親方でも、私の殺気の籠った目線には勝てなかったのである。
まぁ、無理もない。
私の名前はカガリビ・ウバメ。
性別――まぁ、一応、雌。
あんまり考えないようにはしてるけど。
どうやら私たちの種族ってのは、他の種族からすると雌雄の見分けがつきにくいらしい。
腹立つことに。
間違えられるのにも、もう慣れた。
腹立つことに。
種族は、いわゆる獣人ってやつだ。
この世界に溢れ返ってる人間種ほどじゃないが、それなりにどこにでもいる種族。
一口に獣人と言っても、その種類は多い。
犬。
猫。
兎。
牛。
馬。
鳥。
トカゲ。
珍しいところでは竜人なんてのもいるらしい。
私は会ったことがないがね。
同じ獣人でも、持って生まれた身体のつくりも、得意なことも、それぞれ違う。
猫系の連中は身軽だし、兎の連中は耳がいい。
牛の獣人なんかは、馬鹿みたいに力が強い。
……まぁ、人のことは言えないか。
そんな感じで獣人にも色々いるわけだ。
人間種が同じ土地に集まって、村だの町だの国だのを作るように、獣人も似た特性を持った者同士で集まることが多い。
もっとも、口さがない人間種の連中は、そんな獣人の集団を――
“群れ”
なんて呼んだりするがね。
余計なお世話だ。
とにかく。
そんな獣人として、私は生を受けた。
――らしい。
らしい、ってのは、幼い頃の記憶が私にはほとんどないからだ。
いや。
ほとんどないってのは、少し違うか。
記憶そのものはある。
ただ、実感がない。
腹が減っていた。
とにかく腹が減っていた。
何か食えるものはないかと、野山を駆けずり回った。
木の実を拾った。
土を掘った。
川に入った。
何かを追いかけた。
逆に、何かから逃げたこともある。
雨の中で丸くなって眠った夜もあった。
雪の中を歩いた記憶もある。
そんなことなら、ぼんやりと思い出せる。
ただ。
思い出そうとすると、妙な感じがする。
まるで少し離れた場所から、幼い私を眺めているような。
自分ではない誰かの記憶を、頭の奥から覗いているような。
そんな感覚。
けれど、そこに映る山も、森も、川も。
湿った土の匂いも。
雪の冷たさも。
私の故郷のものに間違いない。
だからまぁ。
昔の記憶なんて、そんなもんなんだろう。
たぶん。
少なくとも、これまで困ったことはない。
腹が減れば飯を食う。
眠ければ寝る。
金がなくなれば働く。
昔のことなんざ、それで十分だ。
そんなこんなで現在。
私は城壁都市ソリダンテで、日がな一日、力仕事に精を出している。
「おぉーい! そろそろシメェだ! キリつけて上がんぞォ!」
「「「へぇーい!」」」
親方の声に、あちこちからむさ苦しい男どもの返事が上がった。
傾いた陽が、修繕途中の城壁を赤く染めている。
ソリダンテは、その名の通りでっかい城壁に囲まれた町だ。
いや。
町というには少し大きいか。
城壁の中には市場があり、職人街があり、教会があり、衛兵の詰所があり、貴族の屋敷まである。
人間種に言わせりゃ“都市”なんだそうだ。
私には町も都市も大して変わらん。
飯屋があって。
寝る場所があって。
仕事があって。
風呂がある。
それで十分だ。
「ようやく酒が飲めるぜぇ」
少し離れたところで、人足の一人が腰を伸ばした。
「おめぇ、ずっと飲んでるようなもんじゃねぇか」
「あぁ?」
「だってよぉ。犬のあんちゃんが運んでる瓦礫の四分の一もねぇような、ちっちゃな石ころ抱えてよ。ヨタヨタ、ヨタヨタ。顔真っ赤にして、はぁはぁ言いながら運んでやんの」
「ばっ、おめぇ!」
言われた男が顔を赤くする。
「ありゃ特別なやつだったんだよ!」
「何が?」
「その……あれだ!」
「あれ?」
「魔力的な!」
「魔力的な?」
「もしくは呪い的な!」
「どっちだよ」
「と、とにかくだ! 何かこう、あれがあれして重かったんだよ! しょうがねぇだろ!」
「へぇー」
男どもが馬鹿な話をしている横に、件の瓦礫が転がっていた。
中途半端なところに放り出されている。
なるほど。
確かにそこそこ大きい。
小さめのエール樽くらいはある。
「ヨイショっと」
「「あっ……」」
持ち上げる。
そのまま、ぽい。
――ゴンッ!
瓦礫は二人の頭の上を飛び越えて、少し離れた集積所へ落ちた。
積まれていた石が崩れ、ガラガラと音を立てる。
「…………」
「…………」
男二人が黙る。
私は手についた砂埃を払いながら、二人を見る。
「おい」
「は、はい」
「中途半端なとこに置いてないで、最後までやんなよ」
「へ、へい」
「ったく。これだから人間種は」
「わ、悪ぃな、犬のあんちゃん。助かったぜ」
「こいつにはよーく言っとくからよ」
「人のせいにすんな」
「へいっ!」
「あと」
「はい?」
「犬じゃねぇ」
「…………へい」
犬。
犬。
犬。
どいつもこいつも犬と言う。
耳が尖っていて、鼻が利いて、尻尾があって、毛が生えてりゃ全部犬なのか。
人間種なんざ耳も鼻も似たような形してんだから、全員同じ顔に見えるぞ。
「親方はキリつけろって言ってんだ。任された仕事ぐらい、きっちり終わらせてから上がんな」
「「ハイッ!」」
妙に背筋を伸ばした二人が、逃げるように散っていく。
「…………」
その背中を見送りながら、私はため息を吐いた。
「なんで私が親方みたいなこと言ってんだ」
「そりゃあ、お前ぇが一番真面目に働いてるからだろ」
「うわっ」
いつの間にか親方が後ろに立っていた。
煙草臭い。
私は鼻を押さえて一歩離れる。
「近い。臭い」
「酷ぇ言われようだな」
「煙草やめりゃいいんですよ」
「だからそいつぁ無理な相談だ」
親方は悪びれもせずキセルをふかす。
「しかしよぉ。ウバメ」
「なんすか」
「お前ぇ、現場仕切る気ねぇか?」
「嫌です」
「まだ何も説明してねぇぞ」
「嫌です」
「日当も上がるぞ?」
「嫌です」
「酒代くらいは――」
「嫌です」
「なんでぇ」
「面倒だから」
即答した。
親方が呆れた顔をする。
「仕事ってのはなぁ、責任ある立場になってこそ――」
「そういうのいらないです」
「お前ぇな」
「私は食えるだけ稼げればいいんで」
偉くなりたいわけじゃない。
立派になりたいわけでもない。
誰かを率いたいとも思わない。
自分の食い扶持を稼ぐ。
飯を食う。
風呂に入る。
適当に寝る。
それで明日を迎えられれば、それでいい。
「欲がねぇなぁ」
「ありますよ」
「何だ?」
「今日、早く上がりたい」
「なんでだ?」
「風呂」
「却下」
「即答かよ」
「まだ西側に石が残ってんだろうが」
「明日でいいでしょう」
「明日は明日の仕事がある」
「明後日」
「明後日は明後日の仕事がある」
「…………親方」
「なんだ」
「仕事って、なくならないんですね」
「当たり前だろ」
なんということだ。
恐ろしい事実を知ってしまった。
ミノタウロスより。
ヴァンパイアより。
ひょっとすると、ドラゴンより恐ろしい。
仕事は、なくならない。
「じゃあ、さっさと終わらせます」
「おう。それがいい」
親方が笑う。
私はもう一度、石の山へ向かった。
急がなくては。
ソリダンテの東地区には、私がこの町で一番気に入っている共同浴場がある。
大きな石造りの湯船。
たっぷりの湯。
しかも、追加で銅貨一枚払えば香りのついた石鹸まで使える。
素晴らしい。
実に素晴らしい。
この町へ流れ着いて十二日。
仕事は悪くない。
飯も悪くない。
宿代も安い。
同僚は馬鹿ばっかりだが、悪い奴はいない。
何より、風呂がいい。
なら。
もう少しくらい、この町にいてもいい。
そう思っていた。
本当に。
それだけで良かったんだ。
少なくとも、その日の仕事を終えるまでは。




